• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2025.11.16主日礼拝 伏見美恵子師

説教題:御心を行うことを求めよう 聖書箇所:ヨハネによる福音書7章10-24節)

◆仮庵祭でのイエス 7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。 7:11 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。 7:12 群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。 7:14 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。 7:15 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、 7:16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。 7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。 7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。 7:19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」 7:20 群衆が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」 7:21 イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。 7:22 しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。 7:23 モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。 7:24 うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」

私たちは日々、何が正しいのか分からなくなることがあります。人の噂や世の価値観に振り回され、真理を見失いそうになるのです。イエス様が仮庵祭で人々に囲まれたときも、群衆は『良い人だ』『いや、惑わしている』とさまざまな声を上げました。まさに混乱のただ中で、イエス様は『御心を行おうとする者は真理を見分けることができる』と語られました。今日はこの御言葉に耳を傾けたいと思います。イエス様が安息日に38年間病気で苦しんでいた人を癒された出来事(ヨハネ5章)をきっかけに、ユダヤ人の指導者たちはイエス様を殺そうと企むようになりました。仮庵祭というユダヤの大きなお祭りの時、イエス様は人目を避けてエルサレムに上られました。兄弟たちは「世に自分を示せ」と勧めましたが、イエス様は「私の時はまだ来ていない」と言われました。やがて祭りの半ばに、神殿の境内で教え始められたのです。

①群衆の反応、人目を恐れて語らない

7:11 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。 7:12 群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。

ユダヤ人宗教指導者たちはイエス様をとらえるために探し回っていました。群衆の間ではイエス様についてさまざまな噂が飛び交っていました。「良い人だ」と言う人もいれば、「人々を惑わしている」と非難する人もいました。しかし、宗教指導者を恐れて、公然と語る人はいませんでした。イエスに対する見方は二分していました。いつもならこれが話題に上り、議論になっていくところでしょうが、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかったのです。私たちはどうしても人の目を気にしたり、恐れてしまいやすいものですが、本当に恐れるべきお方は、神様です。

②御心を行おうとするものは真理を見分ける

7:14 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。 7:15 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、

イエス様は有名なラビ(先生)のもとで学んだわけでもないのに、旧約聖書に精通し、適切な、わかりやすい話だったので人々は驚きました。

「この人は学問を受けていないのに、どうしてこんなに聖書を知っているのか?」7:16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。 7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。 7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

イエス様は答えられました。「わたしの教えは、自分のものではなく、わたしを遣わした方のものです。」そして、こう続けられました。「神の御心を行おうとする人は、この教えが神からのものか、それとも人の考えかを見分けることができる。」(7:17)つまり、「本当に神の御心を求める人は、何が真実かを見抜くことができる」ということです。当時のユダヤ教の世界では、安息日に関する細かい決まり(「してはいけないこと」)がたくさんありました。たとえば「火をつけてはいけない」「物を運んではいけない」「治療してはいけない」など、39の禁止行為が定められていました。しかし、それらの決まりを守ることが目的化してしまい、「なぜ神がその律法を与えられたのか」**という本来の意味を見失っていました。イエス様はそのことを指摘されたのです。律法の本質は「神を愛し、人を愛すること」(マタイ22:37-40)です。

マタイ22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 22:38 これが最も重要な第一の掟である。 22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

形だけの信仰、上辺だけの行いではなく、神の御心を求めて生きることが大切なのです。

③上辺ではなく、正しい判断を

7:19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」 7:20 群衆が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」

イエス様はこう言われました。「モーセはあなたたちに律法を与えたのに、あなたたちはそれを守っていない。なぜわたしを殺そうとするのか。」群衆は、宗教指導者たちがイエス様を殺そうとしている悪だくみを知らないので、イエスが悪霊に取りつかれていると思いました。7:21 イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。 7:22 しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。 7:23 モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。 7:24 うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」

イエスが行った一つの業とは、安息日に癒しを行ったことで、そのことを律法違反として責めているのです。しかし、彼ら自身も安息日に生後8日目の子に割礼を施していました。創世記 17:12 いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。

