• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年5月16日主日礼拝 

説教題:キリストにある同労者、戦友 聖書箇所:フィリピの信徒への手紙2章19-30節

◆テモテとエパフロディトを送る2:19 さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。2:20 テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。2:21 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。2:22 テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。2:23 そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。2:24 わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。2:25 ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、2:26 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。2:27 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。2:28 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。2:29 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。2:30 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。

ハレルヤ!5月の第三主日を迎えています。私たちの教会では、先月からフィリピの信徒への手紙を学んでいて、今日はその六回目です。先週は、2章12-18節から「何を誇りますか?」と題し、三つのことを中心に学びました。①救いの達成も神が働いてくださる、②誇るべきものは主イエス、③苦しみも召命ゆえに喜べるでした。今日は、2章19-30節から「キリストにある同労者、戦友」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。獄中に捕らえられているパウロには二人の信頼ができるキリスト者がいました。一人はパウロの愛弟子のテモテで、もう一人はフィリピ教会から派遣されてきたエパフロディトです。今日の個所でパウロは愛弟子のテモテをフィリピに遣わし、エパフロディトをフィリピに帰そうとしています。今日の個所はそのための添状とも言えます。

①固い絆で結ばれた信仰の仲間を持つ

19節から参りましょう。2:19 さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。「主イエスによって希望していますとあります。単に希望していますではありません。「主イエスによって」と敢えて付け加えているのは、これから述べる内容を強調するためです。テモテを遣わすことはそれほどに重要なことなのです。また、「希望しています」と訳されている言葉は原語では嬉しく思うとも訳せる言葉です。パウロはテモテを派遣できることを嬉しく思っているのです。そのテモテですが、パウロから指導を受けパウロに忠実に仕えていました。使徒言行録16章にはパウロがテモテを一緒に伝道旅行に連れて行ったことが記されています。使徒16:3 を見てみましょう。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。パウロがいるところには常にテモテがいたのです。テモテは、パウロが獄中に捕らわれた後もパウロを助けていました。テモテの最大の働きともいえるのが獄中のパウロに代わり、その働きを十分にまっとうしたことです。テモテはパウロが情報を得えたい、勧告をしたいと思った教会を訪問したのです。テモテがテサロニケ教会やコリント教会に遣わされていたことが一テサロニケ3:6、一コリント4:17に記されています。後ほどお読みください。20節を見てみましょう。そのテモテのことをパウロは「親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいない」とあるように絶賛をしています。その具体的な理由が21-23節に書かれています。2:21 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。2:22 テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。2:23 そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。22節の後半に、「息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。」とあります。テモテは信仰の父であるパウロに対して、子が親に仕えるように仕えました。言わば、固い絆で結ばれた信仰の仲間、同労者の関係です。パウロは固い絆で結ばれた信仰の子であるテモテと共に福音宣教をしてきました、そのことで福音が前進したのです。そして、そのテモテを自分の代わりに、フィリピに遣わそうとしているのです。コヘレトの手紙4章9-12節を見てみましょう。 4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。 4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。 4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。 4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。人間が一人で出来ることには限界があります。信仰生活も同様です。信仰の仲間と助け合い、支え合い、祈り合うことが必要なのです。また、宣教、伝道も同じです。今日、先ず、覚えて頂きたいことは固い絆で結ばれた信仰の仲間を持つことです。私にも神学生時代から固い絆で結ばれた信仰の先輩と友が何名かおり、八街の礼拝にも来てくれたことがあります。神学生時代から本当に助けられ、支えられています。感謝です。24節に「主によって確信しています」とあります。1章20節では「主によって希望」する、また、23節でテモテを遣わすことには「願っています」という言葉を使っていますので、より強い言葉です。それは、まもなく、獄中から解放されるとの信仰に立った確信です。ですから、「主によって確信しています」と記したのです。ALIVE訳聖書では次のように訳しています。2:24私も、近いうちにイエス様がそちらを訪ねさせてくれると信じている。

