本日は、フィリピの信徒への2章21節とヨハネの手紙一3章16節から「斬鉄剣と消しゴム」と題して短くお話をします。
フィリピ 2:21 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。ヨハネ一 3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
三年近く前にお亡くなりになりましたが、漫画家のモンキー・パンチさんの代表作に「ルパン三世」があります。主役はルパン三世ですが、主要登場人物の一人に十三代目 石川五右衛門というキャラクターがいます。居合の達人であり武道全般に秀でており、斬鉄剣という日本刀が武器です。斬鉄剣は字のごとく鉄をも斬ることが出来る剣で、斬れないものは女性とコンニャクという設定です。しかし、よく考えてみれば斬鉄剣を以ってしてもどうしてみ斬れないものがもう一つあります。それは、斬鉄剣そのものです。これは電気ドリルにもあてはまります。鉄板やコンクリートにも孔をあけることが出来る強力な電気ドリルもその電気ドリル自体には孔が開けられません。事務用品の一つに消しゴムがあります。パソコンが普及した現在、あまり使うことはありませんが、学生時代には大変お世話になりました。誤字、不適切な表現など誤りを消すのがその目的です。そして、その目的を果たすたびに、消しゴムはどんどんすり減りその使命を果たします。世の中には色々なタイプの人がいると思いますが、斬鉄剣や消しゴムのようなタイプの方もいます。斬鉄剣のような人とは、批判をしたり、裁いたりして周りの人を斬りまくる。しかし、自分自身を斬ることは出来ない人。これはエフェソへの信徒の手紙にある「イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めて」いる人と言えるでしょう。消しゴムのような人とは、他者の罪をおおい、その過ちを消し去るために自分自身をすり減らしながら生きる人です。使徒ヨハネは主イエスについて次のように語りました。 3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
レントに入り四週間が経ちました。イエスキリストの十字架を仰ぎ見つつ、自分が斬鉄剣になってしまっていないかを探ってみようではありませんか。