• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2025年7月20日 主日礼拝 伏見美恵子師

説教題:永遠の命の言葉 聖書箇所: ヨハネによる福音書 6章60–71節

◆永遠の命の言葉 6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 6:61 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 6:62 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 6:67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 6:70 すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」 6:71 イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

おはようございます。ヨハネによる福音書6章には、5000人の給食から始まり、イエス様についていけば食べ物に困らないと思った群衆に、イエス様は「私が命のパンだ」と話されました。更にユダヤ人たちは「私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」と語り、その中の多くは主の言葉につまずきました。今朝はそのあとの出来事で、なんとイエス様の弟子たちの多くも、この言葉につまずき離れていきます。今朝の個所から、私たちへの語りかけを聞いていきましょう。

① 命を与えるのは霊である

皆さん、私たちは毎週、礼拝を捧げ、交わり、クリスチャンとして神様の恵みの中を歩んでいることを、本当に感謝していますね。では、神様は、私たち一人ひとりの信仰をどのように見ておられるのでしょうか?ある牧師先生は、こんなことを言われました。「教会に来ている人が、みんな本当に新しく生まれ変わったクリスチャンかどうかは、人間にはわかりません。でも、その人が本当に信仰を持っているかどうかは、困ったことや試練が起こった時の態度でわかることがあるんです。」今日の聖書の箇所にも、まさにそのことが書かれています。ヨハネ6:53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。とイエス様が例えをもって語られた言葉を理解できず、多くの弟子たちが「これは受け入れられない、ひどすぎる」とつぶやきました。そして彼らの多くは、イエス様から離れていってしまいました。イエス様は、彼らが離れていくのを止めることはなさいませんでした。それは、信仰が本物かどうかが問われるときだったからです。弟子と言われる人たちの中にも、イエス様の言葉を理解できず、心がつまずいた人たちがたくさんいたのです。でも、イエス様は「私が話した言葉は、命を与える霊の言葉です」と語られました。6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。私たちの真の命を生かすのは、目に見えるものではなく、神様の霊の働きなのです。どんなに毎日栄養のあるものをたくさん摂り、元気な肉体を持っていたとしても、霊が弱っていたならば、大きな問題に立ち向かうことはできません。命を与えるのは霊です。霊的に強められているならば、さまざまな問題があってもくじけることなく立ち向かっていけるのではないでしょうか。 つまずきについて考えてみましょう。皆さんは、「イエス様につまずいた」と感じたことがありますか?よく「牧師につまずいた」とか「あの人のせいで教会に行きづらい」といった声を聞くことがあります。でも実は、それは神様がその人を近くに置かれたことに対して、私たちの心が反発しているのかもしれません。でも神様は、私たちを苦しめるためにではなく、愛と成長のためにそうしておられるのです。私たちがもっと神様の子どもとして成長し、イエス様のような人になるようにと、さまざまな状況を通して訓練してくださっているのです。頭ではわかっていても感情がついていかないので、目の前の困難ばかりが気になって、「なんでこんなことが…」「つらすぎる」と思ってしまいます。しかし神様との個人的な関係がしっかりしているなら、「私は神様に愛されている」という安心感の中で、試練や苦難の意味を知り、信仰によって立ち上がることができます。御霊によって「イエス様の語る真理を受け入れ、信じ、従うこと」ができます。私は年を重ねるにつれ、健康面に気を遣うようになってきました。皆さんもそうだと思います。十分ではありませんが、食事や運動、休養に気を使い、サプリメントなどで不足を補っています。健康でできれば長く主にお仕えしたいと思うからです。体の健康ももちろん大切ですが、忘れてならないのは、真の命を与えるのは神の霊であるということです。今日、まず覚えて頂きたいことは命を与えるのは霊であるということです。

