• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2025年8月31日 主日礼拝 溝口寛師

説教要旨 文責伏見敏

説教題:平和の絆で結ばれて
聖書箇所:エフェソの信徒への手紙4章1-6節

キリストの体は一つ 4:1 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 4:3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4:4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 4:5 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 4:6 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

おはようございます。本日は「平和の絆で結ばれて」という題で、エフェソ書4章1~6節から御言葉をいただきたいと思います。 エフェソ書は前半と後半がはっきりと分かれています。1~3章は教会の本質、つまり「神が何をなさったか」「私たちがどのような存在とされたか」が語られています。教会はただの人間の集まりではありません。キリストのからだであり、神の住まいであり、天においても地においても、神の知恵と栄光を現すために選ばれた共同体です。
 後半の4~6章は、そのような教会に召された者が、どのように生きるべきか、実際の生活指針を与えています。信仰の真理を知るだけでは不十分です。知った真理にふさわしく歩むことが求められます。ですから4章は「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」(4:1)という言葉で始まるのです。
 「召された」とは、神が一方的に恵みの中で私たちを選び、呼び寄せてくださったことを意味します。私たちは自分の力や資格で救われたのではありません。神の恵みによって救われ、神の子とされました。 ですから「召しにふさわしく歩む」とは、自分を飾り立てて立派に見せることではなく、いただいた恵みに応える生き方をすることです。では具体的にどう歩むのでしょうか。パウロは次の五つを挙げています。

  1. 謙虚であること
  2. 柔和であること
  3. 寛容であること
  4. 愛をもって忍び合うこと
  5. 平和の絆で結ばれて、御霊の一致を守ること

これらは一見すると当たり前のように思えるかもしれません。けれども、私たちの心に実際に根付かせるのは容易ではありません。神の御霊の助けがなければ、とても実現できない生き方です。

まず挙げられているのは「謙虚」です。ギリシア語では「低く心をする」と訳されます。聖書は、謙虚こそが神の御前に生きる者の第一の徳であると教えます。
 謙虚とは、他人からどう扱われるかを気にしない心です。自分を過大に評価してもらうことも、正当に扱ってもらうことも求めません。なぜなら、自分の価値は神にあってすでに確かだからです。
 イエスご自身が「わたしは心優しく謙遜である」(マタイ11:29)と言われました。神の御子であられる方が人となり、しもべの姿をとり、十字架にまで従われた。それが謙虚の模範です。私たちはそのキリストに従う者として、へりくだりを学びたいのです。
 次に「柔和」です。これは、怒りに遅く、復讐に走らない心を意味します。イエスもまた「柔和で謙遜な者」として人々を受け入れられました。
 柔和とは、自分の権利を主張しないことです。たとえ理不尽な扱いを受けても、神の御手にゆだねる心です。ペトロの手紙に「侮辱されても侮辱を返さず、苦しめられても脅かさず、かえって祝福を祈るように」(1ペトロ3:9)とあります。これが柔和の生き方です。
 三つ目は「寛容」です。これは「長く忍ぶ」という意味です。人の短所や失敗をすぐに責め立てるのではなく、辛抱強く待つ姿勢です。神ご自身が忍耐深いお方です。私たちもまた、神に倣って忍耐するよう招かれています。
 寛容さが欠けると、教会生活はすぐにぎくしゃくしてしまいます。人の言葉にすぐ反応し、すぐに腹を立て、すぐに裁いてしまう。しかし寛容さをもって相手に接するとき、神の愛がそこに現れるのです。
 四つ目は「愛をもって互いに忍び合うこと」です。ここでいう「忍ぶ」とは「共に耐える」「持ちこたえる」という意味です。信仰生活には気の合わない人、理解しにくい人との関わりが必ずあります。しかし愛によって忍び合うとき、教会は一つにされます。
 愛の反対は憎しみではなく「無関心」だとも言われます。愛するからこそ忍ぶのです。互いの違いを受け入れ、補い合い、忍び合うことが、教会の一致を守る道です。
 最後に「平和のきずなで結ばれて、御霊の一致を守る」とあります。ここで重要なのは「一致を作り出す」のではなく「守る」と言われている点です。一致はすでに聖霊によって与えられています。私たちの役割は、それを壊さずに保つことです。
 教会は一つのからだです。「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は一人である」とパウロは強調します(4:5-6)。人間の努力や制度で教会を一致させるのではありません。聖霊の働きによってすでに一つとされているのです。
 その一致を壊す最大の原因は、言葉です。軽率な言葉、批判的な言葉、うわさ話はすぐに平和の絆を破ってしまいます。しかし同じ口を用いて、励まし、感謝し、赦しを語るなら、平和は守られます。
 これらは私たちの努力だけではできません。だからこそ毎日の祈りが大切です。「主よ、今日、私を謙虚にしてください。柔和にしてください。寛容にしてください。愛をもって忍ばせてください。平和の絆を守らせてください。」と祈りつつ歩むとき、聖霊が私たちを助けてくださいます。
 私たちがその一致を大切に守り続けるなら、教会はキリストの栄光をこの世に現すことができます。
 最後にコリントの信徒への手紙一13章4-8a節を見てみましょう。

13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。13:8 愛は決して滅びない。