説教題:生き生きとした希望に生きる-試練の中で輝く信仰
聖書箇所:ペトロの手紙一1章1〜12節
◆挨拶 1:1 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、”霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。◆生き生きとした希望 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。1:10 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。1:11 預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。
ハレルヤ!1月の第二主日を迎えています。今日からペトロの手紙一を学びます。この手紙は、西暦64年頃、ネロ皇帝の迫害下で苦しむ信徒たちを励ますために書かれました。この写真は岸義鉱先生が書かれた解説書のチラシです。当時のネロの残酷さが良くわかります。昨年2025年、私たちもそれぞれに違う試練を通らされてきました。高齢の親の介護、職場での孤立、将来への経済的不安。心の重荷を負ったまま、新年を迎えた方もおられるでしょう。しかし、試練は信仰を壊すものではなく、信仰が本物かどうかを証明し、磨き上げる過程なのです。今日は『生き生きとした希望に生きる―試練の中で輝く信仰』と題して、三つのことを学びます。
①復活された主に希望を置く
1,2節から見てまいりましょう。1:1 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、”霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
ペトロはもとガリラヤ湖の漁師でした。恐れのあまり三度も主を否定した弱い人でした。それでも復活のイエスは、彼を見捨てず、優しく赦し、使命を与えてくださいました。その経験を通して、今ペトロは力強く信徒たちを励ましているのです。宛先は各地に散らされた信徒たちです。彼らは異国に散らされて生きていましたが、その姿は、地上を仮の住まいとして歩むすべてのクリスチャンの姿でもあります。私たちの本当のふるさとは天にあります。2節には、三位一体なる神の救いの計画が描かれています。父なる神が天地創造の前から救いを計画され、聖霊が信じる者を清め、キリストの十字架によって罪が赦され、神との関係が新しく結ばれました。
3節を見てみましょう。◆生き生きとした希望 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
3節はこの手紙全体の中心となる聖句です。「新たに生まれさせ」とは、単に心が変わることではありません。イエスがニコデモに『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない』(ヨハネ3:3)と語られたように、これは聖霊による全く新しい創造です。罪によって死んでいた私たちの霊が、神の命によって生き返らされる出来事なのです。その新しい命の土台は「イエス・キリストの復活」です。もしキリストが復活されなかったなら、私たちの信仰も希望も意味を失います。しかし、キリストは確かによみがえり、死と罪に打ち勝たれました。ペトロはこの希望を「生き生きとした希望」と呼びます。元の言葉では「命をもつ」「力のある」という意味です。ただ将来を待つ希望ではなく、今この瞬間の歩みに力を与える現実的な希望です。だからこそ、迫害の中にあった信徒たちも信仰を保つことができました。私たちの人生がどんな暗闇に包まれても、キリストが死を打ち破られたゆえに、新しい命が与えられています。落ち込んだときは、その時々の状況に頼るのではなく、復活された主イエス・キリストに希望を置きましょう。今日、まず覚えて頂きたいことは復活された主に希望を置くということです。
②試練は信仰を強める
続く4〜5節では、この希望の具体的な約束が語られます。1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
ペトロは、天の報いを「財産」にたとえます。それは「朽ちず、汚れず、しぼまない」—時間が経っても壊れず、完全に清く、その輝きを永遠に保ち続ける。地上の富とは全く違います。では、この天の財産を受け取るのは誰でしょうか。それは神の子供たちです。パウロはローマの信徒への手紙8章17節で、この点をさらに詳しく教えています。」開いてみましょう。 8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
「神の力により、信仰によって守られています。」この「守られています」という言葉の元の言葉は、軍隊が要塞を守るように警戒している姿を表します。ここには二つの大切な真理があります。第一に、「神の力により」守られているということです。私たちを守るのは私たち自身の強さではなく、全能の神の力です。第二に、「信仰によって」守られているということです。嵐の中でも錨を降ろし続けるように、試練の中でも神につながり続けることです。
6〜7節ではその試練の意味が明らかにされます。1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
