本日は、ルカによる福音書10章36,37節から「神から託された人」と題して短くお話をします。
ルカ 10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ルカによる福音書10章25-37節(新共同訳聖書小見出し 善いサマリア人)には、隣人愛について記されています。要約をしますと、エルサレムからエリコに向かう道中で一人の男が強盗に襲われて身ぐるみ剥がされ、半死半生となって道端に倒れていました。そこに三人の人が通りかかりました。先ず、祭司です。祭司は、その人を見ると道の向こう側を通り過ぎて行きました。次はレビ人です。レビ人も道の向こう側を通り過ぎて行ったのです。最後のサマリア人は、そばに来てこの半死半生の人を助けたのです。傷口の治療をして、ろばに乗せて宿屋まで運び介抱しました。さらに、翌日になると宿屋の主人に怪我人の世話を頼んでその費用も払ったのです。36,37節は、このたとえ話の締めのお言葉です。クリスチャン作家の三浦綾子(1922年 4月25日 – 1999年 10月12日)さんは肺結核とカリエスで札幌医大に入院をしていました。入院中、三浦さんを度々、見舞ってくださった方に西村久蔵という名の立派な信仰者がいました。当時、西村さんは55歳で、札幌で200名位の従業員がいる会社の経営者であり、元教師でもあったことで多くの人から慕われていました。ある時、三浦さんは西村さんに「ご多忙中にもかかわらず、どうしてこんなに頻繁に訪ねてくださるのですか」と。すると、西村さんは「知り合った人は、みな自分の責任範囲なのですよ。神から託された人なのですよ」と答えました。今日の題は、この一言の一部から使わせて頂いています。この西村さんの一言が信仰を持ち始めてまもない三浦さんの胸を激しく打ち、三浦さんには一生忘れることの出来ない一言となりました。この一年後に西村さんは帰天されたのですが、葬儀会場となった教会には入りきれない数多くの方が参列したと言われています。聖書が教える隣人とは、自分以外の人の事を言います。家族親族、友人知人、同僚同級生、地域の人など全ての人が隣人なのです。隣人愛を注ぐべき「神から託された人」を忘れてはいませんか。「神から託された人」の中に未信者の方はいませんか。「知り合った人は、みな自分の責任範囲なのですよ。神から託された人なのです」。この言葉を心に留め祈りましょう、そしてアクションを起こそうではありませんか。