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2024年9月1日主日礼拝

説教題:主は信仰をご覧になる 聖書箇所:マルコによる福音書4章21-25節

「ともし火」と「秤」のたとえ 4:21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 4:22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」 4:24 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 4:25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」

ハレルヤ!9月の第一主日を迎えました。マルコによる福音書を講解で学んでおり、今日はその12回目です。前回のおさらいから始めましょう。4章1-20節から「御言葉を聞く者の態度」と題し、三つのことを中心にお話をしました。①耳を傾けて神の国の福音を聞く ②100倍の実を結ぶことを目指そう ③キリスト者が良い実の見本となる でした。今日は続く4章21-25節を通して「主は信仰をご覧になる」と題しお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。今日の聖書箇所には二つのたとえが記されています。新共同訳聖書の小見出しは『「ともし火」と「秤」のたとえ』です。今から83年前の1941年(昭和16年)12月8日未明に大日本帝国海軍が、真珠湾を奇襲しました。そのことにより日本国も第二次世界大戦に突入したのですが、実は、奇襲の翌日には密かに和平交渉が行われていたのです。日本国は秘密裡に藤村義一海軍大佐をドイツとスイスに送っていたのです。藤村大佐は一日も早い停戦のため尽力をしたのですが、残念ながら実現することなく敗戦を迎えたのです。もし、この交渉が成功していたとすればどうであったでしょうか。日本に光をもたらし、日本の将来を救うものであったことは間違いがありません。このように、ものごとを為すためには、最初は秘密が要する時があるのです。やがては明らかになることであっても、初めは秘密にしておかなくてはならない場合があるのです。反対勢力からの妨害や誤解をされないためです。主イエスが「ともし火」と「秤」のたとえ」を話した背景には、このことと同じ状況だったのです。先週、学びましたが、主エスは「たとえを用いて話す理由」として 4:11b 「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。と言われました。以前にもお話をしましたが、「神の国」とは「神の支配」という意味です。イエスが救い主としてこの地上に来られたことによって、神の支配である神の国が地上に近づいたのです。そして、この「ともし火」と「秤」のたとえ」は、この「神の国」という言葉との関係で理解される必要があるのです。

①真理は明らかにされる日がくる

21節を見てみましょう。4:21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。「升」とあります。元々は穀物の量を測るための道具ですが、この箇所では「ともし火」を消すための道具として使われていたようです。21節は一種の修辞疑問文ですので、その意味は『「ともし火」は、「升の下や寝台の下」に隠しておくべきものではなく。「燭台の上に置」いて全てのものを照らし明るくすべきものだ』とう意味です。神の国の奥儀も、たとえで話されていて、隠されていましたが、いつの日か真理は必ず明らかにされることが予定されているのです。主イエスが「ともし火」とは主イエスご自身を暗示しており、そのことについて、主イエスはこう語られました。ヨハネによる福音書8章12節を開いてみましょう。 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」「世の光」であるイエス・キリストの福音、神の国の奥儀は隠されたままにしておかれるべきものではありません。「ともし火」「燭台の上に置」かれるように、主イエスの福音、神の国の奥儀が全ての人々にあらわせるときが来るのです。これが、「ともし火のたとえ」の意味することです。また、イエスは弟子たちに次のようにも語りました。マタイによる福音書5章15,16節を見てみましょう。 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」主イエスはご自身がこの世の光であるとともに弟子にも光であるよう命じられました。キリスト者には誰にでも世の光としての使命が与えられています。この世の人々に対して良い証をするためです。この証をすることなく、「升の下や寝台の下に置」いてしまっていたらキリスト者としての用をなさないことになるのです。22,23節を見てみましょう。4:22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」22節もまた21節の「ともし火のたとえ」と同じことを述べています。神の国の奥儀はたとえで語られ、隠され、秘密とされていますが、必ず神の国の奥儀は明らかにされる日がくるのです。事実、イエスの弟子たちでさえも、主の公生涯中にイエスが語らえたことや行いを理解することが出来ないことがありました。しかし、復活、昇天、聖霊降誕後には主の教えと行為の真の意味が現れ明らかになったのです。「隠れているもので、あらわにならないものはなく」とありますが、適用として、私たちの日常生活において注意をしなければならないことがわかります。良い行いをする場合、それを妨害されたり、正しく理解されなかったりすることを防ぐために密かに行わなければならない場合があります。しかし、「隠れているもので、あらわにならないものは」ないので、いつそのことを公表するかを考えておく必要があります。逆に覆い隠された悪事も必ず明るみに出ることも忘れてはならないのです。例えば、陰口はやがて現れ明らかになるのです。従って、本人の目の前で言えないことは隠れて言わない習慣づけることはとても大事です。主は続いて「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われました。重大な宣言を行う場合によく使われた言葉であり、権威を持って宣言するときの言葉でした。それを聞いて自分に当てはめてよく考えてみなさいという意味です。また、聞く者の耳次第で、たとえ話の意義が明らかにされるとも解釈ができます。主イエスは聞く者の自由意思を尊重したと考えられます。開きませんが、この「聞く耳のある者は聞きなさい。」という言葉はマルコによる福音書の4章9 節、7章16節やルカによる福音書8章8節、14章35節でも使われています。今日、先ず覚えて頂きたいことは真理は明らかにされる日がくるということです。

