説教題:神の恵みの善い管理者として生きる
聖書箇所:ペトロの手紙一 4章1-11節(新共同訳 新約432-433頁)
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中心成句:「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」(4章10節)
毎朝、出勤や通学をする人々を見ながら思います。人はそれぞれの場所で一生懸命生きている。しかし、何のために生きているのか。この問いに、今日の箇所は力強く答えます。それは「神の恵みの善い管理者として生きる」という招きです。4章1-11節から三つのことを学びます。
①快適さよりも従順を選ぶ(1-6節)
ペトロは「同じ心構えで武装しなさい」と言います。キリストの心構えとは「神の御心に従うためなら苦しみも厭わない」という決意です。ゲツセマネで「わたしの願いではなく、御心のままに」と祈られたイエスのように、私たちも神の御心を優先する生き方へと召されています。また「もうそれで十分です」という言葉が示すように、悔い改めとは罪をやめようと努力することではなく、新しい主人であるキリストに満たされることです。信仰によって生き方が変わると、周りから誤解され批判されることがあります。しかしペトロは教えます。大切なのは人々の評価ではなく、神の前に立つことだと。「周りがどう思うか」ではなく「神がどう見ておられるか」という視点で生きるのです。
②永遠の視点で今日を生きる(7-9節)
「万物の終わりが迫っています」とペトロは言います。これは恐怖のメッセージではなく、優先順位を正す招きです。祈りとは自分の願いを並べ立てることではなく、神の御心を聞き、神の約束を確認し、その確信の中で生きることです。祈りが浅くなると、自分の力で何とかしようとして疲れ果てます。また「心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆う」と続きます。「心を込めて」という言葉はもともと「筋肉が最大限に伸ばされた状態」を表します。中途半端ではない、全力の愛です。今日できることを明日に先延ばしにしない。謝るべき人には今日謝る。感謝を伝えるべき人には今日伝える。終わりを見据えて生きることは、最も責任ある生き方です。
③賜物を発見し、管理者として用いる(10-11節)
「それぞれ」とペトロは書きます。例外はありません。賜物は説教や音楽の才能だけではありません。励ます言葉、人の話を聞く耳、実際的に助ける手、祈りの賜物——これらすべてが神からの賜物です。そして私たちは所有者ではなく管理者です。蛇口は水を作りません。水を通すだけです。私たちも同じで、賜物は神から預けられたもの。自分のためではなく、他の人への奉仕のために与えられています。目的はただ一つ、「すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるため」です。この視点が、燃え尽きから私たちを守ります。結果は神に任せ、私たちは忠実に仕えるだけです。
今日、三つのことを学びました。快適さよりも従順を選ぶこと、永遠の視点で今日を生きること、そして賜物を発見し管理者として用いることです。あなたには何が与えられていますか。それを神の栄光のために用いる時、私たちは「神の恵みの善い管理者」として生きることができます。今週も、主から預かった賜物をもって、互いに仕える者として歩んでまいりましょう。