説教題:「神の恵みが現れた!~良き業に励む~其の弐」聖書箇所:テトスへの手紙3章4-15節
3:4 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。3:8 この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いことであり、人々に有益です。 3:9 愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。 3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。3:11 あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。◆結びの言葉3:12 アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです。3:13 法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。3:14 わたしたちの仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。3:15 わたしと一緒にいる者たちが皆、あなたによろしくと言っています。わたしたちを愛している信仰の友人たちによろしく伝えてください。恵みがあなたがた一同と共にあるように。
ハレルヤ!6月の第一主日を迎えました。先週はペンテコステ礼拝でしたので、テトスへの手紙の講解説教はお休みでした。今日はテトスへの手紙の四回目の学びで最後です。前回のおさらいをします。2章11節-3章3節を通して、「神の恵みが現れた!~良き業に励む~」と題して四つのことを中心にお話をしました。①キリストという神の恵みが現れた、②指導者にも弱さがある、③良き業に励む、④福音には人を変える力があるでした。今朝は、続く3章4-15節から「神の恵みが現れた!~良き業に励む~其の弐」と題し前回の続編をお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。
①永遠に御国の相続人とされた
4,5節から見て参りましょう。3:4 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。「しかし、」とあります。先週、学んだ3節を受けてのことですが確認のため開いて見ましょう。3:3 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。救われる前のパウロの状態は罪の百貨店のような存在でした。これはパウロに限ったことではありません。全ての人に当てはまることです。4,5節にはとても大事な三つ恵みが述べられています。先ず、「神の慈しみと、人間に対する愛」です。これは、3節に記されている事柄、人間がいかに本来あるべき姿を失っていたかとの対比です。堕落しきった暗黒の世界に神の慈しみにあふれた光が注がれるのです。この神の慈しみと愛の光により、自分のみじめな姿を知り、そこに救い主であるイエスキリストという希望を見出すことが出来るのです。神は全く価値なき私たちをこれほど愛し、慈しんでくださっているのです。恵みとしか言いようがありません。二番目の恵みは「御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。」とあるようにイエスキリストの恵みです。パウロは救いの恵みに預かる前の人間の姿を繰り返し他の手紙でも述べています。神の怒りに値する偶像礼拝者であり、不信仰な者であったことです。しかし、そのような者をも救い神の子としてくださるのです。恵みとしか言いようがありません。18世紀に活躍したイギリスのメソジスト教会の伝道者のホイット・フィールドは刑場に引かれていく囚人を見たときに次のように語りました。「神の恵みがなかったならば、そこに行くにはまさに私なのだ」と。どんなに私たちが難行苦行といった修行を積んだとしてもそのことによって新しく生まれ変わる救われることなどないのです。ローマの信徒への手紙には次のように記されています。 10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。たったこれだけで永遠の刑罰から免れることができるのです。正に福音、良いお知らせ、Good newsとしか言いようがありません。三番目の恵みは人を新生させる「聖霊」の働きです。私たちが行った何かの行為や功績によるのではなく、ただただ哀れみにより、聖霊なる神が働いてくださり、罪の中に死んでいた私たちを新しく生まれ変らせ救ってくださるのです。キリスト者も罪びとですが、赦された罪びとであることを忘れてはいけません。ローマ帝国の神父であり、神学者のアウグスティヌスに次のような逸話があります。ある一人の男が陰気な顔をしてアウグスティヌスに自分の罪について話しました。アウグスティヌスは「あなたは罪を見つめないで、神様を見上げなさい」といって慰めました。これが意味することは「人は生涯、罪を悔やんで過ごしてはいけない」という意味ではありません。「一つ一つの罪が神の恵みによって赦されることに感激をする者とならなければならない」という意味です。5節の後半に「新たに造りかえる洗い」とは聖霊によるバプテスマのことですので、礼典としての洗礼式のことではありません。6,7節を見てみましょう。3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。「この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました」とあります。主イエスは天にお戻りになる前に次のように語りました。ヨハネによる福音書14章15-17節を開いて見ましょう。14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。「別の弁護者、この方、真理の霊、この霊」とは聖霊のことです。主イエスの約束が実現したことが6節からわかりますが、この背景には神の御子イエスキリストが十字架の上で、贖いの死を遂げられた事実があったことを決して忘れてはならないのです。聖霊の特定の働きを強調する群れやキリスト者がいます。聖霊の働きは強調しても強調しきれませんが、それをもたらした十字架も同様に強調すべきなのです。7節に「義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」とありますが、これは3-6節に記されていたことの目的です。恵みによって、永遠に御国の相続人として神から祝福を受け続けるということです。これ以上に幸いなことはないと思います。今日、先ず覚えて頂きたいことは永遠に御国の相続人とされたということです。
②聖霊により良い行いが可能となる