②自分の尺度を捨てる

24節を見てみましょう。4:24 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。「何を聞いているかに注意しなさい。」とあるように、「何を」が肝心です。つまり、聞く内容です。これは間違った教えを聞かないようにという警告です。耳にするものの全てが正しく有益なものとは限りません。続いて「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。」とあります。これは主イエスから大きな恵みを頂けるどうかは、その人の心構え次第で決まるという意味です。イエスのお言葉を各自の物差しで計るとすれば、その測り方によって神から計られるということです。つまり、大きな期待をして主イエスを受け入れる人は、大きな祝福を受けることが出来ます。逆に大した期待を持たないでイエスに従うのであれば、大きな祝福は頂けないのです。例えば、雨水を受けようとする時、小さな器で受けるとしたら、僅かな雨水しか得られません。一方、大きな器で雨水を受ければ多くの雨水を得ることが出来ることと同じです。主イエスが「秤」と言われていることを「信仰」と置き換える意味することがよく分かると思います。主イエスに対する大きな信仰と期待を持つことが出来るのは、イエスがどのようなお方であるかを理解しているからです。私たちを永遠の刑罰から救うために、十字架にかかってくださったことがわかるなら、このお方に全幅の信頼と期待を寄せることができるのです。 昔、私が求道中のころ、聖書を読むと難しくて聖書を読み続けられないことが多々ありました。そんな時、私は註解書や専門書を読み漁っていたのですが、ある牧師から「伏見さん、学びに熱心なことは良いことですが、聖書でわからないところがあってもそのまま読み続けたらどうですか」とアドバイスを受けました。その通りでした。私は自分自身の信仰が足りないということに気が付いていなかったのです。聖書が理解できないのは信仰の成長が足りないことだととらえて、御言葉をそのまま受け取り、それを生活に取り入れるようにすることが大切なのです。自分が聖書を読み込もうとするのではなく、聖書によって自分が読み込まれるようにする。そのようにすると「更にたくさん与えられる。」ものなのです。そして、そのことは、生活に変化が生じるということにも繋がるのです。今日二番目に覚えて頂きたいことは自分の尺度を捨てるということです。

