• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年6月20日主日礼拝  

説教題:主イエスにおいて~in the Lord~ 聖書箇所 フィリピの信徒への手紙4章2-9節

◆勧めの言葉4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

ハレルヤ!6月の第三主日を迎えています。今日は父の日です。19世紀の前半、イギリスにウイリアムという名前の少年がいました。全寮制の中学生で、最優等生でしたが、数学が大の苦手でした。ある日、父親に数学以外の学問で将来、生計を立てたいと手紙を書きました。父からの返信には次のように書かれていました。「好きなものだけを勉強するのは学問でない。それは道楽だ!父はお前が数学に負けるとは思っていない。毎日、祈っている」と。この手紙はウイリアム少年の人生を変えました。ウイリアム少年とは、4度にわたりイギリスの首相を務めたウィリアム・グラッドストンです。生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒であり、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指したのですが、そのウィリアム・グラッドストンの人生を変えたのは父の祈りでした。父の祈りは応えられたのです。私たちの教会では、4月からフィリピの信徒への手紙を学んでいて、今日はその8回目です。先週は3章12節~4章1節を通し、「天国市民の生活~不完全な完全者~」と題して、三つのことを中心に学びました。①不完全ゆえに完全者、②キリストの愛に信頼し従順する、③主によってしっかり立つでした。今日は、4章2-9節をから「主イエスにおいて~in the Lord~」と題してお話をします。今日の個所はこの手紙の実践的な部分で、キリスト者の日常生活についての勧めが述べられています。ご一緒に学んで参りましょう。

①主イエスによる一致

2,3節から見てまいりましょう。4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。4:3 And I intreat thee also, true yokefellow, help those women which laboured with me in the gospel, with Clement also, and with other my fellowlabourers, whose names are in the book of life.(KJB)「エボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさ]とあります。フィリピの教会には派閥があったことは1章で学びましたが、エボディアとシンティケという二人の婦人の間に不一致、対立の問題が起こっていたのです。二人が不一致や対立するようになってしまった理由は聖書には記されていませんが、「福音のためにわたしと共に戦ってくれた」とありますので、この二人はパウロと共に熱心に福音宣教に励んだことはわかります。福音のために一生懸命に戦ってきた婦人です。パウロが他の教会宛に書いた手紙(~の信徒への手紙)の中で、個人に対する勧告が記されているのはこの個所だけです。従って、二人の婦人の問題は個人的な問題ではなく、教会全体に係るものだったと思います。福音宣教に熱心だからといって、兄弟姉妹の人間関係が悪くても良いというわけではありません。個人の対立が、派閥となり、教会の分裂に繋がるのです。実際、私たちの教団ではありませんが、二人の信徒の対立がきっかけで、教会全体を揺るがす問題となり、ついに、二分裂してしまった教会について聞いたことがあります。「真実の協力者」 とありますが、原語を直訳しますと真実にくびきをともにする者の意味です。福音宣教の喜びや特権だけでなく、苦しみもともにするものです。苦楽を共にする関係です。ですから、英語の聖書(KJB)ではyokefellowと訳しています。パウロは「主において同じ思いを抱きなさい」と諭していますが、その鍵となるのが「命の書に名を記されている」からだとパウロは記します。命の書とは天国市民の名前が記されている書物です。やがて、天国市民になれるのという特権に預かっているのだから主イエスにあって一致しなさい、和解しなさいと勧めているのです。和解こそ、教会の中にある問題の解決の根底にあるもので、その和解をもたらすことが出来るのが、主においてです。英語ではIn the Lordです。英語でのinをイメージしてみるとよくわかります。先ず、主イエスの中にキリスト者がいるのです。しかし、そればかりではありません。コロサイの信徒の手紙には次のように記されています。コロサイ 1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。主イエスはキリスト者の内側にもおられるのです。内住のキリストと言います。キリスト者の外側からすっぽりと主が守ってくださっているばかりか、内側からも私たちを支えてくださっているのです。キリスト者の人生とは、自分で生きる人生ではなく、主に生かされている人生です。今日、先ず覚えて頂きたいこことは主イエスによる一致 です。一致が出来るのはin the Lordだからです。教会とはキリストを頭とし、キリストを信じる場所ですが、どうでしょうか。このキリストを頭とする場所で、兄弟姉妹との関係をこわしてしまったことはないでしょうか。また、現在、兄弟姉妹との人間関係に問題はないでしょうか。心を探ってみようではありませんか。