8節を見てみましょう。3:8 この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いことであり、人々に有益です。「この言葉は真実です」とあります。口語訳聖書では「この言葉は確実である」と訳されているように、代価が支払い済で成立している契約なので確実なのです。ガラテヤの信永遠に御国の相続人とされた徒への手紙3章15節を新改訳聖書で開いて見ましょう。3:15 兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。(新改訳聖書)人間の契約でも一度、それが締結されれば無効になることはありません。まして、神が私たちにお与えになる祝福の契約は絶対に変わることがないのです。「神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。」とありますが、これは聖霊の働きです。人はだれでも主イエスを救い主と受け入れた瞬間から聖霊が内にとどまります。これを神学用語では内住の聖霊と言いうます。その聖霊が、日々私たちを成長させてくださり、最終的には主イエスの身の丈まで成長をさせて頂けるのです。神学用語で言えば「聖化」で私たちの所属する日本ホーリネス教団の四重の福音の一つです。救いの信仰と「良い行い」との間には必然的な関係、連鎖があるのです。私が教会に通い始めて福音を聞いたときに、福音は本当に良い知らせかもしれないとおもいました。好き勝手にやりたい放題し放題に人生を過ごしても、最後の最後に主イエスを受け入れれば、天国に行けるのだと思ったのです。しかし、内住の聖霊によりそのような考えは直ぐに消え去りました。今日、二番目に覚えて頂きたいことは聖霊により良い行いが可能となるということです。
③異端には十分に注意し対応する
9-11節を見てみましょう。3:9 愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。 3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。3:11 あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。9節で述べられていることは1章10-16節にも記されていました。直前の3章4-7節で救い主の出現とその働き、聖霊の働きを述べ、手紙を閉じる前に再度記し、これらのことがいかに無益で空しいものかを伝えているのです。「分裂を引き起こす人」とあります。口語訳聖書では「異端者」と訳されていますが、必ずしも異端の教えを信奉している人だけではありません。元々の原語の意味は自分の意見を強情に押しとおそうとする人のことです。福音でないことを教える偽教師や教会の中で不協和音を出している人もそうです。そのような人に対して、パウロは「―、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。」と勧告をするのです。新共同訳では「かかわりを持たないようにしなさい」穏やかに訳されていますが、原語は「拒絶しなさい」です。新改訳聖書では「除名しなさい」と訳されています。11節にはそのような人たちについて記されています。知らないでそのようなことを続けているのではなく、自分でもそれが間違っていると自覚しながらもそれをし続けているのです。そのような人には断固とした措置をとる必要があるのです。厳しい措置だと思う方もいると思いますが、このことが教会を混乱させ分裂をするか、正しく成長をするかの分かれ目になるのです。真理の御言葉を軽視し、主の体なる教会の秩序を乱す者に対しては時に厳しい措置が必要になるのです。昨年の7月に安倍元首相が暗殺されたことにより、統一協会と政治家の関係や常軌を逸した献金のなど様々な問題が明るみにでましたが、韓国では、いまや「統一教会」に替わって異端の代表格となっている「新天地」という新興宗教団体があります。正式名称は「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」といい、教義は教祖イ・マニ氏をイエスの代理人、終わりの時代の救い主と教える団体です。完全に異端です。急成長の背景は既成教会の乗っ取りです。先ず、新天地の信者に既成教会を乗っ取るための訓練をします。そして、訓練を受けた信者を既成教会に送り込み、一般信徒を引き抜く。その後、更に大量に信者を送り込み、教会内に分裂を起こすことにより牧師を追い出す。最終的には教会を乗っ取る。というものです。今日、最後に覚えて頂きたいことは異端には十分に注意し対応するということです。毅然とした対応をしなければならない時もあるのです。12節以降は最後の挨拶ですが、パウロの個人的依頼とも言えます。12,13節を見てみましょう。3:12 アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです。3:13 法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。「アルテマス、法律家ゼナス、ティキコ、アポロ」の4人の名前がとありますが、「アルテマス、法律家ゼナス」の両名については聖書の中でこの箇所しか記述がありませんので不詳です。「ティキコ」はパウロが最も信頼する使者でした。コロサイの教会とエフェソの教会に手紙を届けました。そのことは開きませんがコロサイの信徒への手紙4章7節、エフェソの信徒への手紙6章21節に記されています。「ニコポリスにいるわたしのところへ来てください」とあります。初回の講解説教で話しましたが、この手紙はニコポリスで書かれた可能性が大です。「アポロ」は聖書に精通した雄弁家でした。使徒言行録やコリントの信徒への手紙一に記されています。14,15節を見てみましょう。3:14 わたしたちの仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。3:15 わたしと一緒にいる者たちが皆、あなたによろしくと言っています。わたしたちを愛している信仰の友人たちによろしく伝えてください。恵みがあなたがた一同と共にあるように。「わたしたちの仲間」とはクレタのキリスト者を指しています。パウロはクレタの信者に対して「良い行いに励むことを学ばねばなりません」と勧めています。「良い行い」は8節でも記されていました。この手紙の1章12節でパウロはクレタ人の短所を古人の言葉「クレタ人はいつもうそつき、/悪い獣、怠惰な大食漢だ。」と述べました。このような土壌があるクレタの人々に良い行い、身をもって福音を証するのです。これは聖霊の働きによるものです。15節「恵みが」とありますが、いうまでもなく御子イエス・キリストによる恵みです。他のパウロ書簡と同様にこの手紙も祝祷をもって閉じられています。
Today’s Takeaways
①永遠に御国の相続人とされた、②聖霊により良い行いが可能となる、③異端には十分に注意し対応する
Thinking Time 誰にどのように良い行をしますか。