③信仰を持って主にお任せする

25節を見てみましょう。4:25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」イエスの時代、パレスチナ地方の金貸しは、少ない危険と僅かな努力で富を蓄積したと言われています。しかし、貧しい農夫は、収穫が思うようにいかず、さらに貧困になっていったのですが、最後の一銭まで税を支払わなければならなかったのです。このことの背景から主は信仰の問題も同じだと語られたのです。霊的洞察力を持つ者は、イエスの話をよく聞くことによって、その洞察力は拡大されるのですが、霊的洞察力を持とうとしない者は、更に悪い状況になることを教えているのです。注意したいことは、これは神がされることではなく、私たち側の問題であるということです。主に対する信仰を論理的にしっかり持っていないと、信仰がわからなくなってしまうことが多いのです。先ずは、キリストの十字架と復活が事実であり、それ故にそのことを信じる者の罪が赦され天国に行けるという信仰をしっかりと握りしめておく必要があるのです。次が、このお方にお任せすれば大丈夫だという信仰です。主イエスが私たちの人生のハンドルを背後で握っておられるのです。カリフォルニア州のオレンジ郡クリスタル・カテドラル教会の創設者で、伝道テレビ番組「アワー・オブ・パワー」の創始者として知られるロバート・H・シュラー牧師はクリスタル・カテドラルが完成する5年間に、8回も絶望的と思われる事柄に遭いました。しかし、シュラー牧師はその揺るぎない信仰を持ち「できるのだと考えること」によって、会堂建築という夢を実現したのです。条件が不利だから実現が出来ないなどと思ってはいけないのです。私たちに必要なことは信仰なのです。神はその信仰をご覧になり、その信仰を通して導いてくださるのです。信仰が成長するためには日々のデボーションは欠かせません。蟹は、自分の甲羅の大きさに従って穴を掘ると言われているように、聖書を読むときに、自分の考えに合ったところや気に行ったところだけを読んでいるとしたら信仰の成長は止まってしまいます。諸事情により、2012年にクリスタル・カテドラル教会は米カトリック教会のオレンジ教区に売却され、会堂の名前は、「クリスタル・カテドラル」から「クライスト・カテドラル」に改名されています。今、私は牧師をしていますが、振り返ってみると信仰告白をしたときには、主イエスが本当にどういうお方であるかわかっていなかったように思います。ですから、全幅の信頼と期待とを寄せていたとは言えません。しかし、日々のデボーションを通し、また色々な体験を経て揺るぎない信仰を持つことが出来ました。その御言葉がマタイによる福音書6章33節です。開いてみましょう。6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。「これらのもの」とありますが、「衣食住など生活に必要なもの」の意味で解釈をすると良いです。この御言葉通り、「神の国と神の義を求め」た時、神は私の生活上の全ての必要を満たしてくださいました。必要が満たされた証はたくさんあるのですが、今日は一つだけご紹介します。私は牧師ですので聖書、キリスト教に関する本を良く買いますが、基本的に古本で買っています。キリスト教の古本市場では価格が二極化されているように思います。激安かプレミアがついてしまっている本です。100円以下の本もありますし、何万円もする本もあります。私にはどうしても欲しい本があり、祈り続けていました。恩師の尾山令仁先生が記された使徒言行録の講解書の上巻です。下巻は持っています。ある時、Amazonで見つけたのですが、一万円です。とても買える価格ではありませんので見送りました。しかし、主は必ず与えてくださるとの信仰に固く立ち祈り続けました。そんなある日、その本がオークションサイトで千円で売られているのを見つけましたが、買いませんでした。既に入札があったからです。私はオークションサイトで購入する場合には自分なりのルールを作っています。「既に誰かが入札をしていたら入札をしない。私が初めに入札をした後に誰かが入札をしたらあきらめる」です。キリスト教に関する本を買うのはキリスト者だと思いますので、キリスト者同士が入札を繰り返し値上げとなるのが嫌だからです。その後、Amazonで調べると一万円の本は売却済で、新たに三万円で販売されていました。確かに三万円の価値はあるかもしれませんが、私には手が届く価格ではありません。しかし、私は主は必ず与えてくださるとの信仰に固く立ち祈り続けました。そんな、ある日、教区長から教区の牧師宛の一斉配信メールが届きました。そこには少し前にお亡くなりになった矢野宏先生の蔵書をご遺族が千葉教区に献品されたので欲しい本があれば申し出てくださいというメールでした、献品された蔵書の一覧を見ると、そこには尾山先生の使徒言行録やこれまたプレミアが付いた小林和夫先生などの本がたくさんあり、教区長のご厚意もあり、尾山先生と小林先生の本をと無料で入手することが出来たのです。しかも送料まで無料にして頂き本当に感謝でした。固く信仰に立続けることが必要なのです。なぜなら主は私たちの信仰をご覧におり、それを計られるからです。今日、最後に覚えて頂きことは信仰を持って主にお任せするということです。

Today’s Takeaways  ①真理は明らかにされる日がくる ②自分の尺度を捨て御言葉に信頼する

③信仰を持って主にお任せする

Thinking Time どうしたら自分の尺度を捨てられるでしょうか