• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年4月20日聖書の学び

本日は、ヨブ記42章8節から「友のための祈り」と題して短くお話をします。

42:8 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

16世紀になった頃のお話しです。フランスにハンスとデューラーというとても仲の良い二人の若者がいました。二人とも画家を目指していたのですが、非常に貧しく絵を勉強するお金がありません。そんなある日、二人は妙案を思いつきました。一人が働いて、もう一人の学費を稼ぐ。もう一人はその学費で勉強に専念する。そして、何年か経ったら、逆のことをし、結果として二人とも絵のを学び画家になるという考えでした。先ず、ハンスが働くことになりました。ハンスは鉄工所で汗水をたらしながら、ベニスで学んでいるデューラーのためにお金を送り続けました。そのおかげでデューラーは名の知れた画家になり、故郷に戻りハンスを訪ねました。デューラーがハンスの手を見た時、涙が止まらなくなりました。今度はデューラーが働きハンスが学ぶ番ですが、鉄工所でのきつい労働の結果、ハンスの指は曲がってしまい、二度と絵を描くことなどできなくなってしまっていたのです。デューラーは悲しみ、同時に苦しみました。「自分が友達の夢を壊してしまったのだ」と。罪責感に苦しみながら日々が過ぎ、デューラーはもう一度ハンスの家を訪ねました。すると、ハンスが祈っている声が聞こえてきました。歪んでしまった指の手を合わせ、一心に祈っています。「主よ、デューラーは、私のことで自分を責めて苦しんでいます。どうかこれ以上責めたり苦しんだりすることがありませんように。そして、私のかわりに、これからも人の心を感動させる絵が描けますように。」と。デューラーはハンスの友情に目頭が熱くなりました。自分のことを恨んでいるに違いないと思っていたからです。祈りが終わった後、「お願いだ。君の手を描かせてくれ!君のこの手でボクは画家になれたのだ」と。これが、アルブレヒト・デューラーの名画「祈る手」が生まれた背景と言われています。 ヨブ記にはヨブの三人の友人が記されています。ヨブが大きな災難に遭った時に見舞いに来た三人の友人のテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルです。昔はとても裕福だったヨブが一文無しになり病気にもなり、あまりにも変わり果てた姿をみて、きっとヨブには隠れた罪があり、それを告白し悔い改めるよう迫ったのです。苦しみの最中にある友人を励ますどころか、責めてしまったのです。そして、そのことは後で主から厳しく叱責を受けます。8節は主がエリファズに語られた言葉です。ヨブは主が語られた通り友のために祈り、三人の友人は罰を免れることが出来たのです。ちょっとした誤解から友と疎遠になることもありますが、主が解決をしてくださる事を信じ、友のため執り成しの祈りに励みましょう。

「祈りの手」画像↓

https://yachimatagcchurch.org/wp-content/uploads/2022/04/inorinote.jpg