• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年7月21日聖書の学び

本日は、士師記16章28-31節から「祈りに応えてくださる神なる主」と題して短くお話をします。

16:28 サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 16:29 それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。 16:30 そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。 16:31 彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。

今日は、サムソンの最後の言葉から学びたいと思います。サムソンについては士師記13章-16章に記されていますので、後ほどお読みください。要約をしますと、士師記には12名の士師が記されていますが、サムソンはその最後の士師です。サムソンはナジル人の出身で子どもの頃から怪力でした。やがて、青年となりデリラ​と​いう​名前​の​女に好意を寄せるのですが、デリラはペリシテ人から1,100枚の銀貨と引き換えにサムソンの怪力の秘密を​探るように買収をされていたのです。当初、サムソンはデリラからの怪力の秘密の問いに嘘をついてとぼけていたのですが、デリラから嘘をつくのは愛情がないからだと詰め寄られ、ついに「ナジル人の請願(民数記6章1-8節)」という秘密を打ち明けてしまいました。ペリシテ​人​たちは怪力が​なくなってしまったサムソン​の両方​の​目​を​くりぬい​て奴隷​に​し​ます。ある日、ペリシテ​人​は​ダゴン​の​神​を​崇拝​する​ため​に​集会を​開き​、サムソン​を嘲るために​連れ出したのです。しかし、サムソン​の​髪​の​毛​は​再び​長く​なっ​て​い​たのです。その時、サムソンは「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。」と祈り始めました。サムソンの失敗は神との関係を第一とせず、デリラとの関係を優先してしまったことです。神よりも人間との関係を優先することは、神がともにいて下さることを否定することに繋がります。しかし、サムソンは最後の最後で悔恨のうちに主に呼びかけたのです。サムソンは真の力がどこからくるのか、自分を強めてくださるお方が誰なのかを思いだしたのです。罪を悔い改め、神との関係の回復を願い求め、神の憐みにすがろうとするサムソンの姿は、私たちの信仰生活の模範とすべきものです。そして、神がサムソンの最後の祈りに応えてくださったことは私したちにとって大きな慰めであり希望です。