(新共同訳聖書スタディ版各書の概説 原文転載)
特徴
士師記は申命記から列王記を通して語られる約束の地カナンにおけるイスラエルの民の壮大な物語の一部であり、イスラエル諸部族がカナンに定住し始めてから、一人の王の下に国として統一されるまでの時代が描かれている。諸部族を助け、敵に勝利するという役割を与えられた「士師」が神によって選ばれるというのがこの時代の特徴である。士師の中にはイスラエルの全部族を率いた者もいたが、普通は多くても2、3の部族を指揮したにすぎない。士師記はこうした英雄たちの物語から成る。
なぜ、書かれたのか?
民族として生き残るためには、律法に従い、イスラエルの神である主のみを礼拝しなければならなかった。そうすることで、イスラエルはカナンの地に留まることができ、神の祝福を受けることができる(申命記7.1-15)。しかし、もしイスラエルの民が他の神々を拝むのであれば、神はイスラエルを敵の手で滅ぼされるままにする(2.1-3)。当時のイスラエルの人々は、神と結んだ契約に対して強固で持続的な献身を示していたわけではなかった。士師記はそれを次のような行動パターンとして描いている。
l.民が神に背き、他の神々を拝む
2.神は外敵を用いてイスラエルの民を罰する
3.民は苦しみの中で神に助けを求める
4.神は士師を選び、士師が敵との戦いを指揮する
5.士師が死ぬと、また民は神に背き、同じことが繰り返される
つまり、カナン征服においては二つの戦いがあった。一つはイスラエル人とカナン人の間でなされた土地の支配権をめぐる争いであり、もう一つはカナンの宗教によってイスラエルの信仰が試されるという信仰面での戦いである「イスラエルの民はイスラエルの神のみを礼拝すべきこと、また神に不忠実な行いをすれば罰を受けることを学ばなければならなかった。しかし同時に、神は失敗した民に神への信仰に戻る機会を何度か与えている。民は何度も神を捨てたが、神は民を見捨てなかったのである。
どんな背景があるのか?
士師記の時代は、ヨシュアが死んだB.C.1200年ころから最後の士師であるサムエルが初代の王となるサウルを選んだB.C.1030年ころまでとされる(サム上12章)。この時期のイスラエルは統一国家というより諸部族の緩やかな連合体であった。士師たちがその時々にその一部、あるいはすべての民をまとめていた。しかし、士師記の中でも要約されているように、この時代には「イスラエルには王がなく、それぞれ自分の日に正しいとすることを行っていた」(21.25)とされる。カナンの文化と宗教は大きな影響力を保っており、イスラエルの人々を誘惑して神に背かせ、イスラエルの神を忘れさせた[また、イスラエルの民の間でも個人あるいは部族が互いに争って戦争になることもあった。ヘブライ語の「士師」という言葉には「裁判官」といった意味も合まれているが、士師たちは士師記に描かれている暴力的で不安定な時期にイスラエルを導いた指導者であつた。デボラやサムエルのように民を司法的に裁いた者もいた。
構成は?
本書の中心はイスラエルの民を救う士師たちの物語である(3.7-16.31)。その活動が詳しく描かれている士師もいるが、簡単に触れられているだけの士師もいる。最初の2章は士師記全体の背景を述べており、最後の17-21章では士師がまったく登場せず、民を脅かすものは外敵ではなく、神に背き続けるイスラエルの民自身である。その17-21章では、よい指導者がおらず、神に不忠実であるために民は苦しんでいることが示され、イスラエル諸部族を治める王がいれば間題が解決されることが示唆されているとも理解される.
カナン侵入と神への背信(1.1-3.6)
士師の物語(3.7-16.31)
ォトニエル、エフド、シヤムガル(3731)
デボラ(4.1-5.31)
ギデオン(6.1-8.35)
アビメレク、 トラ、ヤイル(9.1-10.5)
ェフタ、イブツァン、エロン、アブドン(10.6-12.15)
サムソン(13.1-16.31)
混乱の時代(17.1-21.25)
ダン族とその礼拝の場(17.1-18.31)
ギブアでの蛮行とベニヤミン族との内戦(19.1-21.25)