• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年3月6日主日礼拝  

説教題:祈りと賢いふるまい~チャンスを見逃すな!~ 聖書箇所:コロサイの信徒への手紙4章2-18節

◆勧めの言葉4:2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。◆結びの言葉4:7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。4:8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。4:9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟、オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。4:10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。4:11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。4:12 あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。4:13 わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。4:14 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。4:15 ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。4:16 この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。4:17 アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。4:18 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。

ハレルヤ!3月の第一主日を迎えています。今、私たちの教会ではコロサイの信徒への手紙を講解で学んでいて、今日はその八回目で、最後となります。先週は3章18節-4章1節を通し、「主にある家庭内の人間関係」と題し三つのことを中心にお話をしました。キリストに従うように相手に従う、励ましと希望を与える、キリスト者には差別がないでした。今日は続く4章2-18節から「祈りと賢いふるまい~チャンスを見逃すな!~」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。

①牧師のためにお祈りください

2-4節を見てみましょう。4:2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。2-4節は祈りについての勧めです。キリスト者とはキリストが与えてくださる平安によって歩む者、キリストの御心にかなった歩みをする者、キリストの御名によって歩む者です。これらの事は自動的に出来るものではありません。祈りが必要なのです。2節に「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」とありますが、マタイによる福音書には主がゲッセマネで祈っていた時に弟子が眠ってしまったことが記されています。マタイ26:40 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。コロサイの教会に実際に祈っている間に寝てしまった人がいたかはわかりませんが、パウロが「目を覚まして」と記しているのは実際に眠ってしまうことよりも、眠ったように祈るなという勧めだと考えられます。眠ったような祈りとは、形式的な祈りです。祈りは神との対話です。神の臨在の中での対話です。新興宗教の中には、祈りが祈祷文になっていて、それを読み上げればそれで良いそうなのですが、聖書が教える祈りは生ける主との交わりです。祈りは自由ですが、時に忍耐が求められることもあります。この忍耐の祈りは自分の力だけで出来るものではありません。聖霊の助けがあって可能となるのです。このコロサイの信徒への手紙と同様に、獄中で記されたエフェソの信徒への手紙6章18節に記されている通りです。6:18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。聖霊の助けを頂きながら祈ると自然に感謝の心が沸き上がるものなのです。祈りも含め信仰生活の全ての歩みは聖霊の助けによるものです。パウロは続いて「この計画を明らかにできるように祈ってください。」と語ります。4節です。パウロは自分の弱さ不完全さを認めつつ、祈りの要請をしているのです。パウロは獄中にいますしかし、獄中から解放される祈りの要請はしていないのです。獄中にいる理由は3節の「神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。」です。「秘められた計画」とありますが、全ての人を救うキリストの福音です。獄中にあってもパウロは主から委ねられた福音を伝えるという使命を忘れることはないのです。パウロが様々な苦難にあっても常に前進をすることが出来たのは、この使命感に生きたからです。パウロにとっての第一の願いは福音を広めることですから、「わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。」と祈りの要請をしたのです。エフェソの信徒への手紙にも同様な御言葉があります。 6:20 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。エフェソの信徒への手紙も獄中で記されています。しかし、パウロはこの手紙においても獄中から解放される祈りの要請をしてないのです。ウィリアム・ケアリー(William Carey、1761年 – 1834年)というイギリス出身の宣教師がいます。インドへの宣教に重荷を持ち、一度も帰国することなく、インドで天国にいきました。ベンガル語訳聖書を含め7ヶ国語の聖書を完成した偉業で有名です。そのケリーの働きには妹のマリアの祈りがあったと言われています。マリアは25歳の時に全身不随となり口がきけなくなってしまったのですが、いついかなる時も、異国にいる兄のために手紙を書き続け祈り続けたのです。この手紙の多くが見つかり残存しています。この兄妹を知るある方は「マリアの背後の働きは、兄ケアリーがなした大事業に匹敵するものだ。」と述べました。4:3 aをもう一度見てみましょう。4:3 a同時にわたしたちのためにも祈ってください。パウロは偉大な伝道者であり配慮に長けた牧者でもありました。そのパウロが祈ってくださいとのお願いをしているのです。是非、日々の祈りに未熟な私たちが牧師として成長するよう、御心にそった主の働きが出来るようお祈りください。今日、先ず覚えて頂きたいことは牧師のために祈るということです。是非、私たちのためにお祈りください。

