説教題:Trust and Obey 信頼と服従 聖書箇所:ヨハネによる福音書5章19-30節
◆御子の権威 5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 5:20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 5:21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。 5:22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 5:23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、 5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。 5:30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
おはようございます。
前回はヨハネ5:9b-18「目の覆いを取り除く」と題して、①裁きは主に委ね、私たちは憐みの心をもって見つめよう(相手の立場に立ってみる),②永遠を視野に入れた生き方を求めよう、③主に向くとき、覆いは取り除かれる(イエス様を見上げること、主と交わること)と見てきました。ベトザタの池の近くで38年間癒しを求めていながら、半ばあきらめかけていたような男を癒した日が安息日であったことから、イエス様はユダヤ人たちにより迫害され、殺そうと狙われるようになっていったのです。前回の個所から確認しましょう。
5:16 そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 5:17 イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 5:18 このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。このような状況の中で、イエス様はユダヤ人たちにはっきりとご自分がメシアであることを伝えます。
それでは今朝の聖書の個所を見ていきましょう。5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。怒りに燃えるユダヤ人たちを前にして、イエス様は「はっきり言っておく」と前置きして、私は自分からは何もしないが、父なる神がなさることは何でもすると言われました。まさに父と子は一心同体と言えるほどの信頼関係なのです。「従順」、「服従」という言葉は現代社会においてとても疎まれる言葉だと思います。服従したくないからです。みんな自分の好きなようにしたいのです。でもイエス様の生き方は違いました。完全服従です。父なる神様とイエス様の間には完全な愛と信頼の関係があったので服従できたのだと思います。これは私たちの信仰生活の模範です。
5:20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。御父の思い、ご計画は、人類の救いです。神に逆らい、罪の奴隷となって、滅びに向かっている人間を救うためにどうしたらよいか。それは一人子キリストに人間の罪を背負わせ、身代わりとして十字架で裁きを下す、それによって罪赦され、滅びから救われるという計画でした。なんとそのような残酷な計画を子に示されたのです。これは人間的に見るならば、殺されるイエス様にとってはどんなに恐ろしいことではないでしょうか。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。父は子を愛し信頼しているからこそ、この苦しい計画を子に示したのです。そして子はそれを受け入れ、従ったのです。子は父の心を知っているのです。父がどんなに罪びとを憐れみ救いたいと思っておられるかを。それは子も同じ思いでした。父の願い通りにしたい、人類を救いたいという共通の思いから引き受けられました。恩師の森山先生は、「天井では、父と子と聖霊がこの人類の救いのついて話し合う御前会議がなされ、三者が協力して人類救済計画が進められていった」と分かりやすく語ってくださいました。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。「これらのことよりも」とは、先にべテザトの池にいた男を癒した奇跡のことです。それよりも大きなこと、つまり十字架と復活による救いのことです。それによってあなた方が驚くことになると言われました。この計画は父にとっては愛する一人子を十字架につけるという想像を絶するような痛み、子にとってはこれほど信頼している父から捨てられ殺されるという、やはり私たち人間には想像を絶するような苦しみがあるわけですが、父も子も、それ以外に救いはないことを知っているので、人類を救いたいという思いにおいて一致し、この計画に臨んだわけです。十字架の救い、言葉にならない恵みを私たちはいただいたのです。一ヨハネ 3:1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。【口語訳】
③主に信頼し従っていこう
