• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年4月3日主日礼拝 

説教題:恵みのアルプス、教理のエッセンス 聖書箇所:ローマの信徒への手紙8章26-30節

8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。8:30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

ハレルヤ!四月の第一主日を迎えています。2022年度が始まりました。今年度もよろしくお願いします。先週はイザヤ書6章1-13節から「イザヤが見たもの~我こそ罪びと~」と題し三つのことを中心にお話をしました。➀主ご自身を褒め称え、賛美する、②我こそ罪びと、③主から与えられた希望は持ち続けるでした。 今日はローマの信徒への手紙8章26-30節から「恵みのアルプス、教理のエッセンス」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。古今東西、多くの方がこのローマの信徒への手紙を褒め称えています。マルティン・ルターは「新約聖書中もっとも重要な書簡であり、すべてのキリスト者によって精読されるべきもの」と激賞しました。ローマの信徒への手紙を読むときに留意する二つのキーワードがあります。「肉」と「霊(聖霊)」です。8章は「御霊の法則」とも言われ、聖書の中で最も愛読されている章の一つで28節は今年度の私たちの年度聖句です。とても励まされる聖句ですので、愛唱聖句の一つとされている方が多いと思います。わたしもその一人です。見落としがちですが、28節の前後の26,27節と29,30節にもとても大事なことが記されています。

①聖霊が執成しの祈りをしてくださる

それでは、26節から見てみましょう。8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。26と27節は祈りについての教えです。「同様に、」とあります。これは、5-17節までに記された「三つの聖霊の働きと同様に」の意味ですが。その確認をしてみましょう。

➀聖霊は肉を制する(5-13節)、②聖霊は私たちが神の子であることを証する(14-16節)、③聖霊は私たちが御国を引き継ぐことを保証する(17節)。26節には聖霊が私たちの祈る時、「弱いわたしたちを」を助けてくれることが記されています。私たちの弱さは肉体的弱さと霊的な弱さに二分できます。私たちは疲れますし、病気にもなります。これが肉体的な弱さです。霊的な弱さとはなんでしょうか。例えば健康で夜ぐっすり眠れて朝もちゃんと起きます。しかし、それにもかかわらず聖書を読みたくない、祈る気分でない時がありませんか。これが霊的弱さです。祈りは神との対話です。神の臨在の中での対話です。聖書が教える祈りは形式的な祈りではありません。生ける主との交わりです。このように様々な弱さを持つ私たちですので、祈り方がわからなくなってしまう場合があります。そんな時、「霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」のです。「うめき」とありますが、どのようなことでしょうか。内村鑑三先生は「うめき」を次のように解説をしています。「人間は言葉で表現する喜びとか悲しみがありますけれども、人間が発生する一番深い、心の奥底を表現するものはうめきだ。あーとか、うーとか、おーとか、言葉にならない言葉だ。感嘆詞と言われるものです。しかし、その音声の中に最も深い人間の苦悩が、あるいは最も現したいこと、感動することが含まれるのだ」と。27節を見てみましょう。8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。「人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。」とあります。だれよりも人間の心をご存じなのは神です。その神は私たちのために執り成してくださる聖霊の思いもご存じなのです。主イエスも山上の垂訓で次のように語りました。マタイによる福音書6章8節を見てみましょう。6:8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。ところで、神は全てをご存じなのに何故、祈る必要があるのかと思う方がいるかもしれませんが、理由は二つあります。先ず、神が命じておられるからです。テサロニケの信徒への手紙一5章17節に記されている通りです。 5:17 絶えず祈りなさい。二番目の理由は、祈りの具体的内容は私たち自身に必要なのです。祈りとは、私たちが自分の弱さと欠けを知り、何が必要であるかを知るためになのです。このことを覚えて祈る。それゆえ、神が私たちの祈りに応えてくださったことがわかり、神に感謝をささげることが出来るのです。27節の後半に “霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」とあります聖霊がうめき、内村先生の解説を借りれば聖霊が最も深い人間の苦悩、最も現したいこと、感動することをもって私たちの代わりに執り成しの祈りをしてくださるのです。私たちは弱い存在です。ですから、助け主なる聖霊が助けてくださるのです。一つ注意したいことがあります。弱さ自体は罪ではないという事です。主に頼らず、聖霊の助けを求めずに弱さのままでいることで罪を犯してしまうものなのです。キリスト者の信仰生活は弱さを認め主に寄り頼むことです。今日、先ず覚えて頂きことは聖霊が執成しの祈りをしてくださるということです。これも恵です。

