説教題:天国で食事をしよう!~無理がなされた~ 聖書箇所:ルカによる福音書14章15-24節
◆「大宴会」のたとえ14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」
ハレルヤ!10月の第三主日を迎えています。先週から福音書の記されている主イエスが語られた「たとえ話」を学んでいて、今日はその二回目です。先週はルカによる福音書12章13-21節から「あなたは愚か者ですか?」と題し三つのことを中心にお話をしました。①貪欲は罪、②自己中心と過信を自己点検する、③全ては主から預かっているでした。今日はルカによる福音書14章15-24節から「天国で食事をしよう!~無理がなされた~」と題しお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。たとえ話はマタイ、マルコ、ルカの福音書に記されていて平行個所もあるたとえ話もありますが、ルカには固有のたとえ話が多く記されています。今日のたとえ話もルカだけに記されています。平行記事とまでは言えないかもしれませんが、かなり類似する例えがマタイによる福音書の22章1-10節に記されていますので、後程、是非、読み比べてみてください。
①食事は伝道の良き場
15節から見て参りましょう。
14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。「これを聞いて」とありますが、直前の14章12-14節です。14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」この個所には主イエスが語る「人を招く時の心構え」が記されています。お返しの出来きる人よりもお返しの出来ない人を招きなさいと教えています。それは、お返しを頂くと愛による親しい交わりから表面的、義務的な関係になってしまう場合があるからです。今日、私たちにおいても、きりなくお返しをし続けている場合はないでしょうか。お返しのお返し。そのお返しのそのまたお返し。こうなるもう虚礼です。お返しの出来ない人は招いてくださった方に何もすることは出来ませんが、招いてくださった方は良いことをしています。このような行為は神を喜ばすことであり、「正しい者たちが復活するとき」つまり、主エスと再びお会いする日には報いが与えられるのです。勿論、私たちの善い行いとは主イエスの愛に押し出された御霊の実であり、神からの報いを目的に行うものではありませんが、神は善行を行うものには報いを与えてくださるのです。主イエスと食事をしていた「客の一人」がこのイエスのお言葉を聞き、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言ったのです。この「客の一人」がどのような人であったかは聖書に記されていませんが、律法学者かファリサイ人だったと思われます。主イエスが語る終末についての正しい理解をしていたこどうかも不明ですが、ユダヤにはかの日には神が大宴会を催して自分の民を招くであろうという口伝、いわゆる「メシアの祝宴」という口伝がありました。ですから、「客の一人」は自分とその周りの人たちは間違いなく神の国(天国)で食事の席に着き得ると確信をしていたことでしょう。それに対して、主イエスはたとえ話をもってどのような者が天国の宴会に出席できるのかを教えられたのです。そして、この個所から食事は伝道の良き場になるということがわかります。今日は先ず、このことを覚えてください。聖書には多くの食事の場面が描かれています。カナの婚礼、五千人の給食、取税人レビの家での食事、最後の晩餐などです。勿論、すべての場面が一義的に伝道を目的としたものではありませんが、人がともに食事をするときにはたとえ小さくとも交わりや絆が生まれます。恩師で巡回伝道者の中野雄一郎先生は「伝道は、十回のコーヒーよりも一回の食事」と言います。食事を共にすることで、よそよそしさや閉鎖性が取り除かれますので、真理を伝える良い機会となるからです。主はキリスト者と未信者である隣人の距離が縮むことを望まれています。YMCA (Young Men’s Christian Association)運動の創始者であるジョージ・ウィリアムズは熱心なクリスチャンでした。ジョージ・ウィリアムズは蛎を食べる会を開いて未信者に真理を伝えたと言われています。私たちが八街の前に上総一宮で牧会をしていた時にYoung Lifeという宣教団体があり、お互いに協力をしあっていました。Young Lifeは名前の通り学生から子育て中の若い方に福音を伝える団体ですが、月1回の伝道集会には40~50名位の方が集まり、いつも食事をすることから始まります。そして、ゲームをして、賛美をし、最後に短く福音の話をしました。私たちが一宮を離れて8年近くになりますが、何名かの方が洗礼の恵みに預かっています。
②天国の素晴らしさを伝える
16,17節を見てみましょう。14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。ここからがたとえ話です。主エスは宴会のたとえ話をもって「客の一人」の自己満足と自己義認を打ち砕くのです。たとえ話ですので、たとえられている事柄を確認しましょう。「盛大な宴会」の主催者は神、「盛大な宴会」は御国での食事、「僕」とは主イエスご自身です。当時の慣習として宴会などは二回、招待するのが普通でした。事前に宴席の日時が告げられ招待をします。そして、定刻が近づくと招待客たちにそれを思い出させるため使いをだすのです。リマインダーです。この例えに描かれている招待客も初めの招待は受け取っているのです。このことを覚えつつ話を聞いてください。16節には今日の聖書個所を理解する上でのキーワードがあります。「盛大な宴会」、「大勢の人」とあります。単なる宴会と人ではありません。「盛大な」と「大勢の」という形容がされています。また、23節には「この家をいっぱいにしてくれ」とあります。実に神の国とは「盛大な宴会」に「大勢の人」が招待されて「いっぱいに」なっている場所なのです。17節に「宴会の時刻になったので」とあります。この意味することは救い主であるキリスト・イエスが来られたことを意味します。