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2022年5月8日主日礼拝 

説教題 喜びの油~高価で尊く愛されている~ 聖書箇所 ヘブライ人への手紙1章4-14節

1:4 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。◆御子は天使にまさる1:5 いったい神は、かつて天使のだれに、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、/「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。1:6 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、/「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。1:7 また、天使たちに関しては、/「神は、その天使たちを風とし、/御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、/また、公正の笏が御国の笏である。1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、/あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。1:12 あなたが外套のように巻くと、/これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、/あなたの年は尽きることがない。」1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、/「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、/わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。1:14 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

ハレルヤ!5月の第二主日を迎えています。先週からヘブライ人への手紙を講解で学んでおり、今日はその二回目です。先週は、1章1-3節を通し、「キリストの三職務~耳を傾けていますか~」と題して三つの教理的なことを中心にお話をしました。➀キリストは預言者、②キリストは大祭司、③キリストは王でした。今日は続く1章4-14節を通し、「喜びの油~高価で尊く愛されている~」と題しお話を致します。ご一緒に学んで参りましょう。

➀高慢、傲慢は罪

それでは4節から順番に見て参りましょう。1:4 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。1-2節にはキリストと旧約時代の預言者を比較し、旧約の預言は部分的で段階的で、キリストが預言の完成であることが記されていました。つまり、キリストは旧約時代のどの預言者よりも優るということです。今日の箇所は、キリストと天使の比較から始まります。「天使たちより優れた者となられました。」とあります。初代教会時代、キリスト教の教理は確立しておらず、異端を含め様々な教えがあり、それぞれが自分たちの教えの優位性を誇っていました。ガラテヤの教会では割礼派の教えがあり、コロサイの教会ではグノーシス派の教えが入り込んでいました。この手紙の受取人(共同体)ユダヤ人クリスチャンの中には天使礼拝をしていた人がいたと考えられます。今日では当たり前のキリスト教の根幹をなす三位一体の教理が確立したのは、381年に開かれたコンスタンティノポリス公会議です。教理が混沌としていた時代、著者はキリストの絶対的な優位性を伝える必要があったのです。天使は原語ではἀγγέλων( angelōn)と言い、英語のangeleが派生しています。元々の意味は使者、メッセンジャーという意味です。天使は使者、メッセンジャーとして良き働きをしています。乙女マリアの妊娠や、荒野で誘惑やゲッセマネの祈りの時に天使は主イエスの味方をしていました。しかし、天使は神の使者、メッセンジャーに過ぎないのです。それだけではありません。留意して欲しいのですが、堕落してしまった天使がいるのです。堕天使の頭がサタンなのです。何故、天使が堕落してしまったのかがイザヤ書14章12-14節からわかります。 14:12 ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。 14:13 かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り/王座を神の星よりも高く据え/神々の集う北の果ての山に座し 14:14 雲の頂に登って/いと高き者のようになろう」と。ここにはサタンの起源が記されています。「明けの明星、曙の子」とは天使のことです。神に仕えていた天使が傲慢になり、自分自身が神になりたいと思うようになり、天から突き落とされたのです。開きませんが、エゼキエル書28章にも参考となる聖句がありますので、後ほど読まれてください。さて、この箇所から大事な適用がわかります。天使でさえ傲慢になってしまったのです。私たちは。知らず知らずのうちに傲慢になってはいないでしょうか。あたかも自分が神のように振舞ってはいないでしょうか。箴言21章4節には次のように記されています。21:4 高慢なまなざし、傲慢な心は/神に逆らう者の灯、罪。今日、先ず覚えて頂きたいことは高慢、傲慢は罪ということです。今、ここで高慢、傲慢になっていないか心を探ってみようではありませんか。