②同労者に上下優劣はない

25節を見てみましょう。2:25 ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、パウロの働きは決して一人での力ではありませんでした。背後の祈りと支えがありました。テモテの他にも、ルカによる福音書の記者で医者のルカ(二コリント12)、シラス(使徒15)、アキラとプリスキラ夫妻(使徒18)も固い絆で結ばれた同労者でした。そして、このエパフロディトもそうで、25-30節にはエパフロディトについて記されています。エパフロディトについて多くは記されていませんが、4章18節に、教会を代表し獄中のパウロに贈り物を届けてことが書かれていますので、少なくとも、フィリピンの教会から信頼をされていた人物であったことは間違いがありません。4章18節を見てみましょう。4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。25節を英語の聖書でも見てみましょう。Phil. 2:25 Yet I considered it necessary to send to you Epaphroditus, my brother, fellow worker, and fellow soldier, but your messenger and the one who ministered to my need; (NKJV)パウロはエパフロディトを「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼んでいます。その一つ一つに意味があります。私の兄弟とありますが、これは肉体の兄弟の意味ではありません。主イエスを救い主と受け入れたものは皆、神の子で、主イエスを長子とする兄弟姉妹の関係なのです。主イエスご自身がこのように語っています。マタイ23:8bあなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。英語の映画やドラマの中で、相手のことをブラザーと呼ぶ場合がありますが、このためです。「協力者」とありますが、新改訳と口語訳では同労者と訳しています。英語の聖書では「fellow worker(同僚)」です。確かにテモテはパウロに協力をしました、しかし、この働きはパウロのための働きではありません。主イエスのための働きで、その働きに上下優劣はありません。従って協力者よりも同労者の訳の方がベターだと私は思います。教会によっては牧師、役員、信徒と分けられている場合がありますが、これは役割が異なるだけで上下優劣の関係ではないのです。師は主イエスキリストお一人です。最後、に「戦友(fellow soldier)」と称しています。福音宣教のための戦いに苦楽を分かち合う戦友と呼んだのです。英語の聖書では仲間の戦士です。パウロは、今、獄中で書いているこの手紙をフィリピに戻る主に在る兄弟、同労者で戦友エパフロディトに託そうとしていたのです。そのエパフロディトを戻す理由が26-28節です。今日、二番目に覚えて頂きたいことは同労者に上下優劣はないということです。

③主の働きには勇気が必要

2:26 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。2:27 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。2:28 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。2:28 Therefore I am all the more eager to send him, so that when you see him again you may be glad and I may have less anxiety.(NIV)ここにはエパフロディトが瀕死の重病にかかりましたが、主の憐みにより癒されたこと。そして、フィリピの人々への再会を望んでいる。それ故、パウロはエパフロディトを大急ぎで、フィリピに戻そうとしていることが記されています。エパフロディトはフィリピの教会からの獄中までの長旅をしました。獄中の場所は断定できませんが、ローマとの説があります。仮にローマだとすると直線距離で1000Km以上での長旅です。長旅で疲労もあったでしょう。また。福音宣教の戦士としての働き、更には迫害も受けたことでしょう。そのため「ひん死の重病」にかかってしまったのです。病名はわかりませんが、一説によると当時、流行していたローマ熱ではないかと言われています。そして、この「ひん死の重病」にかかってしまったことが、フィリピの人々に知られてしまい、フィリピの人々に自分のことで心配をかけてしまったことをエパフロディトは心苦しく思っているのです。そして、パウロは主にある同労者、戦友であるエパフロディトを送り返すことによってパウロ自身の不安が軽減されるのです。悲しみが和らぐでしょうと訳された言葉は原語では不安が減るの意味がありますので、英語の聖書では「less anxiety」と訳しています。29,30節を見てみましょう。2:29 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。2:30 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。29節は「だから」と始まります。25節以降で述べて内容を受けて、パウロは送り返すエパフロディトのことを歓迎し、敬いなさいと記しています。その理由が続く30節にも記されています。フィリピの人に代わって、パウロの側で「キリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」からです。エパフロディトは主イエスのために自分の命を危険にさらすことを気にもかけなかったのです。紀元252年、カルタゴにペストが大流行しました。異教徒たちは病人の死体を投げ捨てて、恐怖にかられ町を逃げ出しました。時のカルタゴ主教のキプリアヌスは、教会員を集め、ペストの病人を看護させ、死体を葬らせました。教会員が自分の命を危険にさらして働くことによって、町は滅亡を逃れることが出来たのです。クリスチャンは時に、主イエスのため、世の人々のために自分の命を危険にさらすほどの勇気が求められるのです。最後に覚えて頂きたいことは主の働きには勇気が必要ということです。御霊に満たされ主の働きが大胆にできるよう勇気を与えて頂きましょう。

Today’s point①固い絆で結ばれた信仰の仲間を持つ、②同労者に上下優劣はない、③主の働きには勇気が必要Thinking time同労者、戦友をどのように励ましますか。