そして、『もう用意ができましたから、おいでください』とあるように、キリストのもとにくるようにと招いているのです。18-20節を見てみましょう。14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。“Still another said, ‘I just got married, so I can’t come.’(NKJV)この個所にはせっかくの「盛大な宴会」への招待にもかかわらず、三名の人が断ったことが記されています。順番に見てみましょう。先ず、「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください」とあります。普通に考えれば、畑を買う前にその畑を見ているはずです。購入する不動産を実際に見ることなく買う人はいないでしょう。次に「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください」とあります。わざわざどうして、「盛大な宴会」の時間にこんなことをしなくてはならないのでしょうか。不思議です。最後は「妻を迎えたばかりなので、行くことができません」です。「妻を迎えたばかり」と訳されていますが、原語では「私は丁度、結婚した」の意味です。英語の聖書ではI just got married,です。急に結婚が決まるということはありえないと思います。最初の招待を受けていた段階で結婚は決まっていたでしょう。つまり、三名とも本当の理由ではなく適当な口実で宴会の招待を断っているのです。ここで語られているたとえの意味は神が御国(天国)に招いてくださっているのに断る人がいる。その人たちは天国がどんなに素晴らしさところかわかっていない、気が付いていないのです。天国の素晴らしさについてはヨハネの黙示録の21,22章に記されています。時間の関係で21章3-4節を見ますが、是非、後ほどヨハネの黙示録の21,22章を読まれてください。21:3 もはや、呪われるものは何一つない。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」さて、私たちキリスト者はどうでしょうか。天国がどんなに素晴らしさところかを自分たちでだけ一人占めしてはいないでしょうか。もっともっと天国の素晴らしを伝えようではりませんか。今日、二番目に覚えて頂きたいことは天国の素晴らしを伝えるということです。
③神は全員が天国に来ることを望んでいる
聖書個所に戻り21節を見てみましょう。14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。So the master said to his slave, ‘Go out to the highways and country roads and urge people to come in, so that my house will be filled. (NET Bible)「家の主人は怒って、」とあります。使いにやらせた僕からの報告をきいた主人は怒ったのです。しかし怒っただけではありません。僕に「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」と告げ再度、祝宴に招待したのです。僕はその通りにしましたが、「まだ席があります』と言うと、主人は『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。』と僕に告げ。再再度、祝宴に招待したのです。ここで、このたとえの後半にたとえられている人たちを確認してみましょう。18-20節に記されている適当な口実で宴会の招待を断った人たちとはファリサイ派やサドカイ派の人たちです。上流階級のユダヤ教徒とも言えます。21節に記されている貧しい人や身体障害がある人たちとはそれ以外のユダヤ人たちです。23節に記されている人々とはユダヤ人以外の異邦人です。神からみれば貧困も身分も身体障害の有無、人種も関係がありません。神は全ての人を天国に招いておられるのです。「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」と願うほど天国に一人でも多くの方に来てもらいたいのです。この神が独り子であるイエスに命じた「無理にでも」とは十字架に掛かってもとも解釈が出来ると思います。英語の聖書ではurge people to come in 直訳すれば、「人々が中に入れるように促せ」です。その彼ら(人々)を促す手段が十字架の恵みなのです。ヨハネの福音書3章16節を見てみましょう。3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神は一人でも滅びることを避け、全員に御国に来てもらいたいのです。だから神は「無理にでも(十字架に掛かっても)人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」と僕(独り子であるキリスト・イエス)に命じているのです。神は、全員に御国に来てもらいたいのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは神は全員が天国に来ることを望まれているということです。最後に24節を見てみましょう。14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」「あの招かれた人たち」とありますが、18-21節でたとえられているユダヤ人です。ユダヤの民は預言者の言葉によって天国へ招かれていました。そして、今、イエスによって招かれていたのですが、招きに応じることはなかったのです。主イエスの招きに応じることがないものは誰一人として天国に行けません。天国で主と共に食事の席につくことはできないのです。救われたのは救うため。クリスチャンの私たちが天国の素晴らしさをもっともっと伝え、家族、友人、知人の全員が天国で食事が出来るようになろうではありませんか。
Today’s Point①食事は伝道の良き場、②天国の素晴らしさを伝える、③神は全員が天国に来ることを望んでいる
Thinking Time今週、誰にどのように天国の素晴らしさを伝えますか。