説教題:信仰はキリスト・イエスの中にある~聖書が教える平和~ 聖書箇所:コロサイの信徒への手紙1章1-8節
◆挨拶1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、1:2 コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。◆神への感謝1:3 わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。1:4 あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。1:5 それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。1:6 あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。1:7 あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、1:8 また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。
ハレルヤ!1月の第二主日を迎えています。先週はヨハネによる福音書15章1-11節から「勝利の秘訣~イエスはまことのぶどうの木~」と題し三つのことを中心にお話をしました。①主イエスと固く繋がっている、②主はまことのぶどうの木、③主の喜びを私たちの喜びとするでした。今日からコロサイの信徒への手紙を講解で学びます。先ず、全体的なことからお話をしたいと思います。コロサイの場所の確認をしてみましょう。エフェソから東に約160Kmに位置し、ラオディキア(黙示録3章参照)の南です。160Kmとは私たちの教会から北に進むと那須塩原市の距離です。現在、コロサイという名前は消え、町の名前は「ホナズ」となっています。パウロはこの手紙を書いている時点では、コロサイを訪問したことがありませんでした。この手紙の2章1節からわかります。2:1 わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。ですからコロサイの教会はパウロによって直接、作られたものではありません。では、どうしてこの教会が出来たのかというと、パウロはエフェソに3年間滞在をし、そこで伝道活動をしていました。使徒言行録19章10節には次のように記されています。 19:10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。後ほど詳しく見ますが、7節に記されているエパフラスがエフェソで福音を聞き回心をし、コロサイに行き教会が生まれたものと思われます。このコロサイの信徒への手紙は、パウロが逮捕・収監されたなかで執筆しているので、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙は「獄中書簡」と呼ばれています。獄中の場所はローマなど諸説ありますが、いずれも決め手を欠いています。また、執筆年代も諸説ありますが、一般的には70年頃と考えられています。今日は1章1-11節から「信仰はキリスト・イエスの中にある~聖書が教える平和~」と題してお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。
①平和は神との和解により与えられる
挨拶の部分である1,2節から見てまいりましょう。1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、1:2 コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。Paul, an apostle of Jesus Christ by the will of God, and Timotheus our brother, (KJB)手紙ですので、誰が誰に何のために書いたのかの確認をしてみましょう。この手紙も当時の手紙の様式に従い、他のパウロ書簡と同様に定番の書き出しで始まります。差出人(パウロと兄弟テモテ)宛先(コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たち)、祝祷(わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように)という三つの要素です。「使徒とされたパウロ」とありますが、原語ではパウロ、使徒と書き始められています。ですから、多くの英語の聖書では 「Paul, an apostle,」と訳されています。このパウロ使徒という表現は使徒の権威を持って手紙を書かなければならに場合に使われ、コロサイの教会にも使徒の権威をもって解決をしなければならない問題があったのです。その問題が2章8節に記されています。 2:8 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。「人間の言い伝えにすぎない哲学」とは当時、横行していたグノーシス主義のことです。グノーシスとはギリシャ語で知識、認識を意味する語で、このグノーシスを獲得し救済を得ようとする考え方がグノーシス主義です。キリスト教のグノーシス派の教えはキリストの神性の否定です。キリストが神そのものであることが正しく理解していなかったのです。コロサイの教会には、このグノーシス派の異端が忍び込んでいたのです。パウロはこのことを警告し、異端の教えを正すためにこの手紙を書いたのです。今、私たちは三位一体なる神を信じています。しかし、パウロの時代にはグノーシス派以外にもキリストの神性を否定する群れがあり、325年に開かれたニカイア公会議でキリストの神性が認められ、381年のコンスタンティノープル公会議で三位一体の教理が確定したという歴史があります。2節に「神からの恵みと平和」とありますが、「平和」の部分は口語訳と新改訳では「平安」と訳されています。聖書で平安、平和と訳されている言葉は、単なる平和や平安という意味ではありません。ヘブル語ではシャローム、ギリシャ語ではエイレーネと言いますが、平和に加え健全、完結、安全、繁栄という意味があります。では、聖書が教える平和はどこから来るのでしょうか。イザヤ書48章22節には次のように記されています。48:22 神に逆らう者に平和はない、と主は言われる。神との和解がないものに本当の心の平和はありえないのです。今日先ず覚えて頂きたいことは平和は神との和解から与えられるということです。そして、神との間に平和が与えられ、心に平安が与えられたものはお互いに平和を作り出すことが出来るのです。ローマの信徒への手紙14章19節には次のように記されています。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。勿論、私たちの間で平和を築き上げることは、私たちの努力だけで出来るものではありません。聖霊の助けがあってのことです。
②信仰はキリストの中にある
