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2021年10月20日聖書の学び

本日は、箴言16章18節から「高慢の予防策」と題し、短くお話をします。

箴言 16:18 痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。

聖書は一貫して高慢を戒め、謙遜であることを教えていています。(民数記12:3、箴言11:2、マタイ5:5、1ペトロ5:5,6、ヤコブ 4:6等)15世紀を代表する画家のレオナルド・ダ・ヴィンチには次のような伝説的なエピソードがあります。ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を描き始めたときのことです。キリストの顔が思い浮かばず、ある日キリストのモデルを探しに市場に出かけました。すると一人の整った顔立ちの青年が見つかりました。早速、ダ・ヴィンチはこの青年をモデルにしてキリストの顔を描きました。青年は「僕はダ・ヴィンチ先生からスカウトされて、イエス・キリストのモデルとなったんだ。キリストのような立派なに人間になるのだ」。と公言していましたが、ちやほやされ、どんどん傲慢、高慢となり、身を滅ぼしてしまいました。月日が流れ、ダ・ヴィンチはイエスを裏切ったイスカリオテのユダを描きたいと思いモデルを探しましたが、なかなか見つかりません。そこで、刑務所を訪れたのです。モデルとなりそうな受刑者を見つけたのですが、ダ・ヴィンチの顔を見るなり、その受刑者は泣き出してしまいました。会話は次のように続きます。「何故、泣いているのかね。」、「先生、私を覚えていますか。」、「いや、覚えていないね。」、「ずーと前にキリストのモデルになった人を覚えていますか。」、「モデルを使ったことは覚えているが、モデルのことは覚えていないね。」、「先生、その時のモデルが私なのです。」ダ・ヴィンチはあまりに驚いてしまい返す言葉もなかったそうです。この逸話が歴史的に事実かどうかはわかりませんが、驕り高ぶり、高慢のもたらす結果がよくわかる例話だと思います。では、高慢にならないためにはどうしたらよいでしょうか。新約聖書には高慢への決定的に予防となる御言葉があります。フィリピの信徒への手紙2章3-8節を見てみましょう。2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。この聖句を覚えましょう。そして、高ぶりそうに感じたら暗唱し、主イエスに心を整えて頂こうではありませんか。