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2022年6月5日主日礼拝 

説教題 ペトロが語った良い説教~聖霊充満を求めよう~ 聖書箇所 使徒言行録2章37-42節

2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。2:39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」2:40 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。2:41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

ハレルヤ!6月の第一主日を迎えています。先週は溝口寛先生にエフェソの信徒への手紙1章3-5節他を通し、「神の選びと招き」と題し御言葉を取り次いで頂きました。感謝いたします。私たちの教会ではヘブライ人への手紙を講解で学んでいますが、今日はペンテコステ礼拝ですので、講解説教はお休みとなります。使徒言行録2章には主イエスの約束した聖霊が降ったことが記されています。新共同訳聖書の小見出しは「聖霊が下る」です。この2章は三つに分けることが出来ます。1-13節には聖霊降誕の出来事が記されています。14節から36節にはペトロと11名の弟子が立ち上がり、ペトロが弟子を代表して説教を語ります。続く今日の箇所(37-42節)にはこの説教を聞いた人たちの行動が記されています。今日は、「ペトロが語った良い説教~聖霊充満を求めよう~」と題しお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。

➀良い説教は行動変容が伴う

37節を口語訳聖書と一緒に見てみましょう。2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。2:37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。(口語訳)「大いに心を打たれ」とあります。説教を聞いた聴衆は「大いに心を打たれ」たのです。この「打つ」と訳された動詞ですが、原語では「激しく刺す」です。ですから口語訳聖書では「強く心を刺さされ」と訳されています。人々は主イエスを十字架に付けた罪を探られ激しく心を刺されたのです。苦痛、悲嘆を感じていたのです。十字架に掛けられたイエスがメシアだったのです。ある宣教師がインドで主イエスの福音を伝えていた時の出来事です。家の白壁をスクリーン代わりにして幻灯機を使い、主イエスの生涯を話していました。十字架の場面になった時、一人の方が突然、大声で「神の御子よ、十字架から降りてください。あなたではなく、わたしこそ十字架に掛かるべきです」と叫んだのです。十字架はアクセサリーではありません。真の十字架の意味がわかるとき、人々の心は激しく突き刺されるのです。ペトロの説教は実に良い説教でした。ペトロの説教を聞いた聴衆はペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言い、取るべき行動を求めたのです。自分たちが犯した罪、その結果として当然、受けなければならない神の刑罰からどうしたら赦されるかを尋ねているのです。皆さんは、良い説教と聞くとどんな説教と思いますか。面白いだけの説教では聖書漫談です。学術的なことばかりの説教は聖書研究です。では、心打たれる心を探られる説教と思う方もいるかもしれませんが、これだけでは不十分です。「あーいい説教だったなぁ」だけではだめなのです。コロナ前、ある先生が主宰する「説教塾」で聴講生として学んでいたことがあります。初回の学びでその説教塾が目指している説教のスタイルについて学びました。その時、講師をしていた先生がこう語りました。「ある時、ある方の伝道説教の講評をしました。講評を聞いたある方は不機嫌になりました。でも、その説教で人が救われれば、それは良い説教なのでしょう。正し、それは私たちの説教塾が目指している説教スタイルではありません」と。良い説教とはペトロが語った説教のように聞いた人の行動がかわる説教です。聞いた方の行動変容を引き起こすことが出来る説教です。主題説教、講解説教、聖句説教などのスタイルがありますが、スタイルは関係がありません。具体的に言えば良い説教とは未信者の方が主イエスを救い主と受け入れる説教、信者であればデボーションが身に付く説教です。このように行動がかわる説教です。倫理的でわかりやすく聞いた人の行動がかわる説教を目指して、日々研鑽に励んでします。良き説教者になれるようお祈りください。今日、先ず覚えて頂きたいことは良い説教は行動変容が伴うということです。

