• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2022年3月9日聖書の学び

本日は、ヘブライ人への手紙13章18節から「良心の確信」と題し、短くお話をします。

ヘブル 13:18 わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています

同志社は1875年(明治8年)新島襄によって創立された、キリスト教主義の学校です。同志社のHPには次のように記されています。「新島は9年間におよんだ欧米での生活を通して、キリスト教、とくにプロテスタントが文化や国民に与えた精神的感化がいかに巨大であるかを体得して帰国しました。」その一つがキリスト教精神に基づく良心で、同志社の入口の石碑には「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」と刻まれています。これは、「良心が全身に充満した青年が現れることを望んでやまない」という意味で、この良心に満ち溢れた人々を育成することが新島襄の願いでした。

ヘブライ人への手紙はパウロが記したのではないかとの学説はありますが、いつ誰が書いたかは不明です。手紙の形式をとってはいますが、教えることを目的としています。ヘブライ人への手紙の記者は手紙の最後で「わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。」と記しました。

キリスト教精神に基づく良心とは主にある良心です。この良心が私たちの立派な行動に繋がるのですが、この良心は私たち自身で得られるものではありません。ローマの信徒への手紙9章1節には次のように記されています。9:1 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、良心は内住の聖霊のお働きによって初めて芽生えるものです。だからといって私たち人間のサイドで何もしなくて良いというわけではありません。日々のデボーションが必要となります。デボーションとは心の食事とも言えます。私たちの健康を維持するために、毎日の食事は大切なものです。週に一回レストランで食事をしていれば良いなどと誰も考えません。テトスへの手紙とテモテへの手紙一を見てみましょう。

テトス 1:15 清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。

テモテ1:19 信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。

私たちはどうでしょうか。この良心を持っていると確信ができるでしょうか。

日々のデボーションを通して、聖霊に満たされ、私たちの言動により、良心が全身に充満したキリスト者が現れることを祈ろうではありません。