• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2015年1月12日主日礼拝 伏見美恵子師 

説教題:恐れるな 聖書箇所:ヨハネによる福音書6章16-21

◆湖の上を歩く 6:16 夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。 6:17 そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。 6:18 強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。 6:19 二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。 6:20 イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 6:21 そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。

おはようございます。新しい年を迎え、また共に主に礼拝を捧げることができる恵みを感謝します。前回は「5,000人の給食」と題して、イエス様が女や子供を含めたら1万人以上の人々を超自然な力で満腹させた出来事を見てきました。これはまさに、イエス様は神が遣わされたメシヤであることのしるしです。しかし人々はそのことを正しくとらえることができずに、食物を満たしてくれる王様として担ぎ上げようとしたので、イエス様は一人で山に退かれた、そのあとの出来事です。6:16 夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。 6:17 そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。この書き方では、弟子たちが自ら湖畔へ行ったように受け取れますが、並行個所であるマタイ、マルコでは、イエス様がそのようにされたと書かれています。マタイ14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。マルコ 6:45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。 マタイやマルコを見ると、イエス様が、あえて弟子たちを船に乗せ向こう岸に行かせたことがわかります。これは、先に5000人の給食の時にピリポを試されたように、また弟子たちに信仰のテストをするためでした。 6:18 強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。ガリラヤ湖は、海面下およそ200メートルに位置し、周囲が山で囲まれているため、すり鉢になっていて、時々突風が吹いてきました。こうなると元漁師でもどうにもならず、こぎあぐね、船は波間に漂うばかりです。しかもあたりは暗くなって、イエス様不在の中、弟子たちだけです。不安と恐れでいっぱいだったことでしょう。 6:19 二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。25ないし30スタディオンとは、約4~5キロメートルです。その位漕ぎだしたころに、イエス様が湖の上を歩いて近づいてこられたのです。人間が水の上を歩くことなど不可能です。ところが暗闇の嵐の中を、誰かわからない人が、波の上を歩いて近づいてきたのです。弟子たちは幽霊だと思ったのです。突風で船が揺れる恐れと相まって、相当恐ろしかったでしょう。人生の旅路には、時として不安と恐れでいっぱいになって、心がうちひしがれ、絶望的な思いになることもあるでしょう。6:20 イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」しかしそのところにイエス様がいてくださるのです。幽霊だと思って恐れたものは、よく見るとイエスさまでした。弟子たちはどんなにほっとし、安心したことでしょう。先ほど、イエス様が弟子たちを強いて先に船に乗せて向こう岸に行かせたとありましたように、これもイエス様のテストだったのです。突然の出来事や様々な試練の中で、自分の力でもがいても解決できないこと、一人ぼっちで取り残されたような悲しみに襲われるような時、イエス様を見上げましょう。否定的な思いに支配されないで、これは神様が私の祝福のために与えた試練テストだ、イエス様が共にいてくださるから、必ず乗り越えることができると考えを変え、信仰に立ちましょう。どんな時もそのところにイエス様がおられること、恐れないで、主に信頼することを教えるためだったのです。水の上を歩くことなど普通の人間にはできません。しかしイエス様にはできるのです。なぜならイエス様は神様だからです。このようなしるしを見せられながら、弟子たちはイエス様がただ立派なリーダーというだけでなく、この方は本当に神が遣わされた救い主、メシヤであることを信じるようになっていくのです。私たちも試練を乗り越えるたびに、信仰が成長し、主に信頼していれば絶対に大丈夫という信頼関係が深められていくのです。6:21 そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。弟子たちはイエス様が共にいてくださることに安心して、喜んで船に迎え入れました。すると間もなく船は目ざす地に着いたのです。イエス様が一緒ですと迷ったり道をそれたり、波に悩まされたり、てこずることなく最短で目的地に着いたのです。私たちも主と共に歩むとき、迷ったり、無駄な努力をしたりすることなく、目指すところに着けるのです。今朝の話はこの一年のどのような時にも適用できると思います。始まりました2025年、世界の情勢を見るとますます大変な時代になっていくことが予想されます。日本においても、また私たち自身と身近な出来事にもいろいろなことがあるでしょう。主の祝福、主の平安を祈りましょう。主が共にいてくださり、目的地に導いてくださるのです。恐れないで、信頼し、主のみ言葉に従っていきましょう。聖書の中には「恐れるな」という言葉が365回あるそうです。一年365日、毎日私たちは何かにおそれやすい者です。どんな時も恐れないで、主に信頼していけるように、み言葉を心に蓄えましょう。選びの民と言われるイスラエル民族の歴史を見ると、神様は様々な場面で「恐れるな」と励まし、正しい道に導いていったことがわかります。聖書の個所をいくつかご紹介します。ヨシュア 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」【新改訳改訂第3版】神様はアダムとエバから人類を創造し、アブラハムの子孫イスラエル民族を通し、イエス・キリストによって全人類を祝福していくというご計画を、私たちにはわからなくても、今も実行してくださっています。そのイスラエルの歴史の中で、その民はエジプトの奴隷から解放され、モーセをリーダーとして約束の地を目指して40年間荒野の生活をしてきました。そこには神の民としての訓練があったのです。約束の地カナンを目前にモーセは死に、次のリーダーとしてヨシュアが選ばれます。彼の使命は、モーセとは違い、神が与えると約束してくださったカナンの土地に、民族が定住していけるようにすることです。そこにはたくさんの敵がいます。彼らは一致し、神の約束を信頼してその土地を獲得していく必要がありました。神様が与えると約束してくださったからと言って、何もせずただ手をこまねいて待っているだけでは得ることはできないのです。