②受洗は主の願い

38,39節を見てみましょう。2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。2:39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」38-40節でペトロは三つの勧告をしています。「悔い改めなさい。」とあるように、先ず、彼らのすべきことは悔い改めです。この悔い改めとは自分中心の生活から一転し、神中心の生活に行動がかわることですが、語源的には「あと知恵」、「二番目に考えたこと」という意味で、そこから「心をかえる」という意味になりました。そして心をかえたものは行動もかわるはずなのです。ですから、心がかわったと思っても行動がかわっていなければ、心がかわっていないのです。悔い改めとは心の変化と行動の変化の両面が含まれるのです。次のすべきことは「洗礼を受け、罪を赦していただ」くことです。信仰告白をすれば救われるのだから洗礼は受けなくても良いのという考えは誤りです。確かに信仰告白をすれば御国、天国に行けます。洗礼は救いの条件ではありませんが、単なる儀式でもありません。マタイによる福音書28章19節には次のように記されています。 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、「洗礼を授け」とあるように、洗礼を授けることは主イエスご自身が命じられていることなのです。洗礼を受けろとは命じられていませんが、少なくとも洗礼を受けることは主の願いであることは確かです。今日、二番目に覚えて頂きたいことは受洗は主の願いということです。キリスト者の生活とは天国行きの切符が与えられたら終わりではないのです。そこからがスタートでキリスト者の生活は主イエスに従うことなのです。「罪を赦していただきなさい」とあります。赦しとは神と正常な関係、本来のあるべき関係に戻ることです。隔てと恐れが取り除かれ神と平和な関係になることです。そうすれば「賜物として聖霊を受け」ることができるのです。「賜物として聖霊」とありますが、聖霊が与えてくださる賜物ではなく、聖霊という賜物です。この箇所での賜物は贈り物の意味です。そしてこの聖霊は「主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」年齢、国籍、性別など一切関係ないのです。また、「あなたがたにも」とあるように主イエスを十字架に付けた人間にも、どんな罪を犯した人でも悔い改めれば罪赦され聖霊を頂けるのです。恵みとしか言いようがありません。「聖霊を受け」ることの恵みを考えてみましょう。私たちは自分の力だけでは、悪習慣からなかなか抜け出せないものです。同じ罪を繰り返してしまうものなのです。これらの事は聖霊の力によって克服することが出来るのです。

③御言葉には力がある

PPT40,41節を見てみましょう。2:40 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。2:41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。「邪悪なこの時代から救われなさい」とあります。ペトロが勧めた三番目のことです。これは申命記32章5節からの引用です。32:5 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ/その傷ゆえに、もはや神の子らではない。この箇所にはユダヤの民が神の子でなくなってしまったことが記されています。ペトロは悔い改め、主の御名によって洗礼を受けることは腐敗、堕落したユダヤの民から引き離されることで、真のイスラエルに導き入れられることを伝えているのです。「三千人ほどが仲間に加わった」とあります。説教、御言葉には力があります。一度に多くの方が救われる場合もあります。20世紀を代表するアメリアの偉大な伝道者のビリーグラハムの語る説教で数多くの方がイエス・キリストを救い主と受け入れています。1993年の時点で250万人以上の方が救われたと言われています。また、全く思ってもみなかった方が救われる場合もあります。1967年4月21日の出来事です。ある一人の女性がソ連からアメリカに亡命をしました。当時、このことは多くの報道機関で取り上げられました。その女性はソ連の独裁者だったスターリンの娘だったからです。彼女を亡命させたのはキリスト信仰によるものでした。全体主義共産国の絶対的権力者の子として生まれ育ちましたが、ある時、聖書を読み、人は神なしには存在しえないことを悟り、信仰に導かれたのです。ロシア革命により、ソビエト連邦が生まれ、政府はロシア正教の弾圧を行いました。1918年から1930年にかけ、およそ4万2000人の聖職者が殺されたと言われています。このようなことも背景にあり、信仰を守り抜くためには亡命するしかなかったのです。今日、三番目に覚えて頂きたいここと御言葉には力があるということです。

