• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年11月14日主日礼拝      

◆金持ちとラザロ16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、16:21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

ハレルヤ!11月の第二主日を迎えています。今、私たちの教会ではルカによる福音書に記された主イエスが語られたたとえ話を学んでおり、今日はその5回目です。先週は16章1-13節(不正な管理人のたとえ)から「賢い生き方~友と一緒に天国に行こう!~」と題し三つのことを中心にお話をしました。①褒められたのは知恵、②共に天国に行ける友人を作る、③二人の主(あるじ)に仕えられないでした。今日は16章19-31節から「この世の後」と題しお話をします。聖書が教える死後の世界をご一緒に学んで参りましょう。今日のたとえ話は先週お話した「不正な管理人」のたとえと対をなすものです。両方とも神の国を迎えるにあたり、どのように準備をしたらよいかが記されています。前者(「不正な管理人」のたとえ)においては、富を賢く用いた人を語り、今日の箇所では富を賢く用いなかった人の事が語られています。先ず、今日のたとえ話が誰に語らえたのかを確認のため、今日の聖書所の少し前の16章14,15a節を見てみましょう。 16:14 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。 16:15a そこで、イエスは言われた。「この一部始終」とありますが、「不正な管理人」のたとえです。ですから今日のたとえ話は、「不正な管理人」のたとえ話を聞きた「金に執着するファリサイ派の人々」に語られているのです。そんな彼らに主イエスはたとえ話を使いこの世の後のこと、死後の世界のことを語られているのです。

死後、信者と不信者は行き先が異なる

19節から見てまいりましょう。16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。「ある金持ち」とあります。今日のたとえ話の主役の一人です。神は全ての人を愛しておられるので恵みを与えてくださいますが、同時に責任も与えられます。お金が与えられて裕福になるのも神の恵みによるものです。ですから、そのお金を御心に適った使い方をすることが求められます。ところが「ある金持ち」「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。」のです。当時、紫の衣とは大祭司がきる衣装で非常に高価なものでした。与えられたものを正しく有効に使わないことは御心に沿わず浪費としか言いようがありません。20, 21節を見てみましょう。16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、16:21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。20節に「ラザロというできものだらけの貧しい人」とあります。この「ラザロ」が今日のたとえ話のもう一人の主役です。たとえ話はこの二人を対比しながら進みます。このラザロという名前ですが、ヘブル語ではエルアザル「神は助ける」という意味です。主イエスが語られたたとえ話で固有名詞が出てくるのはこの箇所だけです。たとえ話ですので、ヨハネによる福音書の11章に記されているマリアとマルタの兄弟であるベタニヤのラザロとは無関係です。ラザロは貧しく皮膚病もあり働くことが出来なかったのでしょう。神の助け、心ある人からの施しを待ちながら金持ちの門前に横たわっていたのです。聖書にはある金持ちがラザロに施しを与えなかったとは書かれていませんが、21節に「その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた」とありますので、「犬もやって来ては、そのできものをなめた」という状態のラザロに対して憐みの心を向けることはなかったことがわかります。22,23節を英語の聖書と一緒に見てみましょう。16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。16:22 “So it was that the beggar died, and was carried by the angels to Abraham’s bosom. The rich man also died and was buried.16:23 “And being in torments in Hades, he lifted up his eyes and saw Abraham afar off, and Lazarus in his bosom. (NKJV)「貧しい人は死んで」、「金持ちも死んで葬られた」とあります。年月が流れ二人は死んだのですが行き先が異なります。ラザロは「天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに」います。一方、「金持ちは陰府」にいるのです。英語の聖書ではAbraham’s bosom.とHadesです。23節は新改訳改訂第3版では次のように訳されています。 16:23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。アブラハムのすぐそば」Abraham’s bosom.は聖書の中で今日の箇所にしか記されていませんが、「パラダイス」と同じ意味と考えられています。そこでキリストの再臨を待つのです。パラダイスとは死んでから二度と朽ちない体に至るまでの中間状態のことです。一方、「陰府」Hadesとは不信者がたどる中間状態をいいます。ラザロは「アブラハムのすぐそば」、金持ちは「陰府」というそれぞれの中間状態にいるのです。今日、先ず覚えて頂きたいことは死後、信者と不信者は行き先が異なるといことです。貧しい人ラザロは信仰を持っていたのですが、金持ちは不信仰だったのです。それゆえ愛も欠如していました。一方、ラザロが天使たちに連れられてアブラハムのそばに送られたことには、ラザロは貧しさ苦しみの中にも神を信じ御国の望みに生きていたゆえです。