5:21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。父は十字架で殺された御子を復活させました。同じように、御子も、御子を信じる者に復活の命を与えてくださいます。私たち信じる者たちも、死後やがて復活させていただけるのです。 5:22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。そして裁きは御子にゆだねられたのです。 5:23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。裁きを一切子に任せたのは、すべての人が御子を敬うようになるためです。子を敬わないものは、子を遣わした父なる神を敬わないことなのだと、目の前にいる自分を殺そうとする、ユダヤ人たちに語ります。そして私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった父なる神を信じる者は、裁かれることがなく、死から命へ移され永遠の命が与えられると語ります。5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。神との交わりがないのは霊的に死んだ状態です。つまりまだ救われていない人が、神の声を聞く時が来る、今がその時だと、その場にいる人々に、私の声(この時のイエス様の肉声)を聴いて信じる者は生きるといわれました。そして現代を生きる私たちもまた、神の言葉(福音)を聞いて信じる者は永遠の命を得、生きるようになるのです。信仰により神との交わりをすることができるようになり、霊的な命が与えられ永遠に生きるものとなる。まだ信じていない方がおられるならば、早く信じることを勧めます。明日何が起こるかわからないからです。 5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、父なる神こそ命を持っておられるお方です。そして父は御子にも命を与えてくださった。また裁きを行う権能も子に与えてくださった。子は人の子だからである。人の子とは神の子のことです。やがて時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子(イエス様)の声を聴く時が来ます。最後の審判の前に、死んでいた者たちはみな復活して人の子(イエス様)の声を聞きます。5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。この個所はマタイ25:31-46の言葉を思い出させます。◆すべての民族を裁く 25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 25:33 羊を右に、山羊を左に置く。 25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 25:41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。 25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」イエス様は栄光に輝く神であられたのに、初臨の時は貧しい大工の子として来れました。パリサイ人、宗教指導者たちはイエス様を受け入れず十字架に追いやりました。しかし再臨の時には全地の王として来られ、主を信じて善を行った人々と、主を信ぜずに悪を行った人々を、正しくお裁きになるのです。
②裁きの日は必ずやってくる
5:30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」主イエスはここでも同じことを繰り返して語ります。ご自分では何もなさらず、父から聞くままに裁きます。だからその裁きは正しいのです。イエス様は完全に父なる神様に信頼し従順に従われ、父の御心を行おうとされたのです。今朝の発言からもわかるようにイエス様の力強い権威は父なる神様への全き信頼と服従から与えられたものです。肉の弱さを持つ私たち人間は、全き服従と聞くと、絶対無理と、それだけで恐れてしまいます。しかし神様は、私たちの弱さを思いやってくださるお方です。ヘブル 4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。ヘブル5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。
ですからイエス様に信頼し、従っていけるように聖霊様の助けを求めましょう。
新聖歌316み言葉なる Trust and Obey
Refrain:
Trust and obey, for there’s no other way
to be happy in Jesus, but to trust and obey.
リフレイン:
信頼し、従いなさい。
信頼し、従うことこそ、イエスにある幸いな道なのだから。
繰り返しますが、現代は服従を嫌います。自由に、自分の好きなように生きたい、それが幸せと思うからです。しかし本当にそうでしょうか。交通規則を考えてみましょう。赤信号なのに、私は進みたいからと言って進んだら大変なことになります。規則に従うことが実は一番安全なのです。私たちは神に造られたものです。ところが神から離れ、悪魔にそそのかされ、自分勝手な生きたかをしてきたのが今も世の中です。いたるところにその付けが回ってきているのではないでしょうか。本当に幸福で安全な生きたかは、造ってくださった神様に信頼して従うことです。
③主に信頼し従っていこう
ロマ 11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。【新改訳改訂第3版】二テモテ4:7 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。 4:8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。【口語訳】 私たち一人一人に神様からの賜物と召命(招き)が与えられています。そしてそれぞれに「走るべき行程」があります。与えられた賜物を用いて召命(神から与えられた召し、使命)に忠実に生きていくことが、自分の「走るべき行程」です。他人と比較する必要はありません。自分に与えられた走るべき工程を走りつくしていけるように、そして互いに愛し合い、励ましあい、慰め会いながら、最後までこの道を進んでいけるように祈り求めましょう。やがての日に義の冠が用意されています。神様はあなたを愛しておられます。苦しいところを通る時もありますが、必ず最善に導かれます。信頼して従っていきましょう。
ポイント
①十字架の恵みを深く味わい感謝を捧げよう ②裁きの日は必ずやってくる ③主に信頼し従っていこう