②救いはキリスト信仰のみ

4節の後半に、「天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。」とありますが、その具体的な内容が5節以降です。先週、この手紙の特徴の一つとして旧約聖書からの引用が多いことはお話ししましたが、5節以降で著者は7つの旧約聖書を引用し優位性を説明します。一つ一つ確認をしてみたいと思います。5節です。1:5 いったい神は、かつて天使のだれに、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、/「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。5節には二つの旧約聖書が引用されています。「」の部分です。前半に「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」とありますが、これは詩編2編7節からの引用です。2:7 主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子/今日、わたしはお前を生んだ。詩編2編は王の預言と呼ばれ、詩編2編2節には「主の油注がれた方」と記されています。油が注がれることは王が即位するときに行われていました。預言者や祭司が任職されるときにも行われていました。油注がれた方とはヘブル語でマシーアハで、ギリシャ語ではクリオ―です。それぞれ、英語ではメシア、キリストなっています。著者は詩編2編7節を引用しキリストが神の子であり、神がキリストを生んだことを確認します。キリストとは油が注がれたお方です。後半の「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となる」はサムエル記下7章14節の御言葉です。7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。この御言葉は、直接的には預言者ナタンがダビデに語られたことですが、著者は引用し、前述の詩編と同様にキリストこそが神の子だと語るのです。6節を見てみましょう。1:6 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、/「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。6節は詩編97編7節からの引用です。97:7 すべて、偶像に仕える者/むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。「神々」とありますが、スタディ版新共同訳聖書の欄外には「天使や人間の支配者を指して使われることもある」と記されています。著者は、天使はキリストを礼拝するもので、キリストは天使から礼拝をされるものだということを語ります。ここにも根本的な差があります。人間と同様に、天使はキリストにあって神をあがめるのです。7節を見てみましょう。1:7 また、天使たちに関しては、/「神は、その天使たちを風とし、/御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、7節は詩編104編4節からの引用です。104:4 さまざまな風を伝令とし/燃える火を御もとに仕えさせられる。神は天使たちを風として、炎としてお創りになり、これを使用されるのです。この箇所からも天使が道具として用いられていることがわかると思います。昨年末に帰天された神学者の宇田進先生は「御使いは、神の側近、神の友であるが、雑用をする小間使いに過ぎない」と解説をしています。最近、小間使いという言葉は使わないと思いますが、お手伝いさんの意味です。御使いは神のお手伝いさんに過ぎないのです。8,9節を見てみましょう。1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、/また、公正の笏が御国の笏である。1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、/あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」「一方、御子に向かっては、」とります。著者はキリストについて語り始めます。8節は詩45編6,7節からの引用です。 45:6 あなたの矢は鋭く、王の敵のただ中に飛び/諸国の民はあなたの足もとに倒れる。 45:7 神よ、あなたの王座は世々限りなく/あなたの王権の笏は公平の笏。8節に「神よ、」とあります。5節では、キリストはわたしの子=神の子と呼ばれていますが、8節では、神と呼ばれているのです。8,9節からキリストの天使に対する優位性が道徳的、倫理的な面からもわかります。先程、堕天使の長がサタンであると言いましたが、サタンについての記述をヨハネによる福音書14章30節とコリントの信徒への手紙二4章4節で見てみましょう。ヨハネ 14:30 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。二コリント 4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。サタンが「世の支配者」、「この世の神」と記されています。サタンは私たちが住む悪しき世を支配するものであり、この世の神として崇められているのです。これとは対照的にキリストの生涯は義を愛し義に生きた生涯でした。キリストは終わりの日には正義を持って裁きの座に着かれるのです。「公正の笏が御国の笏」とある通りです。笏とは王笏とも言い、君主が持つ象徴的かつ装飾的な杖のことです。9節に「喜びの油」とあります。キリストとは油を注がれたお方ですが、喜びの油が注がれているのです。言うまでもありませんが、喜びとは救いの喜びです。私たちの救いはキリストご自身が犠牲を払うことによって私たちに喜びを与えてくださったのです。その犠牲とは十字架です。十字架に掛かられたキリストで、天使ではありません。今日、二番目に覚えて頂きことは救いはキリスト信仰のみということです。天使を含め、キリスト以外の他の誰によっても救われることはないのです。

③高価で尊く愛されている

10-12節を見てみましょう。1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。1:12 あなたが外套のように巻くと、/これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、/あなたの年は尽きることがない。」この個所は詩編102編25-27節の引用です。102:25 わたしは言った。「わたしの神よ、生涯の半ばで/わたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。102:26 かつてあなたは大地の基を据え/御手をもって天を造られました。102:27 それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると/すべては替えられてしまいます。この箇所にはキリストが宇宙の創造者で永遠の存在であることが記されていて、キリストと天使には決定的な差がわかります。それは、先週、学びましたがキリストは万物の創造者です。つまり、キリストは創造主で天使は人間と同様に被創造物にすぎないということです。天使を含め全ての被造物は時間の支配下にあります。「すべてのものは、衣のように古び廃れる。」とあるように創られたものは必ず時に応じて朽ちるのです。しかし、キリストは時空を超えた存在で永遠に続くものなのです。天使とは天と地以上の差があるのです。13節を見てみましょう。1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、/「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、/わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。13節は詩編110編1節からの引用です。110:1 【ダビデの詩。賛歌。】わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」「敵をあなたの足台とする」当時、王が勝利を得たとき、敵将の首に足をかけていました。敵を征服したとの象徴のためです。開きませんが、ヨシュア記10章24節にはそのことが記されています。「わたしの右」とあります。先週もお話ししましたが、神の右という物理的な場所を示すのでなく、最高の栄誉の地位を現しています。引用元の詩編110編1節は、初代教会の時代から、終末の日の黙示として信じられています。キリストの再臨とキリストが来るべき王国の王として万物を支配する荘厳な光景を垣間見ることが出来ます。14節を見てみましょう。1:14 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。著者は天使とは何かを語りキリストと天使の比較論を閉じます。ます。天使はキリストを礼拝するキリスト者に仕えるための霊的存在に過ぎないのです。キリスト者とは天の御国を受け継ぐことができます。その間、天使がキリスト者に仕えてくれるのです。この世の要人を警護するために仕えるシークレットサービスという役目があります。頭脳明晰で体力に長けた方たちですが、誰にでも仕えるわけではありません。主なる神はキリスト者を守るために天使を与えてくださっているのです。キリスト者とは神の目からみればそれほどの要人なのです。イザヤ書43章4節aを新改訳聖書で見てみましょう。43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。今日、最後に覚えて頂きたいことは高価で尊く愛されているということです。私たちに仕えるために天使が遣わされているほど高価で尊い存在なのです。ですから、たとえ、私たちが自分自身をどう思おうが、主は私たちの一人一人を高価で尊く思ってくださり、そして愛してくださっているのです。

Today’s Point➀高慢、傲慢は罪、②救いはキリスト信仰のみ、③高価で尊く愛されている

Thinking Time救われている喜びにどう応えますか。