• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年7月13日聖書の学び

本日は、ヤコブへの手紙1章5-8節から「いささかも疑わない」と題して短くお話をします。

1:5 あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。 1:6 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。 1:7 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。 1:8 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。

昔、ある国で長らく雨が降らない時がありました。季節は真夏で飲み水にも欠く状況でした。農民たちは困り果て、ついに教会に集まり雨乞いのための特別祈り会を開くことになりました。多くの農民があつまり、熱心に雨を求め祈っていました。すると一人の少女が遅れてきたのですが、彼女は真夏にもかかわら雨合羽を着ていました。集まっていた人たちは、それを見て次のように言いながらあざけ笑い始めたのです。「お前はどうかしてるよ。未だこどもだね。こんな暑い日に雨合羽なんか着て」と。すると少女はこう答えました。「だって今日は、雨乞いのための祈り会でしょ」。その後、雨が降ったかどうかはわかりませんが、この少女は信仰に固く立ち雨が降ることを信じていたのです。この少女は「いささかも疑わず、信仰をもって」祈祷会に来たのです。信仰者のあるべき姿です。

 イギリスにスポルジョン(Charles Haddon Spurgeon, 1834年6月19日 – 1892年1月31日)という名説教家がいました。ある時、彼が奉仕する教会に何名かの神学生がスポルジョンの説教を聞きたいと思い会堂を訪れました。すると案内係の人が来て、神学生らに「教会の発電システムを見学しませんか」と尋ねました。彼らは教会堂の電気系統について興味はなかったのですが。嫌とも言えず見学をすることにしました。案内係がその場所に連れて行き入口のドアを開けると神学生らは唖然としました。そこには700人余りの人たちが集まっていて、これから始まる祈祷会に備えていたのです。実は、案内係と思われた人はスポルジョン自身だったのです。祈祷会は教会の発電所とも言われますが、ただ出席するだけでは意味がありません。教会を発電させるという使命を持って祈るのです。

聖書は「だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」と教えます。教会を発電させる秘訣が「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。」なのです。私たちは先の少女のように「いささかも疑わず、信仰をもって」この祈祷会に来ているでしょうか。