②すべては神の御計画に基づく

28節を英語の聖書と一緒に見てみましょう。8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。And we know that all things work together for good to them that love God, to them who are the called according to his purpose. (KJ B)28節は原文では「わたしたちは知っています。」から始まります。英語の聖書もそうです。パウロはこの奥義ともいえる事実「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」を知っていると語ります。この知っていると訳された言葉は知識として知っている、聞き及んで知っているという意味ではりません。直接、経験的、体験的に知っているという意味です。日本語の知っているには直接的と間接的な両方の意味がありますが、英語のknowは直接、know aboutは間接的に知っている場合に使います。ですから英語の聖書はknowが使われているのです。Know aboutではありません。28節にはキリスト者がどのようなものであるかが二つ記されています。「神を愛する者たち」「御計画に従って召された者たち」です。つまり、キリスト者とは神を愛するものであると同時に神のご計画に従って存在を許されてものなのです。神様には計画があり、その計画によって召し出されるのです。これを神学用語では「聖定」と「聖定」にそった「有効召命」と言います。「聖定」と「有効召命」については後ほど、説明をします。キリスト教には運命という概念がありません。全てのキリスト者は神のご計画と導きにより、はっきりとした使命が与えられご計画の中に生かされている存在なのです。今日二番目に覚えて頂きことはすべては神の御計画に基づくということです。「万事が」とあります。新改訳では「すべてのこと」と訳されています。文字通り万事、全てのことです。ですから、好ましいことだけではありません。嫌なことも含まれるのです。困難、試練、病気、事故などもそうです。また、「益」と訳された言葉ですが、この原語は必ずしも試練がないとか苦難がないという意味ではありません。神がなさることは結果的には「益」をもたらしてくださるという事です。これも恵です。一つの事例をご紹介したいと思います。1820年の事です。生後6週間の赤ちゃんが医者のミスで失明しました。彼女はいろいろなところを通りながらも、神を信じ、賛美を作り続けました。彼女は、我が子が亡くなった時でさえ、神の愛に促され、賛美を続けたと言われています。一方、その医者は、周りからの目に耐え切れず、夜逃げをしてしまうのですが、ある時、彼女はその医者がずっと心を痛めていたことを知り次のように語りました。「もし今、私が彼に合うことが出来たら、伝えたいことがあります。私の目が見えなくなったことで自分を責めないで下さい。あなたにとっては失敗だったかもしれませんが、神に失敗はありません。私が肉体的に暗やみの中で生涯を暮らすことは、神のご計画だったと私は信じています。見えないことを通して多くのものを見ることができ、また見たくないものを見ないでもすんでいます。讃美を歌い、周りの人々を励ませる者にしていただいたのですから。私は世界中で一番幸せな者だと思います。今しばらくは身体の目で見ることはできません。やがて天国に行った時、私はこの目で最初に救い主イエス様を見ることができるのです。 神様はすべてを働かせて私たちに益として下さいます。この神の愛に満たされて、私は讃美しつつこの世の旅路を歩んで行きたいと思います」と。この女性はファニー・クロスビー(1820-1915)です。8,000以上の賛美歌を書きのこしました。代表作は枚挙にキリがありませんが、一つだけあげますと「救い主イエスと(新聖歌340番)原題All the Way My Savior Leads Me」が私の好みです。洗礼を受けたのだから、キリスト者には苦難などあるはずがないという考えは間違いです。新興宗教の中には入信をしたら全ての苦難から解放されるといったことをさかんにPRしている団体がありますが、キリスト教の教えはそうではありません。苦難は信仰が足りない印でも神から見放されてしまった印でもありません。キリスト者にも苦難、困難、艱難はあります。しかし、神のご計画に従って召された、キリスト者には、万事が益となるように主がなさってくださるのです。この益とは最終的に人間にとって最高の形となることも意味します。これも恵です。今日の説教題の前半の「恵みのアルプス」は、主の恵がヨーロッパのアルプス山脈のように面々と連なるイメージから名付けてみました。

