説教題:信頼に値する神
聖書箇所:ローマの信徒への手紙11章25〜36節。
Youtubeはこちらから
説教は登山のたとえから始まる。登っている間は目の前の坂しか見えず、苦しく、まだ着かないと思いながら歩く。しかし頂上に立てば、今まで歩いてきた道が一つにつながって見える。ローマ書11章の終わりは、パウロが頂上に立ち、見えなかった神の計画がつながって見えてきた場面だと語る。
第一に、神は見えないところで働いておられるという点。旧約のヨセフを取り上げ、兄たちに売られ牢に入れられた時、ヨセフには神の計画がまったく見えなかったが、何十年後、悪意をもってなされたことを神が善に変え、多くの命を救うために用いられたと語る場面を紹介する。人生はジグソーパズルに似ていて、一枚だけ見ても何の絵か分からないが、神は完成した絵をご覧になっている。分からないことは神が間違っているのではなく、私たちがまだ全体を見ていないだけだと語る。
第二に、神は救いのために歴史を導いておられるという点。32節の「神はすべての人を憐れむために、すべての人を不従順のうちに閉じ込められた」という言葉を取り上げ、誰も自分の力で神の前に義とされる者はいないと確認する。これは人を絶望させるためではなく、憐れむためであり、神は一人ひとりの人生だけでなく歴史全体を救いへ向かって導いておられると語る。十字架は人々が敗北と見た場所だったが、神はそこを永遠の勝利に変えられた。子どもが刺繍の裏側だけを見て「ぐちゃぐちゃだ」と言うが、母親が表を見せると美しい花が咲いていたという例えを用い、私たちが見ている涙や失敗や遠回りも、神の御手の中では救いの模様の一部になっていると語る。
第三に、神を見上げる時に礼拝が始まるという点。パウロは33節で「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」と賛美する。これは神が分かったという告白ではなく、神は自分の理解をはるかに超えているという告白であり、それが恐れではなく深い平安になっている。ヨブの例も挙げ、神はヨブにすべての理由を説明されず、ご自身を示された。ヨブはすべての答えを得たのではなく、神を見上げた、それで十分だったと語る。
最後に36節「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている」を結びの言葉として、私たちの人生も神から始まり、今も神によって支えられ、最後は神の御手へ帰っていくと語る。答えをすべて持っているから歩くのではなく、答えを持っておられる神と共に歩む。説明を携えて帰るのではなく、神を見上げながら帰ろうと招いて説教を締めくくる。
Joanna12762026年7月19日 11:59 PM /
https://shorturl.fm/uT3hp