3節を見てみましょう。1:3 わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。1:4 あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。新共同訳では3-8節は5つの文に区切られていますが、原文では、この感謝の祈りは3節から始まり8節で終わる一つの長い文です。親が子どもの欠点を見抜いているように、パウロはコロサイの教会が直面している問題をよく理解していました。だからこそこの手紙を書いているのですが、性急に事を運ぶことはしません。挨拶に続いて「あなたがたの間には、異端の人間が紛れ込んでいる」と直球でボールを投げるようなことはせずに、聞き及んだコロサイ人々の信仰と愛の素晴らしさを神に感謝しているのです。パウロは偉大な伝道者ですが、配慮に長けた牧会者でもあります。しかも、この感謝は形式的なものではありません。「いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。」とある通りです。4節を英語の聖書と一緒に見てみましぃう。 1:4 あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。1:4Since we heard of your faith in Christ Jesus, and of the love which ye have to all the saints,(KJB)4節は3節に記されている感謝の理由です。「キリスト・イエスにおいて持っている信仰」と訳されていますが、少し回りくどいにくい表現ですので英語の聖書で見てみましょう。英語では your faith in Christ Jesusです。英語の聖書は数多くありますが、私が知っている27種の聖書では全てyour faith in Christ Jesusです。直訳すればキリスト・イエスの中にあるあなた方の信仰です。faith in Christ Jesus なのです。これは、前置詞のat on inの概念を見るとわかります。atの概念は一次元、onは二次元、onは三次元なのです。つまり、キリスト・イエスこそ、信仰が根を下ろしている大地であり、そこから信仰という幹を通して、豊かな祝福という実を結ぶことが出来るのです。キリスト・イエスの中に私たちの全ての祝福があり、キリスト・イエスとの固い結びつきによって可能となるのです。私たちの信仰は私たちの中にあるのではないのです。今日二番目に覚えて頂きたいことは信仰はキリスト・イエスの中にあるということです。faith in Christ Jesus です。これは内住のキリストがなせることなのです。続いて「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。」とあります。「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」とはコロサイの教会員に加え、近隣にあったラオディキアと教会員も含まれるでしょう。この「愛」とは信仰に伴う愛です。パウロはエフェソへの信徒の手紙で、次のように語ります。 6:23 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。信仰を持って神の愛に応答するとき、そこから他の人への愛が与えられるのです。これが、4節の「愛」です。そして、この「信仰」と「愛」は主イエスにある「希望」に基づくものなのです。
③主にある希望が信仰と愛を成長させる
5節を見てみましょう。1:5 それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。主イエスにある希望によって信仰は強められ、愛は豊かになるのです。今日、三番目に覚えて頂きたいことは主イエスにある希望が信仰と愛を成長させるということです。ですから、先週、お話ししたように真のぶどうの木である主イエスとしっかりと結び続けている必要があるのです。私たちが未来に希望を抱いても、そこに愛を持つことが出来ないのなら、「あなたがたのために天に蓄えられている希望」がわかっていないのです。「福音という真理の言葉を」聞いていないのです。聞いても理解していないのです。そのような人は、明日のことはわからないから好きなことを好きなだけしようと考えるのです。3-5節では信仰生活の三本柱ともいえる信仰と愛と希望がお互いに深くかかわっていること、そして将来、キリスト者に用意されている豊かな祝福は福音という真理によって知ることができるのです。パウロはローマへの信徒の手紙で次のように述べています。5:13 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
④キリスト者の個人の成長が御国の拡大になる
6-8節を見てみましょう。1:6 あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。1:7 あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、1:8 また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。6-8節には「あなたがたにまで伝えられたこの福音」についての説明が記されています。福音とは私たち人類を罪から救うための真理の言葉です。そして、この福音は「神の恵み」により成し遂げられたのです。神の恵みによる救いです。私たちは全員が罪人ですので、罪びとが罪びとを救うことは出来ません。そこで神は、罪なき御子を十字架に掛けて、本来であれば滅びゆく私たちを救ってくださったのです。神の一方的なご厚意、恵みです。「実を結んで成長しています。」とあります。「実を結んで」とはキリスト者個人の成長で、福音の内的働きと言えます、続く「成長して」とはキリスト者個人の成長が福音の拡大に繋がるのです。福音の外的働きと言えます、このことが、「世界中至るところで」起こっているのです。今日、最後に覚えて頂きたいことはキリスト者の個人の成長が御国の拡大になるということです。7節に「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。」とあるように、この素晴らしい福音をコロサイの教会に届けたのが、「エパフラス」です。「エパフラス」については4章12節とフィレモンへの手紙1:23節にもその名が記されていますので見てみましょう。 4:12 あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。 フィレモン 1:23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。エパフラスの名前が記されているのは今日の聖書箇所を含め三か所だけですので、多くのことはわかりませんが、「キリストに忠実に仕える者」で「熱心に祈って」おり、パウロと「共に捕らわれてい」たことがわかります。パウロが信頼する同労者だったのでしょう。そして、「“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人」だったのです。「“霊”に基づくあなたがたの愛」とありますが、霊にクオテーションマークが付いていますので、御霊の実としての愛です。開きませんがガラテヤの信徒への手紙5章22節に記されています。パウロはコロサイの人々がこのような御霊の実である豊かな愛を抱いていることを聞きました。そのことに感謝と賛美をせざるをえなかったのです。
Today’s Point①平和は神との和解により与えられる、②信仰はキリストの中にある、③主にある希望が信仰と愛を成長させる、④キリスト者の成長が御国の拡大になる
Thinking Time 個人の成長のため何をしていますか。