• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年1月16日主日礼拝

説教題:教会の頭は神なるキリスト 聖書箇所:コロサイの信徒への手紙1章9-23節

御子キリストによる創造と和解1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。1:15 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。1:16 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。1:17 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。1:18 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。1:23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。

ハレルヤ!1月の第三主日を迎えています。先週からコロサイの信徒への手紙を講解で学んでいて今日はその二回目です。先週は、1章1-11節から「信仰はキリスト・イエスの中にある~聖書が教える平和~」と題し、四つのことを中心にお話をしました。平和は神との和解により与えられる、②信仰はキリストの中にある、③主にある希望が信仰と愛を成長させる、④キリスト者の成長が御国の拡大になるでした。今日は1節9-23節から「教会の頭は神なるキリスト」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。

9節から順番に見て参りましょう。9節は新改訳聖書の訳が原文に忠実ですので、一緒に見てみましょう。1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。よって、神の御心を十分悟り、(新改訳)「こういうわけで、」とあります。先週、お話ししたように、パウロはエパフラスからコロサイ教会の兄弟姉妹についての良い報告に感謝をせざるをえませんでした。そして、また祈らざるを得なかったのです。「“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り」とあり、新改訳聖書では、「霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。と訳されています。御心を十分に悟るためには神についての知識を学ぶことは必要です。しかし頭でっかちの知識では傲慢となってしまい、成長するどころか、堕落してしまうものです。「“霊”による」つまり、聖霊に満たされ初めて、神の御心を十分悟ることが出来るのです。10-12節を見てみましょう。1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。聖霊に満たされ聖霊から与えられる真の知識が、新しい信仰の歩みをもたらすのです。その歩みとは「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み」にほかならないなのです。10-12節にはそうした歩みの四つの結果が記されています。先ず、「善い業」という実を結ぶのです。二番目は「神をますます深く知る」です。私たちの主に従った歩みは、日々の出来事を通して、神がどのようなお方か、深く知るようになるのです。三番目は「強められ」ることです。これは、限りのある人間の力ではなく、無限の神の栄光という力によるものです。その結果として、「どんなことも根気強く耐え忍ぶように」とならせて頂けるのです。最後は「感謝」です。「光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。」とある通りです。19世紀に活躍したイギリスの神学者のJB・ライトフットは「感謝は、言葉であろうと行為であろうと、まったく人間らしい行為の終極である」と述べました。私たちはどうでしょうか。主に従う歩みが出来ているでしょうか。その結果としての実を結んでいるでしょうか。父なる神に終極の行為である感謝をしているでしょうか。心を探ってみようではありませんか。

①光輝くクリスチャンであり続ける

13-14節を見てみましょう。1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。パウロは12節でキリスト者を「光の中にある聖なる者」と言いましたが、13節では「闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」と語ります。キリスト者は闇の世界から光の世界に属するものとかえられたのです。主イエスは山上の垂訓で弟子たちにこのように語りました。マタイによる福音書5章14節を見てみましょう。P5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。光は暗闇を照らすだけではなく、「山の上にある町」のように周りに対して、目立つもの、サインとなるものであることが記されています。今の社会では灯台や交通信号機に代表されるように周り対して、目印となるもの、なにかを示すものです。つまり、光は光らなければ何も意味がありません。光が光でなくなってしまうのです。東日本大震災直後の5月にボランティア活動で被災地を訪れたのですが、信号機の復旧が捗らずに交通事故が頻発しているとのことを現地の方から聞きました。光やあかりは機能して初めて意味がなすものです。コリントの信徒への手紙一6章20節を見てみましょう。6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。私たちは神様、イエス様に出会う前は暗闇の中にいましたが、私たちは今や世の光と変えられたのです。そのことにより未信者を主イエスに導けるのです。今日、先ず覚えて頂きたいことは光輝くクリスチャンであり続けるということです。15-20節を見て参りたいと思いますが、この箇所はこの手紙の主題で、キリストのご人格とその御業が述べられています。他のパウロ書簡には見ることのない壮大なキリスト論が記されています。この箇所は大事な教理ですが、未信者の方には難解な箇所でもあります。人智を遥かに超えた神の御業ですから人間の理性で理解することは不可能です。私たちの群れは聖書信仰に固く立っていますので、信仰を持って受け入れることが大事です。コロサイ教会には、パウロにこのような壮大な教理、キリスト論を書かせるほどの問題があったのです。先週、お話したようにキリストが神であることを否定するグノーシス派の異端です。ですから、パウロは,イエス・キリストの神性、救われたものの使命、主権を強調することによってコロサイ教会に忍び込んでいた異端の教えに反論するのです。

