• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2026年7月5日主日礼拝説教要旨 伏見敏師

説教題:揺らぐ日も、愛されて立つ
聖書箇所:テサロニケの信徒への手紙二 2章13〜17節(新共同訳新約381-382頁)

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中心成句:しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。(2章13節)

今日で2章の講解は三回目を迎えます。前回は1〜12節から「動揺するな、主は来られる」と学びました。惑わされない、恐れない、欺かれないという三点でした。さて今日は13〜17節です。7月になりました。一年の折り返し。「自分は本当に大丈夫だろうか」と感じておられる方もいるかもしれません。テサロニケの教会も、外からの迫害と内からのデマによって大きく揺れていました。その直後にパウロが書いたのが「しかし」という一言です。「周囲がどうあろうと、あなたがたは主に愛されている」。この短い5節から三つのことを共に聞きましょう。

①神の愛はそのまま包む(13節)

「自分は選ばれているだろうか」と内側をのぞき込むと不安になります。でもパウロは選びの話を、愛から始めます。あなたが選ばれたのはあなたが優れていたからではなく、神がまず愛されたから。申命記にも同じ原則があります。「神がイスラエルを選んだのは彼らが強かったからではない、ただ愛したから」と。選びの根拠はあなたの側にあるのではなく、神の愛にあります。ギリシア語原文では「愛されている」は完了形です。「かつて愛されたが今は終わった」ではなく、「愛されたという事実が今もゆるぎなく有効である」という意味です。信仰が熱い日も、冷めている日も、その愛はあなたを離れません。また「初穂」という言葉が出てきます。最初に実った作物は豊かな収穫全体を代表するものです。テサロニケの教会はその地域で最初に生まれた群れでした。閉じた特権グループではなく、これから広がる収穫の先駆けです。あなたが今日ここにいるのも、神の大きな目的の一部です。

②栄光という終着点を見つめて歩む(14〜15節)

神があなたを招かれた目的が14節に明記されています。「主イエス・キリストの栄光にあずからせるため」です。苦しみからただ逃れるのではなく、キリストの栄光そのものに参加させていただく。ローマ書8章17節にも「キリストと共に栄光を受けるために、苦しみを共にしている」とあります。苦しみが最後の言葉ではない。栄光が最後の言葉です。この終着点を知っている人は、揺れながらも倒れません。15節で「しっかり立ちなさい」という命令が来ます。しかし順番に注意してください。神があなたを愛し、選び、栄光への約束を与えた。「ですから」立ちなさい、です。根拠が先にあるから、立てる。また「しっかり立つ」はギリシア語の現在命令形で、繰り返し習慣的にそうし続けることを求めています。一度立ったら揺れなくなるのではない。揺さぶられるたびに踏みとどまる。それが「立ち続ける」ことです。カリフォルニアの巨木セコイアは、根を地中深くへ一本下ろすのではなく、横へ広げて隣の木の根と絡み合わせます。だから大嵐が来ても群れ全体で立ち続けられる。パウロが「立ちなさい」と語りかけた相手は「兄弟たち」という教会の群れです。一人で歯を食いしばって立つのではなく、互いの根を絡み合わせながら群れで立つことです。

③小さな善い働きへ向かう(16〜17節)

15節で「立ちなさい」と命令したパウロはすぐに祈りへと移ります。これが牧師の心です。命令するだけで終わらない。「それができるのは神がしてくださるからだ」と言って、祈る。命令と祈りが対になって初めて本当の励ましになります。祈りの中に二つの言葉があります。「励ます」と「強める」です。「励ます」のギリシア語は「傍らに来て呼びかける」という意味で、聖霊が「助け主・慰め主」と訳されるときと同じ語根です。神があなたのそばに来て、あなたの名前を呼んでくださる。「強める」は柱をしっかりと固定するイメージです。励ますことが向きを与えることなら、強めることは安定と持続を与えることです。そしてその目的が「善い働きと善い言葉」です。神があなたを強めてくださるのは、飾り箱の中に閉じ込めるためではなく、家庭へ職場へ地域へと送り出すためです。特別なことでなくていい。ある看護師の方がこう言っておられました。「患者さんに会うとき、この人もイエスさまに愛されている人だと思って接するようにしている」と。難しい言葉は何も使っていない。でもその姿勢の中に善い働きの本質があります。

今日、三つのことを学びました。神の愛はあなたをそのまま包む。神があなたを愛されたのはあなたが立派だったからではなく、神が先に愛されたから。その愛は完了形で、今日もゆるぎなく続いています。栄光という終着点を見つめて歩む。仕事がうまくいかなくても、体が言うことを聞かなくても、栄光が最後の言葉です。そして小さな善い働きへ向かう。神が励まし強めてくださるのは、日常の場所へ送り出すためです。「もっと強くならなければ」と焦る前に、すでに愛されているという事実をそのまま受け取ってください。今週、それぞれが戻っていく場所で、目の前の人を大切にする一歩を踏み出しませんか。