• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年10月23日主日礼拝

説教題 信仰勇者列伝①~信仰は猫の親子型~ 聖書箇所 ヘブライ人への手紙11章1-7節

◆信仰11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。11:5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

ハレルヤ!10月の第主四日を迎えています。私たちの教会ではヘブライ人への手紙を講解で学んでおり、今日はその18回目です。先々週は、美恵子牧師、先週は岸義紘先生にご奉仕をして頂きました。感謝します。前回のおさらいから始めましょう。10章21-39節を通し、「忍耐によって完走しよう!~神学から実践へ~」と題し四つ事を中心にお話をしました。信仰を公言する、罪とはキリストを踏みつける、主の手に陥る、忍耐によって完走するでした。今日は続く11章1-7節を通し、「信仰勇者列伝①~信仰は猫の親子型~」と題しお話を致します。ご一緒に学んで参りましょう。

今日から11章を学びますが、この11章は信仰の勇者列伝とも呼ばれています。今まで語られてきた流れからすると独自な内容で11章から新しい展開になると思うかもしれませんが、そうではありません。11章は10章19節から始まっている勧告、勧めの言葉の続きです。10章36節には次のようにありました。10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。この忍耐の勧告を受け継いでいるのが11章なのです。そして、この勧告は12章1節に繋がります。12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、11章に記されている信仰の勇者に倣い、私たちも、「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」

➀信仰とは猫の親子の関係

では、1,2節から見て参りましよう。11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。11:1Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.( King James Bible)

1節は信仰の定義とも言えます。信仰の重要な特徴、また根本的な性質が述べられています。「望んでいる事柄」、KJBでは「the substance of things hoped for」とあります。英語の聖書(私が知っている限り31種)はすべてHopeです。なぜWishではないのでしょうか。hope(希望)は実現可能だと信じて望む場合に使います。Hopeは日本語で希望と訳されますが、英語のHopeには希な望みの意味はありません。実現可能だと信じて望む場合に使います。一方、Wish(願望)は実現可能だとは思わずに望む場合に使います。ですから仮定法にはWishが使われるのです。I wish I could speak Chinese。(中国語が話せたらいいなぁ→話せないことが前提)英語の全ての聖書にHopeが使われているとおり、信仰とは実現可能だと信じて望むことなのです。19世紀に活躍したスコットランドの聖書学者のジェイムズ モファットはキリスト者の希望は三っの方向に働くと言いました。「この世よりもむしろ神を信じる、感覚よりも霊を信じる、現在よりも未来を信じる」と。「見えない事実」とあります。私たちは事実を確認するときに知識、経験、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に頼ります。特に視覚は依存度が高いのではないでしょうか。英語の諺にSeeing is believing.(見ることが信じること)とある通りです。しかし目には見えなくても実在するものがあり、二分できます。目には見えないが科学によってその存在を証明出来るものと、目にも見えないし科学によってもその存在が証明出来ないものです。前者の典型が電磁波です。電磁波は目には見えませんが計測器によってその存在を確認することが出来ます。後者の典型が信仰です。信仰は目に見えませんし、また科学で測定することも出来ませんが確かに存在するものなのです。「確認すること」、KJBでは「evidence」(証拠)と訳されていますが、元々の言語の意味は下に置かれているもの、物事の土台、基盤という意味です。ですから、信仰を持つことには確かな土台、基盤があることがわかります。では、基盤とは何でしょうか。それは主におゆだねする。お任せするということです。詩編37節4,5a節を開いてみましょう。 37:4 主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 37:5 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、」とあります。「まかせよ。信頼せよ、」という信仰のありかたを動物の親子に例えるとよくわかります。信仰とは猫の親子の関係なのです。猿の親子の関係ではありません。今日、先ず覚えて頂きたいことは信仰とは猫の親子の関係に例えられるということです。

