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2024年9月8日主日礼拝

説教題: 神の国~良い種を蒔こう~聖書箇所:マルコによる福音書4章26-34節

 ◆「成長する種」のたとえ 4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 ◆「からし種」のたとえ 4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 ◆たとえを用いて語る 4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 4:34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

ハレルヤ!9月の第二主日を迎えました。マルコによる福音書を講解で学んでおり、今日はその13回目です。前回のおさらいから始めましょう。4章21-25節から「主は信仰をご覧になる」と題し、三つのことを中心にお話をしました。①真理は明らかにされる日がくる ②自分の尺度を捨て御言葉に信頼する ③神は私たちの信仰を計られる でした。今日は続く4章節を通して「神の国~良い種を蒔こう~」と題しお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。

神の国が神の支配であることは何回かお話をしていますが、具体的な例で説明をします。私たちは日常的に「英国」や「イギリス」という言葉を聞いたり口にしたりする場合がありますが、これらは通称であり、正式には「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」といいます。 英語の正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、で英語略称: United Kingdom、UK、Britainです。この王国、Kingdomというのは領土というよりも支配の意味が強いです。王が支配するところが王国なのです。神の国もこれと同じです。神の領土というよりも神が支配されるところという意味です。支配ですので、神の国は動的なもので完成されるものです。今、この神の支配は各人の心の中で行われていますが、やがては目に見える形で現れる日が来るのです。イエス・キリストを救い主と受け入れた人には神の支配と神の導きがわかります。そして、最後の審判が行われるときには、神の支配が人の目に見える形で行われ、神の国が完成するのです。主イエスはこの神の国のことについて26節-32節の中で二つのたとえをもって語られています。『「成長する種」のたとえ』『「からし種」のたとえ』です。「成長する種」のたとえはマルコによる福音書のみに記されています。

①良い種を蒔く

26,27節を見てみましょう。4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。「種」とは主イエスの言葉です。現在でいえば聖書の言葉、御言葉です。「土」はイエスの言葉を受け入れる人を指しています。ある人がイエスの言葉を心の奥に宿したのであれば、その時、その人は既に神の支配に置かれたのです。このことを主イエスは次のように述べています。ルカによる福音書17章20,21節を見てみましょう。 17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」信仰とは、自分の心の一番深いところにイエスの言葉を宿すことです。それは、自分の心の一番深いところを、神によって支配して頂くことなのです。「夜昼」とありますが、この表現に違和感を覚える方がいるかもしれません。私たち日本人にとっては昼夜の方が馴染みやすいと思います。しかし、この「夜昼」という表現はユダヤ人にとっては当たり前のものなのです。それは、ユダヤ人の一日は日が沈んだ時から始まり、夜が明け、夕方になると一日が終わるのです。日本人の感覚で言えば「朝起きて、おはようございます」が一日の始まりですが、ユダヤでは「日没後のおやすみなさい」が一日の始まりなのです。「寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」とあります。種が蒔かれた後、種を蒔いた人はいくらかのお世話をしますが、種から芽が出で苗に育ち、苗から穂が出て、そこから実がなるという工程は、自然の中で行われてゆくのです。それは、種の中に命があるからです。28,29節を見てみましょう。4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」27節に「その人は知らない。」とあり28節に「ひとりでに」とあります。まかれた種は目を出し成長し、実を結びますが、蒔いた人はどうしてそうなるかはわかりません。種はひとりでに成長するものなのです。29節の後半に「まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」とあるように神の国は段階を経て成長をすることがわかります。ですから、キリスト者の伝道は良い種をまくことなのです。勿論、受け取る人々の中には「道端」、「石だらけ」、「茨」のような場合もあると思いますが、種を蒔く者は、良い種を蒔き続けるのです。そうすれば、必ず「良い地に」蒔かれるものです。その良い地に蒔かれた種が「ひとりでに」成長し、「収穫の時」が来るのです。神の支配もまた、種を蒔いておきさえすれば、やがて実を結ぶようになります。ですから、このたとえの意味は神の国のこと、神の支配は神が配慮されているということです。キリストの言葉、神の言葉を蒔くのは全てのキリスト者の任務ですが、「神の国」を育てるのは神なのです。このことを使途パウロは次のように述べています。フィリピの信徒への手紙1章6節を開いてみましょう。フィリピ 1:6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。「収穫の時」には神の国を受け入れている信仰者は救われ、不信仰は裁かれるのです。神の国は最後の審判に繋がっているのです。伝道にあたり、大切なことは良い種であることです。御言葉を都合よく曲げた種や異端のような不純な種はけっして蒔いてはいけないのです。では、良い種とは具体的にどういうものでしょうか。良い種には三つの要素があります。先ず、神が第一となっていることです。主イエスは次のように語られました。マタイによる福音書6章33節です。6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。先週もお話しましたが「これらのもの」とは衣食住等の必要な物の意味で解釈をすると良いです。次が、福音、イエスキリストの十字架による罪の赦しが中心になっていなければなりません。このことについて主はこう語られています。マルコによる福音書2章17節です。 2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」良い種に必要とされる最後のことは三日目に復活されたという信仰です。ヨハネによる福音書11章25節を開いてみましょう。同段落PPT 11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。「神第一、十字架、復活」という三つの要素を持っている種が良い種なのです。そして、これらの良い種を蒔いていれば、どんなに困難に思える種まきであっても、必ず実を結ぶことになるのです。神が人の思いを超えて育ててくださるからなのです。このことを使徒パウロはこのように述べています。コリントの信徒への手紙一3章6節を開いてみましょう。コリント一3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。この神の不思議な御手を信仰の目を持って見て、確かめることが信仰生活の大きな喜びと力です。従って、個人においても教会においても事柄を進めたり計画をたてたりする場合にも、この神の支配を忘れてはならないのです。神の国、神の支配を第一として進めるのであれば、必ず良い実を結び借り入れの時がくるのです。今日、先ず覚えて頂きたいことは良い種を蒔くということです。

