• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年11月9日聖書の学び

本日は、マタイによる福音書13章44節から「知恵を祈り求める」と題して短くお話をします。

13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

日本基督教団 駒場エデン教会元牧師の笹森建美(1933年5月10日 – 2017年8月15日])先生が書かれた「宝のありか」とうい作品があります。簡単にご紹介をします。「あるところに大きなぶどう園を持っている人がいましたが、息子たちは怠け者で一向に働こうとはしませんでした。父親が年をとって働けなくなってきても息子たちは、全然働きません。このままではぶどう園がだめになってしまうことを知った父親は、ある方法を考えました。それは父親が死んでから実行にうつされました。父親は死ぬ前に息子たちを呼んで、宝物をたくさんぶどう畑にかくしておいたから掘りあてた者にぜんぶやろうと言い残しました。普段は、鍬など手に持ったことのない息子たちが、先を争って一生懸命畑を掘って歩きましたが、なかなかその宝物はみつかりません。しかし、ぶどうのみのる時になって、宝を探す息子たちの手によってよく耕された畑のぶどうはたくさんの実をみのらせていました。その時に、はじめて息子たちは、父親のいっている宝のことがわかったのです。」主イエスは天の国について例え話を用いて語られました。発見と発明はことなります。発明とはいま存在していないものを作り上げることで、発見とは既に存在しているのですが、その存在に気が付いていないもの、隠されているものに気が付くということです。主イエスが語られた例え話には、畑に隠されていた宝を発見し、全財産を売り払ってでも、その畑ごと買い取った人の喜び、長年探していた良い真珠を発見して、持ち物全部を売り払って、その真珠を買い取った商人の喜びが描かれています。天国の素晴らしさが読み取れます。主イエスを救い主と信じ受け入れるだけで天国に行けるという福音は約二千年前から存在ししていますが、日本では人口の99%の方が未だに発見をしていません。これから、クリスマスシーズンを迎えます。伝道には最適な時期ですが、コロナ禍ですのでイベントは出来ないかもしれません。笹森先生が書かれた「宝のありか」の父親のように、未信者の方が真の宝を発見できるための知恵を祈り求めようではありませんか。