説教題:天にいます我らの父 聖書箇所:マタイによる福音書6章9節
6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
弟子たちから祈りを教えてくださいと言われ、イエス様ご自身が祈っている内容を教えられた。主の祈りは父なる神に祈ること。今朝は主の祈りの最初の言葉を学ぶ。「天におられる我らの父よ」神様は私たちの天におられるお父様。神を父と呼んでいる、これはキリスト教信仰において最も短く言い合わらされていること。神が父であるとはなんと素晴らしいことであろうか。
・父なる神は、全世界の創造の神であるということ
この世界は偶然にできたと思っている人が多い。私たちの人生も偶然に出てきて。その偶然の中に生きていると考えている。しかしこの世界、万物を支配しておられる父なる神がいることがわかれば、生き方が変わる。特に物の豊かな現代においても、多くの若者が人生について悩んでいる。毎年の自殺者が多いのもそのためです。しかし真の神、父なる神がおられることがわかればそれは大きな喜び、生き方が変わる。
・真の神は唯一、お一人です
八百万の神、無数の神がいると、日本では考えられている、山、川、死んだ人、動物などが神としてまつられている。それらの神々は妬みや憎しみ、怒り、愛したり、人間と同じで、人間がいつもその神々をなだめすかさなければならない。しかし私たちの祈る対象は、私たちの天の父であり、お父さんとしての愛を持っておられるお方。それがわかると大変な安らぎを得られる。同志社大学の創設者、新島襄は、天地造像の神を知ったとき感動し、さらによくたいと思いアメリカに行き、聖書を学び、日本にこの教えを伝えようとした。主の祈りは、「私の父」と祈らず、「私たちの父」と言っている。私個人の父でなく、私たちの父
マタイ5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
神様は正しい者たちだけの神でなく、私たちの天の父なる神、このおかたがすべての人の父であるのだから、世界中の人々はみな兄弟になる
・神様は寛大で憐みに富むお方
詩編103:13父がその子を憐れむように/主は主を畏れる人を憐れんでくださる。
神は、父が子を憐れまれるように、われらを憐れまれるお方。父としての寛大さと憐みに満ちておられるお方。ただ自分の父を考えるときに、無慈悲な父もいるわけです。人間の父は完全でなく弱さを持っています。しかしイエス様が語られた父なる神は、全世界を想像され、私たちすべての父として、限りない憐みを持っておられるお方。そのことがわかるならば、耐え難い人生、自己嫌悪等から立ち上がることができる。
次に「天にいます」 とはどういうことでしょうか
・神の清さを表す
「天にいます」とは場所や空間を表すだけではない、清さを意味する。神が愛ならば、どんなことをして赦されると、そこを盾にとって、罪深い生き方をしても良いのかというと、そうではない。天にいますとは、清い神であることをおぼえさせられる。
・祈りを聞いてくださる神の偉大な力を表す。
祈りとは独り言ではない。このお方は私たちの祈りや願いにこたえる力を持っておられる。しかも神の力は愛に結びついているので、その人の益になるならば必ず聞かれる。全能の力を持っておられる。神は失敗することはない。クリスチャンはこのような天の父を持っていますが、そうでない方々はこの父なる神様がわからない。そこに現代人の悲劇がある。
それでは次に、クリスチャンでない方々はこのお方をどうしたら天の父よと呼べるようになるか。
・イエス・キリストを通して天の父と呼べる。神の御子イエス様を通さなければできない。
ガラテヤ3:26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
キリストへの信仰によって、このお方を天の父と呼ぶことができる。父なる神が私たちの罪を許し、神の子となれるようにキリストをこの世に送られました。このお方を信じることによって、神の子となり天の父と呼ぶことができるのです。
・聖霊によって、自分が神の子であり、天の父よと呼ぶことができる。
ローマ8:14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
御霊に導かれているものが神の子です。私たちが心から天の父よと呼ぶことができるのは聖霊の働きによるのです。「アバ父よ」とはイエス様から初めて呼ぶようになった。旧約時代には使わなかった。それはイエス様にはそれほど、神と近い関係だったからです。しかしイエス様のご生涯、ただ一度だけ「天の父よ」と呼べない時があった。十字架上で「わが神、わが神」と呼ばわった。それは父との親しい関係が完全に断たれたのです。それは私たちの罪が完全に断ち切ったのです。「アバ父よ、天のお父様」と呼ぶことをイエス様は教えてくれました。子どもとしての信頼を抱くことのできるようにしていただいた。それはその者だけが天の国に入れる関係です。この朝、まだ、「アバ父よ」と呼べないのであれは、早くそう呼べるようになっていただきたい。神の子にふさわしいものとなるように、祈りをささげたい。主の祈りをしっかりと覚えつつ、意味をかみしめながら主の祈りをささげましょう。