②伝道の好機を見逃さない

5節を見てみましょう。4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。5,6節は未信者の方への接し方が記されています。初代教会時代、キリスト者は未信者から様々な中傷を受けていました。例えば、皇帝礼拝をしないので愛国心がないと攻撃をされていました。ですから、パウロはこのような中傷や攻撃に打ち勝つ方法として、「時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。」と勧めるのです。「時」と訳されていますが、原語のギリシャ語ではκαιρός (カイロス)です。ギリシャ語で時を現す言葉にχρόνος (クロノス)もありますが、カイロスは機会、場合という意味で、クロノスは一定の期間です。ですから、英語の聖書ではCol.4:5 Be wise in the way you act toward outsiders; make the most of every opportunity.(NIV)と訳されているものもあります。make the most of every opportunityを訳すと全ての好機を最大限に利用しなさいです。大事な事は、福音を伝えるチャンスが来るのをただ待っているのではありません。伝道の好機を見逃さないよう注視している必要があるのです。今日、二番目に覚えて頂きことは伝道の好機を見逃さないということです。6節を見てみましょう。4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。「塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」とありますが、塩は、風味を与え、また腐敗を防ぐためものです。主イエスご自身が、山上の垂訓でキリスト者は地の塩であるように命じています。マタイ5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。キリスト者は存在自体が地の塩なのです。

③名前を書きだして祈る

7節から18節は挨拶と祝祷です。ここにはティキコ、オネシモ、アリスタルコ、バルナバ、マルコ、ユスト、エパフラス、ルカ、デマス、ニンファ、アルキポと12名の人名があげられていますが、不詳の方もおり、主だった方を見て参りましょう。7-9節を見てみましょう。4:7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。4:8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。4:9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟、オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。この箇所には愛すべき忠実な兄弟たちについて記されています。この手紙が書かれた当時、郵便制度はありませんから、手紙は誰か受取人迄持っていく必要がありました。その人は誰でも良いというわけにはいきません。先ず、信頼ができること。そして、不測の事態に遭っても忠実にその職務を全うきる能力が求められます。パウロは二人のキリスト者にその任を託しました。ティキコとオネシモです。ティキコに対して、パウロ「彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。」と紹介し、オネシモに対しては忠実な愛する兄弟」と語る通りです。オネシモの名前は「有益、利益」を意味するオネシーシスに由来します。しかし、主人であるフィレモンから逃亡した「無益な者」でしかなかったのですが、今や主にあって、その名の通り「有益な者」にかえられたのです。このオネシモについては、来週と再来週の二回に分けてフィレモンへの手紙で学びます。10-14節は神の国の同労者についてです。10,11節を見てみましょう。4:10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。4:11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。「バルナバのいとこのマルコ」とあります。マルコはパウロの第一次伝道旅行にバルナバと共に同行するのですが、途中で帰ってしまったことがありました。そのことで第二回の伝道旅行にパウロとバルナバで意見の相違があり、パウロはマルコの代わりにシラスを連れて行き、バルナバがマルコを連れてそれぞれの伝道旅行にたったのでした。年月が流れそのマルコが主に在って成長をし、マルコによる福音書を記すことになるのです。12,13節を見てみましょう。4:12 あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。4:13 わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。13節に「ラオディキアとヒエラポリスの人々のため」とあります。コロサイの教会があったリュコス渓谷にはコロサイを含め三つの教会があったことがわかります。インターネットで検索をしますと、コロサイからヒエラポリスまで約32kmです。14節を見てみましょう。4:14 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。「愛する医者ルカ」とありますが、ルカによる福音書の記者のルカです。ルカが医者であることは有名ですが、ルカが医者だったことは福音書には記されていません。この箇所が証拠です。15-17節を見てみましょう。4:15 ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。4:16 この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。4:17 アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。16節からこの手紙は回状だったことがわかります。コロサイの教会とラオディキアの教会です。聖書にはその記述はありませんが、ヒエラポリスの教会も含まれていたかもしれません。18節を見てみましょう。4:18 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。18節はこの手紙が自筆である証拠と祝祷です。コロサイの信徒への手紙も祝祷で始まり祝祷で終わります。1章1,2節には次のように記されています。1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、 1:2 コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。この7節から18節に記されていることからとても大事な適用がわかります。それは、キリスト者であろうがなかろうが、周りの人、感謝すべき人、お世話になっている方などの名前を書きだすことです。そして、それらの方のために主の豊かな祝福があるように祈ることです。また、未信者であれば一日も早く救われるよういのりましょう。また、これはオイコスマップと言われ、未信者の救いのためのものです。オイコスとはギリシャ語で家、財産の意味です。名前を記入して救いを祈るのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは名前を書きだして祈るということです。永遠の命というかけがえのない財産を増やそうではありませんか。

Today’s Point①牧師のためにお祈りください、②伝道の好機を見逃さない、③名前を書きだして祈る

Thinking Time「塩で味付けされた快い言葉」を使っていますか。