• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年6月27日主日礼拝 

説教題:信仰生活の秘訣~私を強くして下さるお方~ 聖書箇所:フィリピの信徒への手紙4章10-23節

◆贈り物への感謝4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした 。4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。4:20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。◆結びの言葉 4:21 キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。4:22 すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

ハレルヤ!6 月の第四主日を迎えています。私たちの教会では、4月からフィリピの信徒への手紙を学んでいて、今日はその9回目で最後となります。先週は 4章1-9節を通し、「主イエスにおいて~in the lord~」と題して、三つのことを中心に学びました。①主イエスによる一致、②喜びも主にあるから、③思い煩いも主イエスが解決、でした。 今日は、4章10-23節をから「信仰生活の秘訣~私を強くして下さるお方~」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう

①主が強めてくださる

10, 11節を見てみましょう。4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。「わたしへの心遭い」 とあります。今日の個所にはパウロがこの手紙を書いた理由の一つが記されています。エパフロディトから受け取った贈り物に対するお礼を伝えたかったのです。贈り物の使者(エパフロディト)については2章で学びましたが、今日の個所は贈り物そのものについて記されています。手紙が終わりに近づいているので、贈り物に対して丁寧に感謝を言い表しています。「それを表す機会がなかった」とありますので、贈り物を受け取ってから、なんらかの事情ですぐにはお礼の手紙が書けなかったのでしょう。「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」とあります。獄中にいるパウロにとって、主にある兄弟姉妹からの贈り物は物質的なものだけではありません。兄弟姉妹の祈りと励ましは何よりの贈り物だったでしょう。大いに支えられていたことでしょう。そして、この満足は自分自身から来るものではありません。キリストによる満足です。具体的には続く12,13節で述べられています。4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。4:13 I can do all things through Christ which strengtheneth me. (KJB)貧しく暮らす、豊かに暮らす」とありますが、経済的にどう暮らすかはパウロにとって重要なことではありませせん。それは、秘訣を得ているからですが、私たちはどうでしょうか。豊かに喜らしているときは信仰が順調で、貧しくなると信仰から離れてしまったりはしていないでしょうか。また、逆に貧しい時に信仰を持ち、豊かになると信仰が弱くなったり、信仰から離れてしまったりはしていないでしょうか。今、心を探ってみたいと思います。パウロはその秘訣を12節の後半と13節で語ります。12節半を見てみましょう。「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」とあります。限定された場合の秘策ではありません。万能の秘訣なのです。その具体的な理由が13節です。英語の聖書と一緒に見てみましょう。「わたしを強めてくださる方のお陰で 」あります。英語では「through Christ」 です。始めから終わりまでキリストを通してという意味です。この個所は、パウロの徹底した自己否定、無力の告白です。私たちは どうでしょうか。何かものごとを達成したり、 うまくいったりしたときに自分の力の結果だなどと思いあがってはいないでしょうか。この秘訣は「わたしを強めてくださる方」、つまり主イエスによって、私たちの信仰生活の「すべて」に当てはまる万能の秘訣なのです。今日、先ず覚えて頂きたいことは主が強めてくださるということです。この13節の御言葉は私たちの教会の今年度の御言葉です。信仰生活は、嬉しいとき、楽しいときだけではありません。苦しい時、辛い時があります。そんな時はこの御言葉を思い出し、乗り越えて参りましょう。