この手紙の受取人は迫害という逆境の中にあって、信仰が必要だったのです。ですから著者は「昔の人たち」、旧約聖書に記された信仰の勇者たちの名前を4節以降で挙げて「この信仰のゆえに神に認められました。」と説明をするのです。3節を見てみましょう。11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。著者は天地創造の出来事も信仰によって受け入れることが出来ると語ります。神がこの世界を創造された時に立ち会った者は誰もいません。しかし、信仰によってこの創造の御業を受け入れることが出来るのです。創世記に書かれている天地創造の出来事はモーセが神からの啓示を受けて記したものです。天地創造は神の発した言葉で行われました。ですから神のご意志一つで物事は成ることがわかります。神はご自分の意志を言葉によって私たちに知らせてくださるのです。創世記1章1-3節を見てみましょう。1:1 初めに、神は天地を創造された。 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 へブル11:3の御言葉の通り、「この世界が神の言葉によって創造され」たことがわかります。この世界と訳された言葉は原語のギリシャ語ではアイオナスと言い、「時間と空間の両面を持った世界」のことで、その後人間が生きていく時代や世代の意味を含みます。ギリシャ語には世界を意味するコスモスもありますが、これはカオス(混沌)に対する秩序のある世界を意味します。英語のCosmosの語源です。三年位前のことですが、キリスト教徒の多い米国で進化論を信じる人が過半数を超えたとの記事を読んだことがあります。とても残念に思います。創世記の1章を読むと万物が神によって創造されたこと書かれています。私たちはこのことを信仰の目を持って読み確信をすることが出来るのです。「人間が科学的」であることと「神が万能」であることは次元が異なるのです。4節から7節には三名の信仰の勇者の名前が挙げられています。アベル、エノク、ノアです。4節を見てみましょう。11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。「アベル」「カイン」の名前があり、アバルの信仰がカインより勝ると語るのです。二人とも最初の人間であるアダムとエバの息子で、カインが兄で、アベルは弟です。創世記4章に二人のことが書かれていますが、4:3-5aを見てみましょう。4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 4:5a カインとその献げ物には目を留められなかった。兄のカインは農夫で、自分の作った作物を捧げものとして持って来ました。一方、弟のアベルは肥えた羊の初子、最良のものを持って来て捧げたと書かれています。何故、主は「カインとその献げ物には目を留められなかった。」のでしょうか。その理由は聖書には記されていませんが、当時、神に対する最高の捧げものは動物の血と考えられていました。アベルはこの信仰にたっていたのです。ですから、著者は11:4a「アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。」と語るのです。安倍元総理大臣が暗殺されたことにより、キリスト教系の信仰宗教と政治家の関係が明らかとなりました。その団体は信者に借金をさせてまで献金を強要していたことが報道されていましたが、そのようなことはキリスト教の教えにはありません。自分たちの出来る範囲内で最高のものを捧げましょう。捧げものをするということは礼拝をすることに通じます。「アベル」「カイン」の二人とも礼拝をしていましたが、アベルは信仰をもって礼拝を捧げていたのです。礼拝の姿勢とは、その日だけのことではありません。礼拝の姿勢というのは日ごろの在り方がそこに現れるものなのです。常に御前にいるということを自覚している人は礼拝にあってもそうですし、逆にそうでない人が礼拝だけに熱心であっても、それは形式的なもので心からの礼拝ではないでしょう。神はそのような者を受け入れるでしょうか。「神が彼の献げ物を認められたからです。」とあります。アベルは神に受け入られる歩みをしていました。日々、信仰によって生きていたからです。「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」とあります。アベルはカインから嫉妬され恨まれて殺されてしまいましたが、子羊の血を流して捧げたことにより、罪の赦しの確かさを語っているのです。生贄を通して神と和解し永遠の生命を得たという信仰なのです。5,6節を見てみましょう。11:5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。二番目の信仰の勇者はエノクです。聖書には、二人のエノクという名前が記されています。

初めは4章17節であり、カインの子としてその名が記されています。次が創世記5章21-24節に記されていて、11章5節のエノクはこちらです。創世記5章21-24節を開いてみましょう。 5:21 エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。5:22 エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。5:23 エノクは三百六十五年生きた。5:24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。「エノクは三百六十五年生きた。」とあります。創世記の5章にはアダムの系図が記されていますが、エノク以外は何れも900歳前後まで生きて、「そして死んだ」という言葉で終わっています。5:5 アダムは九百三十年生き、そして死んだ。5:8 セトは九百十二年生き、そして死んだ。5:11 エノシュは九百五年生き、そして死んだ。5:14 ケナンは九百十年生き、そして死んだ。5:17 マハラルエルは八百九十五年生き、そして死んだ。5:20 イエレドは九百六十二年生き、そして死んだ。5:23 エノクは三百六十五年生きた。5:24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。5:27 メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。5:31 レメクは七百七十七年生き、そして死んだ。エノクは「いなくなった」です。死んだとは書かれていません。ですから、著者は11:5「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。」と語るのです。6節に「信仰がなければ、」とあり、創世記には「エノクは神と共に歩み、」とあります。ミカ書の御言葉を見てみましょう。ミカ 6:8 人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。エノクは地上の生活において、神と共に歩いていたということは、神の言葉に逆らわず、従順に聞き従っていたことです。これこそが信仰なのです。それを神はお喜びなるのです。ですから、著者は「神に喜ばれていたことが証明されていたからです。」と語るのです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは神は信仰者を喜ぶということです。聖書には、エノクが天に移された具体的な理由は記されていませんが、義人の復活についての予表のために神が一人の人を天に召したと思われます。

③信仰を働かせ実行する

7節を見てみましょう。11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。三番目の信仰の勇者はノアです。創世記6-9章に記されている大洪水の出来事から、いかにノアが信仰深かったことがわかります。地上の人間は神を忘れ、神の存在を否定するかのよう悪事にふけっていました。そのため神は、創世記 6:17 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。と宣告をしたのです。それにもかかわらず、当時の人たちはばかげたことと思い、ノアが箱舟を作っていることをあざ笑っていたことでしょう。「自分の家族を救うために箱舟を造り、」とあります。周りからバカにされようがノアは自分を含め8名の家族(自分の妻と、三人の息子と、三人の息子それぞれの妻たち)を救うため箱舟を作り上げ、まる一年に渡る大洪水から救われたのです。神の言葉を信仰で実行したからです。ノアは8名の家族だけで箱舟を作り上げました。少人数で手作業です。大変な労力と時間を要したと思いますが、神の言葉に従うため、信仰を働かせて箱舟を作り上げたのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは信仰を働かせ実行するということです。7節に「その信仰によって世界を罪に定め、」とありますが、ノアの信仰深い行為によって神が世人を罪に定めたという意味です。罪に定める権威は神にあります。創世記6章9節を見てみましょう。6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。「神と共に歩んだ。」とあります。ノアはエノクと同じく信仰により神との正しい関係を持っていたのです。それゆえ、著者は「また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」と語るのです。ノアとは対照的に、神の警告を無視したものの結果が創世記7章22節に記されています。 7:22 乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。ノアが神から聞いた言葉は周りの人にはありえない馬鹿げたものでした。しかし、ノアは信仰の目を持って「見えない事実を確認」したのです。

Today’s Take-away

信仰とは猫の親子の関係、②神は信仰者を喜ぶ、③信仰を働かせ実行する

Thinking Time

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