③神を愛することを忘れない

29,30節を見てみましょう。8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。8:30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。28節と29,30節は「教理のエッセンス」です。エッセンスは日本語にもなっていて、本質、根源、凝縮といった意味がありますが、今日は、凝縮の意味でとらえてください。要約(サマリー)や結論(コンクルージョン)ではありません。エッセンスです。聖書の教理をギューと圧縮し縮めることが出来るならばこの箇所になります。わずか三つの聖書箇所に「聖定」「有効召命」「聖化」「義認」「栄化」というキリスト教の根幹をなす教理が書かれているのです。まさに「教理のエッセンス」としか言いようがありません。「聖定」とは先程も申し上げましたが、ご計画のことです。「有効召命」とは改革派の教会の神学用語ですが、わかりやすいので使います。「有効召命」(効果のある招き)とは聖霊の御業で、キリストに結びつけられます。召命された者は義とされ(義認)、聖い生活が始まり(聖化のスタート)、再臨の時に朽ちない体にる(栄化)これらの全てことが有効であるという意味です。テキストを見ながら説明をします。29節の「御子の姿に似たものにしよう」とは聖霊によって日々、つくりかえられ最終的には主イエスの身の丈まで成長をさせて頂けることです。これが「聖化」です。「あらかじめ定められました」は神のご計画、「聖定」です。「御子が多くの兄弟の中で長子となられるため」とあります。キリスト者は主イエスを長子とする兄弟姉妹の関係です。ですから、この世で親子であっても御国においては兄弟姉妹の関係になるのです。30節の「召し出した者たちを義とし」は「聖定」に基づき「有効召命」された人はイエスを主と告白すればどんな罪もゆるされることを意味します。これを「義認」と言います。また、「義とされた者たちに栄光」とは「義認」に授かったキリスト者は再臨のときに朽ちることのない体になることを意味します。神学用語では「栄化」です。これらはすべて恵みによるものです。パウロは自分自身で認めるほどの罪びとの頭でしたが、ダマスコの途上で救われたのです。義認の恵みに授かったのです。しかし何故、パウロは救われたのでしょうか。ガラテヤの信徒への手紙には次のように記されています 1:15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、実に、主はパウロが生まれるまえから恵みによって召してくださっているのです。神からの一方的なコールなのです。私たちも私たちが生まれる前から神のご計画に基づいて召されているのです。コロナ下、外向きな不況活動は何もできていません。大変残念なことに会堂のクローズを四回も強いられました。また、外部講師をお招きしての集会も三年連続で中止せざるを得ませんでした。福音宣教が閉ざされ続けてしまっているように思うでしょう。しかし、このような状況下にあっても神のご計画はあり、万事を益にもたらしてくださるのです。2年前の4月、コロナの影響で教会堂を初めてクローズしました。大きな決断でした。同時にインターネットを使い礼拝の配信を始めました。感謝なことに視聴回数から逆算すると教会に集う方以外の方の方が視聴してくださっています。更に嬉しいことには教会に来たことがない未信者の家族が視聴しています。毎週、欠かさずにみてくださっている方もいます。献金をしてくださった未信者の方もいます。以前は、キリスト教に好意を抱いていない家族が見ているのです。最後に28節をもう一度見てみましょう。8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は私を愛するゆえに恵みをもって様々なことをしてくださいます。そして、私たちは「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たち」なのです。今日、最後に覚えて頂きことは神を愛することを忘れないです。この事を深く自覚しつつ、始まりました新年度を過ごして参りましょう。

Today’s Point①聖霊が執成しの祈りをしてくださる、②すべては神の御計画に基づく、③神を愛することを忘れない

Thinking Timeコロナ禍ゆえに益をもたらしたものはありませんか。