②死後の二つの世界の往来は出来ない

24節を見てみましょう。16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』この箇所から「陰府」Hadesがどういう場所かがわかります。金持ちはアブラハムに憐みをもって「指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。」と懇願します。25,26節はそれに対するアブラハムの答えです。16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』このたとえ話は貧しいものが天国に行き、金持ちが苦しみに合うというものではりません。信仰の有無が死後の行き先を二分するのです。その行き先の様子がはっきりと描かれているのです。そして、信仰ゆえに「アブラハムのそば」に行った者と、不義不信仰ゆえに「陰府」に落ち入った者たちとの間には「大きな淵」があり、それはこの期に及んでは往来が出来ないのです。死後に行き先を変更することは決して出来ないのです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは死後の二つの世界の往来は出来ないということです。「アブラハムのそば」「陰府」との往来は出来ないのです。

③死者はこの世の人を訪れることが出来ない

アブラハムの厳しい言葉を聞いて、このことがやっと金持ちはわかったようです。27,28節です。16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』「父よ、ではお願いです。」と懇願が始まります。アブラハムにラザロを自分の父の元へ遣わして5名の生きている兄弟を助けようと懇願します。Alive訳でも見てみましょう。27対してお金持ち『だった』男は答えた。『で、ではせめて、アブラハム様!ラザロを私の父の家へお送りください!!!28まだ5人の兄弟がいます!父なら彼らを説得できます!こんな目には会わせたくない・・・どうぞ、この恐ろしい場所があることを伝えてやってくだざい゛!!!』(Alive訳生きている間に信仰と愛の生活を自分の兄弟にはしてほしいと切望しているのです。こんな苦しい場所に愛する家族を絶対に来させてはなりません。中間状態の黄泉ですら「恐ろしい場所」なのですからその先の場所はもっと恐ろしい場所に違いがありません。私たちの誰もが死人の言葉を聞くことは出来ません。私たちは世の中の不信者の人がお亡くなりになるとその家族の方に哀悼の意を表し伝えます。生前の功績や業績を褒め称えたりもします。しかし、そのお亡くなりになった不信者の方はどうぞ、この恐ろしい場所があることを伝えてやってくだざい゛!!!と訴えているのではないでしょうか。死後、不信者の方を供養しても意味がないのです。生きているうちに福音を伝えようではありませんか。この金持ちの悲痛な訴えに対するアブラハムの応答が29節です。16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』「モーセと預言者」とあります。これは律法と御言葉を語る人の意味ですそれらに従うのなら信仰と愛の生活が出来るのでラザロを遣わして警告を与える必要はないと応えたのです。すると金持ちはどうしても諦めることが出来ず再度、アブラハムに懇願します。30節です。16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』「もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。」とあります。論より証拠、奇跡を見れば信じると言いますが、金持ちは証人を遣わせれば彼の兄弟たちもきっと信仰を持つと考えたのです。自分は間に合わない。だが5人の兄弟にはラザロのようにアブラハムのそばでの何としても祝宴の席について欲しいのです。そのために今、悔い改めてもらいたいのです。27-30節に記されていることからわかることがあります。それが今日、最後に覚えて頂きたいことで、死者はこの世の人を訪れることが出来ないということです。もしそれが可能であれば金持ちは自分の兄弟に遣わすことを懇願せずに自分で訪れたことでしょうか。今日、最後に覚えて頂きたいことは死者はこの世の人を訪れることが出来ないということです。31節には、アブラハムは金持ちの再度の願いを聞き入れませんでした。見てみましょう。16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」「モーセと預言者」とあります。アブラハムは律法と預言者、御言葉を語る人に耳を貸さないものが死者の中から証人を送っても貸す耳はないと金持ちの願いを拒絶したのです。たとえ話の最後の「たとえ死者の中から生き返る者」とはその後の主イエスを暗に示しています。主イエスが十字架にかかり、三日目に死を打ち破り蘇ることの予告とも言えます。実際、ベタニヤのラザロが生き返っても、人々は神をあがめて悔い改めるどころか、当のラザロを殺そうとさえしました。ヨハネによる福音書には次のように記されています。12:10 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。そして主イエスが復活されても信じなかったのです。今このメッセージをご覧になっている方のなかには未信者の方もいると思いますが、この世の後にも世界があるのです。ですから、どうか一日も早く悔い改めてください。悔い改めと聞くと牧師から長々とお説教を聞くことと誤解されている方がいますが、そうではありません。悔い改めとは生き方の方向を変えることです。自分を中心とした生き方から神を中心とした生き方に変えるのです。悔い改めましょう!主イエスを救い主として受け入れ共に天国に行こうではありませんか。未信者は未来の信者とも言え不信者ではありません。主イエスを受け入れればどんな人でもパラダイスに行けるのです。不信者と行き先は決定的に異なるのです。

Today’s Point①死後、信者と不信者は行き先が異なる、②死後の二つの世界の往来は出来ない、③死者はこの世の人を訪れることが出来ない

Thinking Time福音を伝えられていない家族はいませんか。どうしますか。