②十字架が神の国の前身の基

では、次の「からし種」のたとえを見てみましょう。30-32節です。4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」「からし種」は非常に小さな種です。PPしかし、パレスチナ地方では成長すると3~4メートルにもなるのです。このたとえの意味することは三つあります。先ず、神の国が最初は小さく見えるかもしれませんが、時間とともに大きく成長し、広がっていくことを教えています。当時、主イエスの弟子たちは目立たない存在でした。世の中の有力者でもなく。ちいさく無価値な者でした。神の国、神の支配が現在のように大きくなっていくことは誰にも考えられないことだったでしょう。次は、信仰や善行が小さなものであっても、やがて大きな影響を持つことを教えています。最後は「空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」とあるように、神の国が成長し、多くの人々に安らぎと避難所を提供することを教えています。このたとえ話は、信仰の力や神の国の成長の重要性を強調しています。小さな信仰や行動がやがて大きな成果を生むことを教えてくれる、非常に力強いたとえです。どんなに大きな釣鐘でも。紙つぶて(神を丸めたもの)を何回も投げつけると鐘はじょじょに揺れ始めると言われています。小さくても始まりが肝心なのです。個人の信仰生活も教会の歩みも、最初は、「からし種」のようにどんなに小さくてもよいのです。初めから大きな場合はないでしょう。生きた信仰であれば良いのです。もし、それが神の支配の中にあって始められたものであれば、必ず成長するものなのです。聖書のただ一句に励まされ、また。教会の交わりを通して必ず成長をするのです。今から約二千年前に主イエスが約束をされた聖霊が下り教会が誕生しました。当時から見れば地の果てである日本にもイエズス会のフランシスコ・ザビエルにより1549年に福音は届いています。実際には広まっていませんが、「以後よく広まるキリスト教」の語呂合わせで覚えた方もいると思います。今日、全世界におけるキリスト教徒の数は2020年 時点で、23億ほどで、世界人口に占める比率は約31%と全ての宗教の中で最も多いです。因みにですが、イスラム教は16億、ヒンズー教が11億、仏教は4億です。紀元前4世紀に活躍した、アレキサンダー大王(紀元前356-323年)はペルシャ征伐のため小アジアに進出し、インドの北西部までも占領し、絶対君主者となり、若き『世界征服者』でした。歴史上において最も成功した軍事指揮官でしたが、今は彼の跡は見るかげもありません。12-13世紀に活躍したジンギスカン(1162 – 1227年)はモンゴル帝国を創立し、西に向かって大きな領土を広げました。世界史上屈指の大英雄とされましたたが、今は彼の跡も見るかげもありません。料理の名前に残っているだけです。未来永劫に存続すると思われた徳川幕府は三百年弱で崩壊し、李氏朝鮮は500年で崩壊しています。ここに神の国、神の支配と人間の国、人間の支配との決定的な差を見ることが出来ます。神の国の支配は永続的なものです。初めは小さく弱いように見えても、やがて大きく強くなるのです。個人や教会の成長も同様です。神の支配の中にあって、神を第一にして歩むのであれは、初めは小さくとも必ず大きなものとなるのです。ここで、私たちは主イエスが語られた「一粒の麦」のたとえを思い出したいと思います。ヨハネによる福音書12章24節を開いてみましょう。12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。蒔かれた種が人手によらず、自然に成長していくこと。そして、からし種のように大きく成長することが出来る背景には主イエスの十字架による死があったことを忘れてはならないのです。主イエスが一粒の麦としてご自身の命を差し出された事実です。このことをなくして、神の国が自然に大きく成長することはないのです。主イエスの十字架の死こそ、神の国の前進の基なのです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは十字架が神の国の前進の基ということです。

③主イエスに心を開く

33,34節を4章11,12節と一緒に見てみましょう。4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 4:34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。 4:12 それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」4章11-12節の「たとえを用いて話す理由」で学んだように、イエスは群衆に対して、神の国のたとえを語られましたが、それは、群衆が神の国の奥儀を理解するだけの心構えがなかったからです。「人々の聞く力に応じて」とあるように、たとえは分かり易く説明をする手段であるとともに、信仰のないものには、神の奥儀を隠す手段でもあるのです。弟子以外の一般の群衆は、世間的に理解する能力しかありません。信仰のない彼らにとっては地上的な理解だったのです。しかし、イエスの弟子たちは主イエスに心を開いており、彼らの信仰ゆえに、「ひそかにすべてを説明された。」のです。神の国のことが説明されたとしても信仰をもって聞かなければ解き明かしにならないのです。今日においても、神に心を素直に開いているのであれば、神は聖書、あるいは人々の働きや出来事を通して、その人に語ってくだり祝福を与えてくださることを忘れてはならないのです。信仰の父と呼ばれるアブラハムも自分の妻を妹だという嘘をついた小さき弱きものでした。開きませんが、創世記12章13節、20章2節に記述があります。しかし、神はアブラハムに語りかけました。アブラハムが主に心を開いていたからです。創世記12章2節を開いてみましょう。 12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。この約束は成就されました。これが神の国であり神の支配なのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは主に心を開くということです。

Today’s Takeaways ①良い種を蒔く ②十字架が神の国の前進の基 ③主に心を開く

Thinking Time 信仰をもって説教、御言葉の解き明かしを聞いているでしょうか