②聖霊と共に歩み、従いつづけよう

63節で主ご自身が言われました。神の霊である聖霊に従っていけるように求めましょう。それでは実際に信仰生活の中でつまずきを感じた時にどうしたらよいでしょう。私たちは人間ですから、それぞれの感じ方やとらえ方が違います。特に多いのは人間関係によるつまずきだと思います。意見の衝突やちょっとした言葉に傷つくこともあります。悪い感情は、いつまでも自分のうちに持ち続けないで、早く主に告白しましょう。神様と一対一で深く向き合い、正直に心の内を注ぎ出し、問題を委ねることです。聖書の中の一番大切な戒めはマタイ 22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』もう一つ人間関係で大切なことは、マタイ 18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。つまずきの多くは、「自分は正しく相手が悪い」と相手を責めているわけですが、結局のところ、どちらが正しいかではなく、神様の教えは、「許しなさい、愛しなさい」です。わかっているけど、自我が強く、それができないので苦しみます。しかし大切なことは神の言葉に従うこと、それが祝福の道ですから、自我を砕いてくださるように祈りましょう。神様はいつも共にいて、私たちを愛し導いてくださっています。たとえそれが感じられなくても、神様の前でもがき続けることです。もがく時間も大切なのです。キリストを見上げ続けることです。自分の努力ではできません。聖霊の助けを求め委ねることです。み言葉と御霊によって私たちの信仰は成長し、きよめられやがて乗り越えることができます。乗り越えられない試練はありません。試練と同時に逃れの道も備えてくださっていると、(Ⅰコリント10:13)で聖書は語ります。こういうことを繰り返していくうちに、聖霊様と共に歩むコツがわかってきます。悔い改めて従うことです。弱さは残りますが、つまずくことが減り、神に委ねることで信仰生活がすっきりし楽になっていきます。自分で頑張ろうとするから苦しいのです。神様に信頼し、委ねましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのはイエス様だけです。せっかく救っていただいたのですから、聖霊様に助けられながら、最後まで従っていきましょう。6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」私たちがイエス様を信じることができるのは、自分の努力や能力ではありません。それは、父なる神様が私たちをイエス様のもとへと導いてくださったからです。多くの弟子が去っていったとき、イエス様は残った12弟子にこう聞かれました。「あなたがたも去ろうとするのか?」そのときペトロは答えます。6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」この言葉はとても美しい信仰告白です。ペトロはあなた様以外の誰のところに行けるでしょうか。私たちを永遠に導く命の言葉を持っているのはあなただけですと告白し、「私たちは、信じ、知っています」と伝えます。この順番が大事です。理解できたから、知ることができたから信じるのではない。イエス様を信じ従ってきたのでそのことがわかる、知っていると告白しました。私たちもこのように告白しましょう。私たちが信じて従っていくうちに、「イエス様こそ本当の救い主だ」と心からわかってくる。それが信仰の歩みであり、信仰の成長です。日々の聖書通読、祈りによる神との交わり、毎週の礼拝、その小さな積み重ねを通して、聖霊様と共に歩むことがだんだんわかるようになり、何事にも感謝することが身についてきます。やがて、あなたの人生を大きく変えていきます。今日、二番目に覚えて頂きたいことは聖霊と共に歩み、従いつづけようということです。