キリストは神そのもの

では、15-17節を見てみましょう。1:15 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。1:16 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。1:17 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。15-17節には、創造主としてのキリストについて三つのことが記されています。先ず、キリストは「見えない神の姿」であり長子であることです。神の御子は人間と同じ肉体を取られましたが、肉眼で見える肉体は神を現しているのではなく、その中に宿っている本性が神を現しているのです。そして、このことはキリストによって啓示されたことによって知ることができるのです。長子とは私たち人類が創造される前からキリストは存在していたからです。二番目は「万物は御子によって、御子のために造られました。」とあるように、キリストが万物の創造主であることです。最後は「すべてのものは御子によって支えられています。」とあるように、キリストが万物の創造主に加えて保持者、統治者でもあるということです。キリストの絶対性、普遍性、永遠性がわかります。キリストは絶対であり、普遍で、万物の創造主、保持者、統治者です。つまり、キリストは神なのです。今日、二番目に覚えて頂きたいことはキリストは神そのものということです。聖書学者のヘンリー Hハーレイは著書「聖書ハンドブック」でこの手紙に事を「コロサイ人への手紙はキリストの神性と充足性を扱っている」と記しています。先日、YouTubeを視聴されたある方からグノーシス派の教えは仮現論ではないのですか。との問い合わせを頂きました。確かに仮現論という学説はあります。キリストの身体性を否定する異端の教説ですので、キリストの神性の否定ではなく人間性の否定です。ですから今日の聖書箇所から判断すると、私はグノーシス派の教えは神性の否定と思っていますが、2,000年近くの前のことで証拠もありませんので、どちらが正しいとは言いきれません。今、私たちは三位一体なる神を信じています。しかし、パウロの時代にはグノーシス派以外にもキリストの神性を否定する群れがあり、325年に開かれたニカイア公会議でキリストの神性が認められ、381年のコンスタンティノープル公会議で三位一体の教理が確定したという歴史があります。

③キリストは教会の頭

18-20節を見てみましょう。1:18 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。18-20節には、キリストが新創造の主、救い主であることが記されています。キリストは、ご自身の尊き血によって神と人類を和解させてくださったのです。これが、新創造の御業で、パウロはキリストが救い主であることを語ります。「御子はその体である教会の頭です。」とあります。キリストは創造主であり救い主であり教会の頭で、その体である教会を統治し導いておられるのです。パウロはキリストと教会との関係を比ゆ的に頭と体でたとえています。開きませんが、コリントの信徒への手紙一2章12-27節やローマの信徒への手紙12章4,5節を後ほどお読みください。また、エフェソの信徒への手紙4章では「キリストの体なる教会」について記されています。教会はキリストの体であり主イエスを長子とする家族なのです。今日、三番目に覚えて頂きたいことはキリストは教会の頭ということです。

聖化の完成は再臨時

21-23節を見てみましょう。1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。1:23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。パウロは新創造の御業、救いの御業に続いて、それをコロサイ教会の兄弟姉妹への適用をこの箇所で語ります。キリストの恵みによって救われた者のあり方です。「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。」とありますがエフェソの信徒への手紙4章18,19節にも同様な御言葉が記されています。見てみましょう。 4:18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。 4:19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。神、主イエスと出会う前の人間の生き方が如実に描かれています。22節に「御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」とあります。これが、神と和解した者の究極的なあり方です。これらの完璧なことは「御自身の前に」、つまり、キリストの裁きの座に立つときに完成をするのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは聖化の完成は再臨時ということです。それまでは進行系です。ですから、パウロは「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。」と忠告をしているのです。「福音の希望」とは再臨のことです。23節の後半に「わたしパウロは、それに仕える者とされました。」とありますが、これは何もパウロに限ったことではありません。新創造の御業に預かった全てのキリスト者は福音を述べ伝え主にお仕えするものなのです。

Today’s Point①光輝くクリスチャンであり続ける、②キリストは神そのもの、③キリストは教会の頭、④聖化の完成は再臨時

Thinking Timeどうしたら「揺るぐことなく信仰に踏みとどまれる」でしょうか。