ここで語られている「喜び」とは、苦しみがなくなることを意味しません。たとえ悲しみのどん底にあっても、心の奥には神に支えられた希望が生きており、その希望が私たちの心を満たし、前へと進む力を与えてくれます。そして、試練は「今しばらくの間」続くだけです。永遠ではなく、一時的なものです。神は試練を通して、私たちの信仰を鍛え、磨こうとしておられます。ペトロは試練を「精錬」にたとえました。ある時、銀細工師が尋ねられました。「銀が完全に清められたか、どうやって見分けるのですか?」。彼は答えました。「溶けた銀の中に、私の顔が鏡のように映る時です」。神様も同じです。試練という火を通して、キリストの姿が私たちにはっきりと映し出されるまで、根気強く練り上げてくださるのです。では、この時、具体的にどのような不純物が取り除かれるのでしょうか? それは「神以外のもので自分を支えようとする心」です。お金があれば安心、健康なら大丈夫、人の評価があれば満足。そういったメッキが剥がれ落ち、最後に残る純金、それが「ただ主を信じる信仰」なのです。このことを証しする実話をご紹介します。アメリカの百貨店王、ジェームズ・キャッシュ・ペニーの話です。彼はビジネスで大成功を収めましたが、1929年の世界恐慌で全財産を失い、多額の借金を抱えました。心労で重い病にかかり、入院先の病院で死を覚悟して、家族への遺書まで書きました。しかし翌朝、礼拝堂から流れる『いかに恐るべき(God Will Take Care of You)』(新聖歌311番)を聞き、彼は崩れ落ちるように祈りました。「主よ、私にはもう何もできません。私を助けてください」。その瞬間、暗闇だった心に神の光が差し込み、圧倒的な平安に包まれました。皆さんの中にも、すべてを失ったような経験をされた方がおられるかもしれません。彼は後に「私は富を失ったが、もっと大切なキリストを得た」と語り、事業を立て直して95歳まで信仰をもって歩み続けました。試練の火の中で、彼の信仰は純金のように輝き出したのです。すべてを失っても、神にある希望があれば、私たちは何度でも立ち上がることができます。今日、私たちが直面する試練は、介護疲れ、職場での孤独、経済的不安など色々です。『なぜ私だけが』と問う代わりに、『神はこの試練を通して、私の信仰をどう輝かせようとしておられるのか』と問うとき、試練の意味が見えてきます。今日、二番目に覚えて頂きたいことは試練は信仰を強めるということです。
③信仰の喜びは「信じる」こと
8〜9節を見てみましょう。1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。ペトロの手紙の信徒たちは直接イエスを見たことがありませんでしたが、それでもキリストを愛し、信じ、喜んでいました。それは「言葉では尽くせない」喜び、人間の言葉では説明しきれないほど深く、魂の奥底から湧き上がる喜びです。この喜びはどこから来るのでしょうか。9節にあるように、「魂の救いを得ているから」という確信から生まれます。私たちは今、すでに救われています。ローマ5章5節bには「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と記されています。また、イエスがトマスに言われたように、「見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20章29節c)私たちはイエスを目で見ていません。しかし、信仰の目で見、心でキリストと出会い、目に見えるどんなものよりも確かな喜びを体験しているのです。
10〜12節を見てみましょう。1:10 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。1:11 預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。
考えてみてください。イザヤやエレミヤといった偉大な預言者たちでさえ、自分が語った救いの完全な姿を見ることができませんでした。彼らは「いつ、誰によって実現するのか」と必死に調べましたが、それは後の時代に生きる私たちのための言葉だったのです。旧約の預言者たちが「いつか来る」と遠くから待ち望んだゴールテープを、私たちは既に切っているのです。さらに驚くべきことに、罪を知らない聖なる天使たちでさえ、罪人が救われるという恵みの深さを「見たい」と願っています。私たちが今手にしている救いは、預言者たちがあこがれ、天の使いさえうらやむほどの贅沢な恵みなのです。あなたは、それほどまでに神に愛され、選ばれた存在なのです。信仰の喜びは「見る」ことよりも「信じて、今、その恵みの中に生きる」ことにあります。今日、最後に覚えて頂きたいことは信仰の喜びは「信じる」こということです。
Today’s Takeaway
①復活された主に希望を置く—キリストの復活こそ、私たちの希望の土台です。
②試練は信仰を強める—試練は金を精錬するように、神以外の頼るべきものを取り除き、信仰を純化します。
③信仰の喜びは「信じる」こと—私たちは預言者たちも見たかった恵みの時代に生きています。見なくても信じる人に、神は言葉にできない喜びを与えてくださいます。
愛する兄弟姉妹、この「生き生きとした希望」は、私たちだけの宝物ではありません。私たちが試練の中でなお輝くとき、それは暗闇にある世の人々への光となります。預言者や天使さえ見たかったこの救いを、私たちは今、生きる証しとして輝かせましょう。毎朝こう告白してください。「キリストはよみがえられた。私にも新しい命がある」。困難に出会ったとき、こう問うてください。「神は何を教えようとしておられるのか」。そして毎日、見えない主に祈り続けてください。主は確かにあなたと共におられます。