本日は、レビ記19章2節と18節後半から「根底には神の聖と愛がある」と題し、短くお話をします。
19:2 イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。19:18b自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
旧約聖書を読むのが苦手だという方がいます。中でもレビ記は特に敬遠されがちな書と思われています。理由の一つはその大部分を占める祭儀律法が日本人の感覚と程遠いものだからです。もう一つの理由は律法とはキリストが来られるまでのもので陰だからです。ヘブライ人への手紙10書1節には次のように記されています。10:1いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。キリストの来臨によってその重要性が失われたと考えてしまうからです。しかし、新約聖書は旧約聖書をよく理解しておくことによって、その意味を十分に把握できるものなのです。実際、新約聖書を読んでいると、旧約聖書からの引用が多いことに気がつくと思います。直接の引用だけでも、創世記は20回、出エジプトは26回、詩編とイザヤ書はそれぞれ50回引用されています。レビ記は関節的な引用を含めると30回(直接の引用は14回)引用されています。ペトロはペトロの手紙一1章16節でレビ記19章2節の御言葉をキリスト倫理の土台として引用をしています。1:16 「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。レビ記19章18節後半の御言葉は新約聖書になんと8回(マタイ5:43, 19:19, 22:39、マルコ12:31、ルカ10:27、ローマ13:9、ガラテヤ5:14、ヤコブ2:8)も引用をされています。マタイによる福音書22章39,40節とガラテヤ人への手紙5章14節を見てみましょう。22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。マタイは引用したレビ記の御言葉(隣人を自分のように愛しなさい。)に「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」と付け加えその重要性を説いています。また、パウロはこの一句によって律法全体が全うされるのですと語ります。レビ記は現代人の感覚から程遠い単なる祭儀律法の集成ではなく、そこには主イエスの十字架が予型されており、その根底に神の聖と愛があることを忘れてはならないのです。