約束を信じて、それを得るために戦っていく必要がありました。神様はリーダーであるヨシュアに、このように語られたのです。ヨシュア 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」【新改訳改訂第3版】ヨシュアに与えられた使命も大変な働きです。今までは荒野の旅でしたが、これからは、この土地に定住するために、まずヨルダン川を渡り、エリコでの戦い、アイでの戦い、諸王国を次々と征服しカナン全土を支配下に置く必要があります。そのためのリーダーに求められることは強く雄々しくあれ、恐れるな、おののくな。あなたの神がいつも共にあるからだ。とヨシュアを励ますのです。私たちもこの年、恐れないで信頼し、神の祝福を積極的に求めていきたいと思います。もう一つイザヤ 43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。 43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。 43:3 わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバをあなたの代償とする。 43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。 43:5 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。イスラエルはサウル、ダビデ、ソロモンと王様を立てた国となりましたが、その後、北と南に分裂し、神に従わない王様が多く続きます。先ほどのヨシュアの時代から約800年後に書かれた、イザヤ書は前半の1-40章では、神に逆らい偶像礼拝をし続ける南ユダ王国の民に、神の裁きと警告を預言します。しかし後半40章-66章はバビロンへ捕囚として連れていかれるが、必ず祖国に連れ戻すと「希望と回復」の預言をしています。ちょうど悪さをした子供を懲らしめるけれども、泣いて反省した子を許し「愛しているよ」と抱きしめてくれるお父さんのようです。イザヤ書43章は、イスラエルに対する神の慰めと救いの約束を強調しています。あなた方を作った、私神がこういうのだ。あなた方はバビロンに連れていかれ、70年間苦しみ悲しみをなめるが、私は必ずあなた方を祖国に連れ帰る。恐れるな。私があなた方の罪を購う。あなたは私のものだ。私はあなたの名を呼んだ。たとえ火の中、水の中を通る時も、私はあなたを守る。私の目にはあなたは高価で尊く、私はあなたを愛していると語られました。イザヤ49:16 見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。手のひらに名前を刻み付けるのはとても痛いでしょう。それはイエス様の手のひらに釘が打ち付けられたことを連想させます。イエス様の十字架によってすべての罪は許され贖われたのです。それほど私たちを愛してくださっているのです。「私は神様に、これほど愛されている」と言いましょう。その神様が常に私たちとも共にいて守ってくださるのです。だから「恐れるな」と慰め、励ましてくださるのです。目の前の問題に恐れるとき、この御言葉を思い出し、自分の手を見て、イエス様の手のひらの傷を思い出しましょう。「大丈夫、神が守ってくださる。必ず最善に導かれていく」と宣言し、信頼しましょう。43:18 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。43:19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。バビロン捕囚で痛み、悲しみ、心が打ちひしがれている民に、いつまでも過去にとらわれるな、前を見よ、私は新しいことを行う、それは芽生えていると、既に始まっていると主は語られます。あなた方はそれを悟らないのかと。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。イスラエルの地、約35年前、当時の教会の牧師先生が団長となりイスラエル旅行をしました。バスで荒野を通ったのですが、草木一本もない赤茶けた岩山がまだずっと続いていました。しかし案内の方の説明により、スプリンクラーなどの開発により、そのような土地に豊かな農産物が収穫できるようになっていったそうです。まさに命のない干からびたような荒野や砂漠に道ができ大川が流れ、やがて鳥や獣、草木、人々が命を得、潤った地となっていくのだと語られたとおりです。私たちにも語られているのではないでしょうか。「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」よく聞く言葉です。私たちの将来もこのような命に満ちた潤いのある人生を送るために、自分を変えていく必要があるのではないでしょうか。過去から学ぶことはありますが、過去に囚われてはいけません。恐れや不信仰から、神様が与えようとしてくださっている祝福を逃すことがないように、悔い改めて御声に聞き従っていく信仰を求めましょう。そして、私たちの教会にもこの幻を見たいと思います。この地に建てられ30年が過ぎ、一度は閉じようと思うような時もあった教会ですが、この教会が人々に真の命、永遠の命を与えていく場所として愛が流れていく教会となっていくように、主は新しいことをなしてくださると、主の言葉に信頼して教会の将来のために祈りましょう。私たちはもう高齢だし、力もないと諦めないで、全能の神に目を向けましょう。Ⅱ歴代 14:11 アサはその神、【主】に叫び求めて言った。「【主】よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、【主】よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。【主】よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」【新改訳改訂第3版】アサ王はクシュ人の大軍が攻め込んできたときに神に祈り、神はユダに勝利を得させました。私たちは小さく弱く、力がなくても、神様は偉大です。聖霊の満たしを求めつつ一致を保ち、主に信頼していけるように祈りましょう。神様は更に励ましてくださっています。ヨハネ16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」聖書は、クリスチャンはこの世では苦難があると言っています。しかし乗り越えられない試練はないとあります。屈しないで、恐れないで、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。イエス様はすでに十字架で勝利を得、この世に勝っているのです。私たちは弱くても、勝利者であるイエス様と共に歩むなら、私たちもイエス様の勝利に預かる圧倒的な勝利者になるのです。ロ-マ 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。【新改訳改訂第3版】もう一度今朝の最後のみ言葉を確認しましょう。6:21 そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。このようにイエス様とご一緒なら、最短で目的地に着くのです。今朝はたくさんのみ言葉を引用しました。これらの御言葉を心に収め、この年も恐れないで、祈りつつ信仰をもって主に従っていきましょう。

ポイント

主は常に「恐れるな」と励ましてくださっています

①弟子たちに ②ヨシュアに ③イスラエルの民に ④私たちに