②喜びも主にあるから

4,5節を見てみましょう。4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。パウロは二人の婦人の和解を勧めた後、フィリピンの教会の信徒に対してキリスト者の日常生活がどうあるべきかを記します。以前にもお話をしましたが、このフィリピの信徒への手紙は別名「喜びの手紙」のと呼ばれています。喜ぶという言葉が動詞と名詞で16回使われているからです。「常に喜びなさい」とあります。常にです。これは継続的な喜びの勧告です。私たちの身の回りに起こっていることを常に喜ぶの意味です。欲しいものがようやく手に入ったから、テストで良い点数をとったから、会社で昇進したからという断続的な喜びはありません。また、悲しい時や苦しい時もへらへらしているということではありません。この喜びの秘訣は「主において」です。「主において」初めて可能となる喜びです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは喜びも主にあるからです。常に喜ぶことが出来るのもIn the Lordだからです。真の喜びとは外側から与えられるものではなく、内側からあふれでるものです。どんな環境にあっても主イエスが背後に立っておられる、内側から御手をもって支えてくださる人生。これ以上に喜びに溢れた人生はないでしょう。「広い心」とありますが、主イエスご自身が広い心をもって問題を解決したことがヨハネによる福音書第8章3〜11節に記されています。要約をしますと、姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、主イエスと律法学者たちが対決する場面があります。旧約の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていました。判断を求められた主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言いました。すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができませんでした。主イエスは律法以上のことをされたのです。広い心を示されたのです。パウロはこの広い心、慈悲深い寛容を知らしめなさいと勧告します。その理由が、「主はすぐ近くにおられるからです」と語ります。ご臨在という距離的な近さと、再臨が迫っているという時間的な近さです。

③思い煩いも主イエスが解決

6,7節を見てみましょう。4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。今から二年前のことですが。福岡県の博多港で、貨物船壱岐丸が進路を誤り、防波堤に衝突し、船長が死亡するという事故が起こりました。原因はジャイロコンパス(方位を知る道具)の故障のためです。ジャイロコンパスの不具合や故障に起因しる船舶の事故は少なからず起こっています。位置がわからなくなり、目標から外れてしまったからです。「思い煩うのはやめなさい」とありますが、思い煩いはジャイロコンパスの不具合のように、自分の位置がわからなくなり、目標から外れてしまったときに起こります。フィリピの信徒が何を思い煩っていたのかは記されていませんが、人生に思い煩いはつきもので、思い煩いには色々な種類があります。自分の知識不足によるもの。自我からくるもの。他人からくるのもの。肉体的なハンデキャプや災害に遭ったときから来るもの。心配をする必要がない取り越し苦労もありますが、結局は自分自身の問題です。人間の思い煩いは、人の心が向けられるべき神から離れ、自分自身や他のことに向けられているときに起こるのです。ですから、パウロは続けて、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」と語るのです。ここには思い煩いから解放される秘訣が記されています。私たちの全てをご存じの神と人格的な交わりを持つ。祈りと願いをもって全てのことを申し上げるのです。私たちを含め全てを創造された全知全能の神に信頼し、委ね祈る生活こそ、思い煩いから解放される人生なのです。その結果が7節です。「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。キリスト・イエスによって守る」とあります。単に守るではありません。「キリスト・イエスによって」とは2節と4節の「主においてと同じ意味です。主イエスとの生きた人間関係にあることによってです。また「守る」とありますが、これは原語では「監視する」の意味もあります。私たちの人生の進路が誤ることのないように神、主は監視してくださっているのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは思い煩いも主イエスが解決してくださるです。パウロは平安が神から持たされることを確信していました。ロ-マ15:13 を見てみましょう。15:13希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。8,9節を見てみましょう。4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。「終わりに、」とあります。原語では3章1節で、「では、」と訳された言葉と同じです。以前もお話しましたが、この「終わりに、」と訳されている原語はパウロの文章の特徴の一つで、必ずしも手紙の最後でない場合があります。最後にするつもりで、重要なことを伝えているのですが、その後に書きとどめたいことを思い起こしたのでしょう。ですから、この言葉は「これから大事なことを書きますので」の意味で解釈をすると良いと思います。その大事なことが、「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値すること」です。ここにはキリスト者としての8つの徳目が記されています。いわば徳目表と言えます。この徳目を「心に留めなさい」とパウロは勧めています。パウロは他の手紙でも徳目を挙げています。開きませんが、Ⅱコリント6:6やコロサイ3:12等です。キリスト者とは主イエスを救い主として信じて救われたものです。行いではありません。しかし、今や、天に国籍を持つものなのだから、その身分に相応しく歩みなさいと勧めているのです。信仰さえあれば道徳的なことはどうでも良いわけではありませんし、この世のことに無関心であっても良いわけでもありません。続く9節で、パウロは「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。」語ります。パウロはフィリピの教会を二回、訪問しましたので、この手紙を読む人の中にはパウロから直接、メッセージを聞いた人もいたでしょうし、そうでない人もいたでしょうが、肝心なことは実行することです。主イエスの人間の弟であるヤコブは離散している十二部族のキリスト者に次のように語ります。 2:14a わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。日々のデボショーンや集会、主日礼拝で聞いたことや示されたことをそのままにしてはいないでしょうか。実行しましょう。

Today’s point ①主イエスによる一致、②喜びも主にあるから、③思い煩いも主イエスが解決

Thinking time 実行が出来ていないことはありませか。どうしますか。