• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年7月31日主日礼拝

説教題 汝、殺すなかれ 青書箇所 出エジプト記20:13、マルコによる福音書12:29-31

出エジプト 20:13 殺してはならない。マルコ12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。

イザヤ11:9 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。 11:10 その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。【口語訳】

最も大切な戒め、モーセの十戒の前半は「あなたは私以外のものを何ものをも拝んではならない。」とあり、後半は人間関係についての戒め「自分を愛するように隣人を愛せよ」とある。「汝、殺すなかれ」人間関係の中で最も大切な教えである。混乱の続く世界を見渡して、世界はどうなっていくのか。どこに解決があるのか。汝ら聞けと言われる神に耳を傾け、神に聞くべきだ。神は「汝ら殺してはならない」と語られる。ロシア、ウクライナ戦争を毎日、私たちは見ている。多くの人々が亡くなり、また他国に逃げているウクライナの避難民は900万いるという。人間の歴史は紛争の歴史である。世界、日本の歴史を見てもいずれの時代にも紛争があった。自分の利益のために、弱いものを踏みにじっていく。21世紀にはいって、世界を滅ぼすことのできる核兵器がたくさんある時代にも、全く変わらず紛争がある。人間の愚かさ。これから私たちはどのように考えていったらよいのか、そしてその解決はどこにあるのか。考えてみたい。以前「ショア」という映画を見た。ショワは絶滅という意味のヘブル語。この映画は11年かけて、ドイツのナチスが行ったユダヤ人虐殺についての証言を映画にしたドキュメンタリである。戦後40年に完成したもの。ドイツにヒトラー政権が誕生した1933年、ヨーロッパに950万人のユダヤ人が住んでいた。ドイツはドイツ国民は最も優れた民族であるとし、それを邪魔するユダヤ人をヨーロッパから排除しようとした。領土拡張を求め第二次世界大戦がはじまる。なぜナチスのような政権が誕生したのか。第一次世界大戦により、ドイツが敗戦。ベルサイユ条約によりドイツは領土を奪われ、莫大な賠償金を支払わされた。ハイパーインフレになり株価が下落、その後世界的な大恐慌が起こり大変な状況に置かれた。その状況下でヒトラー政権が起こり、彼の弁舌に国民は巻き込まれ大変なことを始めるようになる。ユダヤ人排斥が始まり、ドイツ経済からユダヤ人を排除する。第二次世界大戦がはじまるとユダヤ人絶滅計画が行われていくようになり、ホロコースト、人間のすることとはとても思えないあまりにも恐ろしいことが行われていく。収容所から逃亡した者から、そこでなされていたことが表に出るようになり、解放運動が始まり、ユダヤ人解放に向けて世界に働きかけていくようになる。1944年7月から収容所からの解放がなされていく。世界の教会はナチスのやっていたことを知っていたが、声をあげなかった。600万のユダヤ人が殺されたという。ドイツはそのようなことをしたが戦後、その事実を徹底的に検証し、被害を与えた国に補償をした。日本はどうなのか。無関心、無知は罪につながると思う。日本は戦後平和できたがほかの国に対して無関心でいることは罪ではないかと思う。

 詩篇 22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。【口語訳】詩編22:2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。【新共同訳】詩篇22:18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。 22:19 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。【口語訳】詩 編22:18 骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め 22:19 わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。【新共同訳】

殺されていったユダヤ人たちはどのような思いだっただろうか。詩編22:1のような思いだったと思う。なぜユダヤ人だけがこのように苦しみを受けるのか。その問いに対してある祭司は、イエスが十字架につけられるとき、民衆は「その血の呪いは私と子孫が受けてよい」と言われたことによると言った。本当にそうだろうか。殺されていくユダヤ人はどのような思いだったであろうか。イエスはその時彼らと共にいてくださったと思う。今のロシヤ、ウクライナの状況を見るとき、人間はいかに愚かなものであるかと思う。絶滅しかないのではないかと。どこに救いがあるのか。どこに解決があるのか。それはこの世界をおつくりになった唯一真の神にある。

「主を知る知識が全地に満ちるとき」(イザヤ9:11口語訳)このお方に頭を下げ、礼拝を捧げるとき真の平和が来ると信じる。このために祈り、地の塩、世の光として自分たちにできることをしていこう。