• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年1月12日聖書の学び

本日は、創世記45章5節から「奇しき御業」と題し、短くお話をします。

45:5 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。

この聖句はヨセフ物語の頂点と言えます。ヨセフ物語を要約します。ヨセフは父ヤコブと母ラケルとの間に生まれました。年をとってからの子でしたので、父ヤコブからに特別に寵愛をされていました(創世記37:3)。そのことで、10名の異母兄から疎まれていました(創世記37:4)。また、ヨセフは夢でみたこと(創世記37:7)を兄たちに伝えたところ、彼らの妬みにあい、エジプトへ向かうイシュマエル人の隊商に身売りされてしまうのです(創世記37:28)。エジプトに連れて行かれましたが、主がともにおられたで、ファラオの侍従長に家の管理を任されます(創世記39:2,3)。しかし、侍従長の妻の誘惑を断った為、濡れ衣を着せられ投獄されてしまったのです(創世記39:20)。獄中で、給仕長の無実を見抜き釈放され、またエジプト王パロの夢(創世記41)を、七年間の豊作と、その後の七年間の飢饉と夢解きし、宮廷の責任者の地位を得たのです(創世記41:40,41)。数年後、ヨセフの夢解きのとおり飢饉がおこります。ヨセフの兄たちは、食料求めエジプトへと旅立ったのです(創世記42:3)。無事、エジプトで食料を与えられたヨセフの兄たちは、父ヤコブの下へと戻り、ヨセフの要求通り、末子ベニヤミンを連れ再びエジプトを訪れ、ヨセフと再会をします(創世記43:15)。兄のユダが父ヤコブとベニヤミンの事を語るのを聞くにうちに、ヨセフは自制をする事が出来なくなり、兄たちに自分がエジプトに売られた弟のヨセフだと明かすのです。今日の御言葉はその時に語られたものです。兄たちは猛省し、ヨセフもまた兄弟たちを許します。ヨセフは、自分を導いてくださった神の奇しき御業を顧みて、全ての事が神の導きであることを知り、兄たちを許したのです。その後、一族はエジプトへと移住したのです。神の導きは神学用語では摂理と言い、英語ではprovidenceです。この英語を分解すると、なぜ神様が私たちを最善に導くことが出来るのかが良くわかります。providenceのpro-「前に」vide「見る」-ence「もの、こと」です。私たちは私たちの前にあることを見ることが出来ません。将来の事、数年先の事だけではありません。日常生活でもそうです。例えば、交通渋滞の時、前の車が大型トラックの場合などがそうです。前が見えずに、渋滞の原因がわからずにイラついてしまったことはないでしょうか。しかし、神様は時空を超えたお方です。神様は私たちの将来に起こることを前もって知っておられるのです。だから、私たちを最善の方向へ導くことが出来るのです。私たちには、これから起ることを前もって見ることはできませんが、神様はそれを見ることが出来るのです。今、苦難の最中におられる方もいると思いますが、いつの日か、「あれは、このためだったのか。」と「奇しき御業」を実感できる時が必ず来るものです。