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2026年5月17日主日礼拝説教要旨 伏見美恵子師

説教題:赦し、回復、前進
聖書箇所:ヨハネによる福音書 8章1-11節

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中心成句:「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(8章11節)

朝早く、神殿で教えておられたイエス様のもとへ、律法学者たちが一人の女性を引きずり出してきました。姦通の現場で捕まえたというのです。「石で打ち殺すべきでは?」という問いは、実は罠でした。「殺せ」と言えばローマ法違反、「殺すな」と言えばモーセの律法違反。女性は道具として使われ、弁明の機会も与えられないまま、衆人の前に立たされたのです。どのような事情があったとしても、罪は罪です。裁きの場に、私たちも皆立っています。

①石を握る人間の姿(6〜9節)

群衆は石を握っていました。怒りと正義感に満ちて。しかしイエス様は身をかがめ、地面に何かを書かれました。そして静かに言われます。「罪のない者が、まず石を投げなさい。」その一言で、人々の視線は他人の罪から自分の内側へと向きました。年長者から一人また一人と立ち去ったのは、自分の罪をよく知っていたからです。人の過ちには厳しく、自分の罪には甘い。これは私たちの姿でもあります。誰一人、石を投げる資格のある人はいませんでした。

②赦しを受け取る(10〜11節前半)

残ったのはイエス様と女性だけ。「だれもあなたを罪に定めなかったのか。」「主よ、だれも。」そして「わたしもあなたを罪に定めない。」ここに福音の核心があります。イエス様は罪を軽く見ているのではありません。その罪を、やがてご自身が十字架で引き受けるのです。すべての人の罪を背負われるから、赦せるのです。ギリシャ語で「罪」はハマルティア、的外れを意味します。神と共に歩むはずの者が神から離れ、断たれてしまった関係が、キリストの十字架によって回復する。それが救いです。断たれた水道が再びつながり、命の水が流れ始めるようなものです。

③赦された者は光の中を前進する(11節後半)

「行きなさい。」これは前進の命令です。赦しはゴールではなく、新しい人生のスタートです。この女性は、恥から尊厳へ、恐れから平安へ、絶望から希望へと立場を変えられました。ある信徒は、子育ての後悔という「石」を長年自分に投げ続けていました。今日の箇所でハッとしたのは、自分が子に正論という石を投げ、今度は自分に罪責感という石を投げ続けていたと気づいたからです。「主が赦してくださっているのに、なぜ私は自分を赦さず過去に留まっているのか」。その日から石を手放し、思い煩いのたびにフィリピ4章6節の言葉を宣言するようにしました。「あんな私でも、主は赦し今日まで生かしてくださった」という感謝の祈りへと変わるにつれ、子どもとの関係にも変化が現れました。それが「前進」です。

今日、三つのことを学びました。人を裁く手も自分を裁く手も、石は手放してよいこと。「わたしもあなたを罪に定めない」という言葉は今日の私たちにも向けられていること。赦された者は同じ場所に留まらず、光の中を前進するということ。主の手を握り直して、共に光の中へ踏み出してまいりましょう。