とあるので、それは「律法を守るため」だから良いとされていたのです。そこでイエス様は問われます。「体の一部に手を加えることが良いなら、なぜ人の全身を癒すことを悪いと言うのか?」そしてこう締めくくられます。「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」(7:24)安息日の本当の意味は何でしょうか。安息日は、神が人のために与えられた祝福の日です。

その目的は、休むこと・神に心を向けること・命を回復すること。神との関係を深める日、心身を癒やし、人間性を取り戻す日、社会的弱者にも休息を与える日、形式ではなく、神の愛と憐れみを実践する日、イエス様は、「安息日は人のためにある」(マルコ2:27)と教えられました。神の律法は人を縛るためでなく、人を生かすためのものなのです。

私たちへのメッセージ

イエス様の言葉「うわべで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい」は、現代を生きる私たちにも強く語りかけています。私たちはどうしても、外見や表面的な態度で人を判断してしまいます。でも神は、心の動機・真実な願いを見ておられます。

証し「裁く心から、赦す心へ」

ある教会に、毎週礼拝に来る熱心な信徒のAさんがいました。彼は聖書をよく読み、祈りも欠かさず、奉仕にも積極的でした。しかし、ある日、教会に初めて来た若者Bさんが、礼拝中にスマホをいじっていたのを見て、心の中でこう思いました。「なんて礼儀のない人だ。神の前でそんな態度とは…この人は信仰にふさわしくない」その後も、Bさんは礼拝に来続けましたが、服装もラフで、祈りの姿勢もどこか軽く見えました。Aさんはますます不快に感じ、ついに牧師に相談しました。すると牧師はこう言いました。「Aさん、あなたは神の御心を行おうとしていますか?それとも、自分の正しさを守ろうとしていますか?」その言葉にAさんはハッとしました。ヨハネ7章17節の「御心を行おうとする者は、その教えが神から出たものか分かるはずである」という言葉が心に響きました。その週、Aさんは祈りました。「主よ、私はあなたの御心を行いたいです。どうか私の心を探ってください」次の礼拝の日、AさんはBさんに声をかけました。すると、Bさんは涙ぐみながらこう言いました。「実は、最近母を亡くして、心が空っぽで…でも、ここに来ると少しだけ安心できるんです」Aさんはその瞬間、自分の裁く心がどれほど神の愛から遠ざかっていたかを悟りました。そして、Bさんと一緒に祈り、彼のために聖書を分かち合うようになりました。「御心を行おうとする者は、その教えが神から出たものか分かる」——まさにその通りです。

結び

私たちの時代も情報があふれ、価値観が乱れています。しかし、神の御心を行おうとする者には、真理を見分ける目が与えられます。上辺ではなく、愛に根ざした正しい判断を求めていく時に、神は光を示してくださいます。だから私たちは恐れず、神に信頼できます。様々な人間関係の中で、例えば教会の中、家族の中、親戚との人間関係や、ご近所さんとの人間関係の中で、ストレスを感じる時、御心を求めましょう。神様はこの状況の中で、私に何を望んでおられるのか、具体的に行動することなのか、それとも今は黙ってただ祈るときなのか、主は必ず導き、希望の道を開いてくださるのです。 この希望に支えられて、遜り、教会の中では互いに愛し合い、神の栄光を現す歩みを続けていきましょう。

Today’s Takeaway

①群衆の反応、人目を恐れて語らない
②御心を行おうとするものは真理を見分ける
③上辺ではなく、正しい判断を

祈り

ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」ヨハ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

愛する天のお父様、ユダヤ人の宗教指導者たちは、神に仕える立場でありながら、御心から遠く離れ、自分たちの義を押し通し、人間を救うために来てくださった御子イエス様を認めず、排除しようとしました。その姿は愚かに見えますが、私たちも同じように自分の正しさを押し通し、上辺で他人を裁いてきました。どうぞお赦しください。正しく判断する目を与えてください。主はこう語られました。「神の御心を行おうとする人には、真理を見分ける目が与えられる」(ヨハネ7:17)。どうか小さなことからでも御心を行いたいと願う心と、それを実行する力、をお与えください。そして、イエス様が愛してくださったように、互いに愛し合うことができるよう、聖霊様の助けをお与えください。あなたからの希望があることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン