• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年3月16日聖書の学び

本日は、ヨハネによる福音書12章24節と14章6節から「雪の山を歩く」と題し、短くお話をします。

12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

ケルンと呼ばれるものがあります。山頂や登山道、分岐点、行き先などを表すために、小石を円錐型(三角型)に積んだものです。道標として使われていたのもですが、過去に大きな遭難があった場所に誤って行かないように目印として積まれるものもありますし、遭難者を弔って積む場合もあります。

1998年に開催された長野オリンピックのアルペンスキー競技の会場でもあった八方尾根にはケルンが二つあります。二番目のケルンは息ケルン(やすむケルン)とも呼ばれています。その由来は、昭和12年のクリスマスの翌日、山にスキーに来ていたクリスチャンが吹雪にあって遭難死したことで、後の登山者が二度と道に迷うことがないようにと、遭難死をした息(やすむ)さんの父親で牧師の方が建てたのです。ケーブルカーのない時代、石やセメントを運びケルンを作る作業は大変なものでしたが、友人の助けを得てなんとか完成をしました。その結果、息子の尊い命を失ったかわりに建てられたケルンにより、多くの生命を救うことが出来たのです。ケルンには「息ケルン 昭和12年12月26日 長男息 猛吹雪の為 遭難永眠す 記念として ここの指導者様を建立す 昭和13年10月 父西阪保治 山本惣十郎」と刻まれています。遭難死した息子の名前が「やすむ」なので「やすむケルン」と名付けられたのです。

主イエスもひとりの死が多くの人たちのためになることをご自身の死を覚えて次のように語られています。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」ちょうど吹雪や濃い霧で道を失った時のように、私たちの長い人生においても迷ってしまい進むべき道を見失ってしまうことがあります。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われました。主イエスこそ私たちが歩むべき真の道なのです。雪の山を歩くことは大変なことです。しかし、誰か歩くとその人の足跡がつき、後から来る人の目印となります。私たちはどうでしょうか。主イエスの道を歩むものとして、雪の山を率先して歩けるでしょうか。