③愛と忍耐をもって人々に仕えていこう

最後に、イエス様は、ユダが裏切ることも最初から知っておられました。どんなにおつらかったことでしょう。それでも彼を選び、共にいてくださいました。それは、ユダが悔い改めることを願っていたからかもしれません。イエス様の言葉やその生き方は、多くの人々から理解されず、非難されることの多い、苦しみの道でしたが、それでもイエス様は人々を愛し続け、御父に従順に従い、神の国について教えていきました。もちろんイエス様ご自身が神でしたからできたことではありますが、一方で人間でもあられたわけです。その源動力は何だったのでしょうか。それは日々の、御父との交わりでした。御父から注がれる豊かな愛、慰め、命、力、恵みによって、従順に従い続け、人々を愛し、永遠の命の言葉をもって導き続けることができたのです。私たちも、誰かの欠点や失敗を見てすぐに責めるのではなく、忍耐と愛を持って接することができるよう、愛を求め、聖霊様の助けを祈りたいです。何度もお話ししましたが、私の小さな証をさせていただきます。お祈りに支えられ、またさまざまな形で励ましていただき、5年間同居し、十分ではありませんが、義母の介護をすることができました。忍耐も愛もなく、イライラしてしまう時、主の懐に逃げ込んでは、悔い改め、愛を求め、聖霊様に助けられて、仕えることができました。義母はずっと拒み続けていたイエス様を人生の最後に信じ、息子から病床洗礼を受け、一か月後に天国への希望をもって平安のうちに召されていきました。これは本当に神様の愛、憐み、恵みによるものです。私たちはそれぞれに弱さがありますが、主から恵みをいただいて、互いに愛し、仕え合っていきましょう。今日、最後に覚えて頂きたいことは愛と忍耐をもって人々に仕えていこうということです。

今日の聖書の箇所は、イエス様の言葉に従う人と、離れていく人とに分かれた場面です。でも、その道ははっきりしています。私たちを永遠の命に導く言葉を持っておられるのはイエス様だけです。イエス様に従う道は、たとえ楽ではなくても、祝福と喜び、そして神様の栄光へと続く希望の道です。家族や子孫に残せる最高の遺産は、感謝しつつ従っていくこのような生き方ではないでしょうか。戦争や物価高、異常気象、感染症等、私たちを取り巻く世界の動きはますます悪い時代になっていくことを聖書は預言していますが、ご計画をもって歴史を支配し導いておられるのは神様です。信じる者たちには永遠の命が約束されています。私たちには究極的な希望があります。光のあるうちに、今私たちにできること、それは置かれたところで、地の塩、世の光として、主を証していくことです。聖霊の助けを頂き、感謝して堅く主に信頼し、愛と忍耐をもって、身近な人々の救いのために、ここから遣わされてまいりましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのはイエス様だけです。

まとめ

①命を与えるのは霊である 今の時代さまざまな健康食品や健康器具などが流行しています。それだけ健康に関するニーズがあります。それは地上の命をわずかでも伸ばそう、元気で長生きしたいという願いからです。もちろんそれも大切なことですが、永遠の命のためには役に立ちません。「63命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」永遠の命を与えるのは神の霊だけです。イエス様のみ言葉に信頼していきましょう。

② 聖霊と共に歩み、従い続けよう 神が私たちを選んでくださったのですから、聖霊の助けを頂きながら従い続けましょう。小さなことにも感謝することを習慣にしましょう。それが神の愛に対する、私たちの応答です。

③ 愛と忍耐をもって人々に仕えていこう その道は、苦労もありますが、祝福と喜び、そして神様の栄光へと続く道です。後に続く人たちに慰めと励ましを与えます。

祈り

愛する天のお父様、素晴らしいみ名を賛美します。イエス様の十字架を感謝します。永遠の命の言葉を持っておられるのはあなたです。あなたに忠実に従いつづけていけるように、私たちの信仰を強め、愛と喜びに満たし、人々に仕えていけますように助けてください。祈っている方々を救いに導いてください。戦争、異常気象、感染症、物価高等、様々な問題がありますが、そのような中でも、神様の恵みに支えられ、私たちクリスチャンが地の塩、世の光として人々を愛し仕え、あなたを証していくことができるように、私たちを豊かに恵み強めてください。願わくは戦争が早く終わりますように祈ります。苦しみ悲しみの中にある人々をお救いください。世界に主の平和を来たらせてください。始まりました一週間も、私たち一人一人とその関係者の方々を守り支え、主と共に歩めるように、来週も共に礼拝を捧げることができますように助け導いてください。感謝し、主の聖名によってお祈りいたします。アーメン