②喜んで捧げる

14-16節を見てみましょう。4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。14節に、「よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」 とあります。 フィリピの人々の親切さを再び述べています。15節には「もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。」とあります。パウロがマケドニアで初めて福音を伝えた時から、フィリピの人たちだけがパウロに物資の援助をしていたのです。パウロはフィリピを離れテサ□ニケにむかったのですが、テサロニケにいるときもフィリピの人たちはパウロの 「窮乏を救おうとして但度も物を送っ」たのです。経済的にパウロを助けることによって、主の働きに参与したのです。パウロはこのフィリピの人々の捧げもについて、コリントの信徒への手紙二で次のように記しています。◆自発的な施し8:1 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。 8:2 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。「マケドニア州の諸教会」とありますので、 フィリピ教会も含まれると思われます。フィリピの教会からの捧げものは、 経済的にゆとりがなく、「満ち満ちた喜びと極度の貧しさ」 の中から「惜しまず施」されたものです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは喜んで捧げるということです。旧約聖書のマラキ書3章には捧げものについて記されています。3章10節を見てみましょう。3:10 十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう。「わたしを試してみよ」とありますが、申命記6章16節には 、「主を試してはならない」と記されています。 6:16 あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。この御言葉は主イエスが荒野で悪魔から誘惑をされたときにも使っているほどです。従って、このマラキ3章16節は唯一の例外です。 神、万軍の主が試みて良いから捧げてみなさいと宣言しているのです。神は喜んで捧げるものを豊かに祝福してくださるのです。パウロは贈り物を遠慮することなく受けとりました。パウロはフィリピの人達に「経済的にゆとりがないのだから、無理に捧げなくても良いのだよ」とは言いませんでした。その理由が17.18節です。17.18節を見てみましょう。4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。「あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。」とあります。パウロはフィリピの 兄弟姉妹の 「豊かな実」、つまり、信仰状態を喜んでいるのです。 聖書学者のウイリアム・ バークレーはこの個所を次のように著書の中で記しています。「神の富は、神を愛し隣人を 愛する人に解放されている。 贈り物をする人は決して以前にもまして貧しくなることはい。むしろ、自分の贈り物が神の賜物と富を解放することになるため、以前にもまして富んだものになれる」と。

③必要は満たされる

19節を英語の聖書ととも見てみましょう。4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。4:19 But my God shall supply all your need according to his riches in glory by Christ Jesus.(KJB)必要なものをすべて満たしてくださいます」とありますが、私には忘れられない思い出が あります。教会に通い始めたときのことです。当時、私はそれまでの人生の中で、一番、経済的に厳しい状態でしたので、欲しいものがあっても我慢していました。すると不思議なことに教会に関して、欲しいと思ったものが次から次へと与えられたのです。一つだけご紹介 します。当時、私が持っていた聖書は教会から頂いたギデオン協会の新約のバイリンガルの 聖書でした。旧約聖書も英語で読みたいと思っていたのですが、高価で買えません。そんなある日、ある方からプレゼントをされたのです。このようなことが次から次へとおこったときにこの聖句を読みましたので、私は勝手にフィリピの法則と名付けていました。必要なものは全て与えられる。逆に言えば不必要なものは与えられないのです。今日、三番目に覚えて頂きたいことは必要は満たされるということです。このことを理解して以来、私の欲しいものに対する考えがかたが一転しました。英語の聖書ではSupplyが使われています。 Supplyの基本的な意味は不足しているものを補充するの意味です。名詞形はSupplementで、不足している栄養価を補う健康食品の意味もあります。

④キリストー筋に生きる

先程、喜んで捧げると話しましたが、神が私たちに求めておられる最大の捧げものは私たち自身ではないでしょうか。献身です。献身というと 伝道者や牧師になることと思うかもしれませんが、そうではありません。献身とは自分の利益をかえりみずに仕えることですので、キリスト者は全員が献身者なのです。良く何々マニアと呼ばれる方がいます。カーマニアもそうです。明けてもくれても車のことばかりを考えている人のことです。キリスト者もそうあるべきではないでしょうか。クリスチャンという 言葉は、元々、キリストー筋に生きる人に付けられたあだなだと聞いたことがあります。神が私たちに求めておられる最大の捧げものが献身なのです。人が神の栄光を認め、それに 服することなのです。ですから、20節4:20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。と声高らからかに言えるのです。今日、最後に覚えて頂き他たいことはキリストー筋に生きるということです。 21-23節を見てみましょう。4:21 キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。4:22 すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。この個所は最後の挨拶と祝福です。「すべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。」と述べ 、連名のように三つの群れからも挨拶を送っていることが記されています。わたしと一緒にいる兄弟聖なる者たち、皇帝の家の人たちです。「皇帝の家の人たち」 とは原語ではカイザル家のものたちの意味で、今でいうと皇帝に仕えていた公務員のような クリスチャンです。23節は祝祷です。これはパウロ書簡の特長ですが、この喜びに輝くフィリピの信徒への手紙も祝祷をもって始まり(1章2節)、祝祷をもって閉じられています。

Today’s point ①主が強めてくださる ②喜んで捧げる ③必要は満たされる④キリストー筋に生きる

Thinking time私にはできないと諦めてはいませんか。どうしますか。