説教題:神の僕として自由に歩む
聖書箇所:ペトロの手紙一 2章11-17節
中心成句:「自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。」(2章16節)
今日の箇所には、「この世に生きながら、どうやって神の民として歩んでいくのか」という問いが記されています。ペトロは、社会の一員として責任を果たしながら、同時に天の国籍を持つ者として生きる道として、「神の僕としての自由」を示しています。
①旅人の心で生きる(11節)
ペトロは信仰者を「旅人」「仮住まいの身」と表現しています。この地上は私たちの最終的な住まいではなく、本当の故郷は天にあります。ここで気をつけたいことが二つあります。一つは、この世に執着しすぎて天の故郷を忘れてしまう危険です。もう一つは、旅人だからといって今いる場所で無責任に生きていいわけではないということです。ビジネスホテルをチェックアウトする前に部屋を片付けるように、私たちもこの地上を大切にして、次の世代に良い状態で渡していく責任があります。「肉の欲」とは、利己心、貪欲、怒り、妬み、高慢など、御心から私たちを引き離そうとする欲望のことです。それらは内側で絶えず起こっている霊的な戦いです。ペトロは「避けなさい」と語ります。戦いに勝つための一番確かな方法は、誘惑そのものから離れることです。
②行いによって証しする(12-15節)
「立派に生活しなさい」とは、道徳的に正しく、誠実に生きるということです。当時のキリスト者たちは誤解されて迫害も受けていましたが、ペトロは言葉で言い返すのではなく、行いで応えるように勧めています。人は言葉以上に、その人の生き方を見ているからです。一時的に良いことをするのは誰にでもできますが、キリスト者としての生き方を続けるには、内側が変えられていなければできません。職場での姿勢、家庭での態度、隣人との関わり、そういう日常の積み重ねが証しになっていきます。私たちが良い行いをする目的は、自分が評価されるためではありません。人々が私たちの生き方を通して神に目を向けて、神をあがめるようになること、そのために私たちは生かされています。「主のために」という言葉が示すように、キリスト者が国や社会に従うのは、主イエスに従う生き方の一つとして、社会の秩序を大切にするのです。ただし、人間の命令が明らかに神の御心に反する場合には、神への従順が優先されます。善を行うというのは、神ご自身が私たちに願っておられる生き方であり、言葉の応酬より、日々の生き方の方がはるかに強い説得力を持ちます。
③真の自由を生きる(16-17節)
「自由に生きる」ことと、「神の僕として生きる」ことは、一見矛盾しているように見えますが、本当の自由は無秩序ではありません。ペトロは、この自由が「神の僕として」生きるために与えられていると告げています。私たちは罪という冷酷な主人から解放されて、愛と恵みに満ちた神に仕える者とされました。人の目を恐れて生きるのではなく、神の御心に従って歩むことこそ、最も自由な生き方です。神にだけ従うから、人を恐れずに生きることができ、本当に自由だから、喜んで人に仕えることができるのです。17節では、キリスト者の生き方が四つの言葉で示されています。「すべての人を敬い」「兄弟を愛し」「神を畏れ」「皇帝を敬いなさい」です。神には「畏れ」が、皇帝には「敬い」が使われています。皇帝は尊重されるべき存在ですが、礼拝の対象ではありません。もし地上の権威が神への畏れに反することを求めるなら、神への従順が優先されるべきです。
今日、私たちは三つのことを学びました。旅人の心で生きること、行いによって証しすること、真の自由を生きることです。私たちはこの世を旅する者ですが、無責任に生きるのではなく、神の僕として自由に、誠実に歩んでまいりましょう。