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2026年2月15日主日礼拝説教要旨 伏見敏師

説教題:キリストの足跡に続く ―不当な苦しみの中で
聖書箇所:ペトロの手紙一 2章18-25節 講解④
中心成句:「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」(2章21節)

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今日の箇所は、表面的には召し使いたちへの言葉ですが、その背後にはすべてのキリスト者が理解すべき信仰の本質が語られています。「キリストの足跡に続く ―不当な苦しみの中で」と題して、三つのことを学びます。

①神を見て生きる(18節)

ペトロは召し使いたちに、善良な主人だけでなく無慈悲な主人にも心から従うように勧めています。キリスト者の行動基準は相手の態度によって変わるものではなく、神が何を望んでおられるかにあります。この世では「やられたらやり返す」というお返し主義が基本ですが、キリスト教の教えは、相手の態度に関わらず神の御心に従って行動することを求めています。この教えは奴隷制度を認めているわけではなく、どのような立場でも信仰者は神の前に立つ者として尊厳を持って生きることができるというメッセージです。ただし、危険な状況で助けを求め、自分や他者を守ることは神が望まれることです。職場で不当な評価を受けたとき、冷静に事実を説明することも神への畏れをもって生きることです。

②不当な苦しみを信仰の目で見る(19-23節)

ペトロは苦しみの質的な違いを語ります。悪事の結果として苦しむのは当然ですが、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶことは神の御心に適うことです。なぜなら、この態度がイエス・キリストご自身の生き方を映し出しているからです。キリストは完全に罪のない方でしたが、最も残酷な苦しみを受けられました。キリスト者が不当な苦しみを信仰をもって耐えるとき、それはキリストの苦しみにあずかることであり、キリストの証人となることです。私たちが召されたのは、キリストの足跡に続くためです。「その足跡に続く」とは、雪の中を先に行く人の足跡をたどるように、キリストの歩まれた道をたどることです。キリストは「罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった」方でありながら、ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる神にすべてを委ねられました。このキリストの足跡こそが私たちの歩むべき道です。

③キリストの十字架によって新しく生きる(24,25節)

キリストは十字架において、私たちの罪を担ってくださいました。この十字架の目的は、私たちが罪に対して死んで、義によって生きるためです。かつて私たちは罪の支配から逃れられない奴隷でしたが、キリストの死によってその支配力は打ち破られました。「そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」という宣言は、救いがすでに成し遂げられた事実であることを示しています。私たちが受けるべき罪の裁きを、イエスが代わりに受けてくださいました。この驚くべき神の愛の極みである十字架を見上げ、癒された者として、私たちは神の義に向かって新しく歩み出していきます。私たちは以前「羊のようにさまよっていた」者ですが、今はキリストの十字架を通して神様のもとへと戻って来ました。私たちが戻った先におられる主は、「魂の牧者であり、監督者である方」です。主は私たちのために命を捨ててまで群れを守り、今も私たちを養い、導いてくださいます。

今日、私たちは三つのことを学びました。神を見て生きること、不当な苦しみを信仰の目で見ること、キリストの十字架によって新しく生きることです。私たちはかつては迷える羊でしたが、今は良い羊飼いである主イエス・キリストのもとに帰ることができました。この希望に生きるとき、私たちは日々の困難の中にあっても、喜びと平安をもって歩むことができます。