④聖霊充満を求め祈る

42節を口語訳と一緒に見てみましょう。2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。(口語訳)42節にはペトロの説教によって救われた人が熱心に行っていた四つことが記されています。42節は口語訳の方がわかりやすいので、口語訳を使います。一つ目が「使徒たちの教を守」ったことです。使徒の教え、これは今日で言えば新約聖書と言えます。主の恵みによってキリスト者として新生することは真に幸いなことです。しかし、生まれたものは成長をしなければなりません。聖書、主の御言葉によってキリスト者は成長をするのです。ペトロの手紙一2章2節には次のように記されている通りです。 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。熱心におこなっていた二つ目のことが、「信徒の交わり」です。交わりには縦と横の二種類があります。縦の交わりとは神とキリスト者の交わりで、横の交わりとはキリスト者同士の交わりです。縦の交わりをしっかりすることによって、初めて横の交わりが出来るものなのです。パウロは信仰者同士の交わりについて、次のように語ります。ローマの信徒への手紙12章15,16節を見てみましょう。12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。さて、私たちはどうでしょうか。喜びも悲しみも共有しているでしょうか。高慢、傲慢になってしまってはいないでしょうか。今、ここで心を探ってみようではありませんか。熱心におこなっていた三つ目のことが、「パンを裂くこと」です。46節には一緒に食事をし」とありますので、「パンを裂くこと」は食事の意味ではありません。聖餐の意味です。聖餐と洗礼(バプテスマ)はイエス・キリストによって制定された二つの聖礼典です。聖餐には二つの意味があります。過去的な意味と未来的な意味です。過去的な意味とは主が私たちの救いのために十字架の上で命を捧げられたことを感謝し記念するものです。未来的な意味とは、聖餐を守りつつ、主が再びおいでになる時迄、主の死を告げ知らせるのです。コリントの信徒への手紙一11章26節にはつぎのように記されています。11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。再臨待望をしつつ福音宣教をし続けるのです。聖餐式は、このことを覚え聖餐の恵みに預かりましょう。熱心におこなっていた四つ目のことが、「祈ること」です。先程、縦の交わりについて話しましたが、祈りは縦の交わりとも言えます。この箇所の祈りは個人的な祈りではありません。今でいう祈祷会です。熱心に祈祷会を開いていたのです。祈祷会は教会の生命線と言われています。大川従三先生が牧会されている大和カルバリーチャペルの祈祷会は5名の人数で始まったのですが、今は三千人もの方が祈祷会に来られていると聞いたことがあります。祈りのよって救われた方が祈祷会に来て、未信者の救いを祈り、その方が救われ祈祷会に来るようになるのです。祈りによる救いの連鎖です。私たちの教会では水曜日の午前中だけですが、オンラインでの参加も可能ですので、是非、ともに祈りましょう。熱心に行っていた四つことを見てまいりましたが、これらのことも私たちだけの努力だで出来るものではないのです。聖霊の力です。聖霊の満たしです。聖霊に満たされると聖書が読みたくなり、積極的な主に在る交わりをし、聖餐を受けるのにふさわしいものとされ、常に祈るものとされるのです。

聖霊が注がれたのは、ペンテコステ(五旬節)の日でした。主イエスが十字架に掛けられ、復活されてから50日目、神のご計画により弟子たちは聖霊を受けたのです。ペンテコステの日が来たら全員が自動的に聖霊を受けたのではありません。主イエスの言葉、約束の聖霊に心を合わせて祈りつつ、ひたすら待っていた人の上に注がれたのです。恵みによって贈り物として与えられた聖霊はそのままで良いのでしょうか。最後にエフェソの信徒への手紙5章18節を見てみましょう。 5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、パウロは聖霊に満たされることを進めています。聖霊に満たされ続けることが全ての信仰生活のベースなのです。聖霊に満たされるここを信じ祈り続けましょう。今日、最後に覚えて頂きたいことは聖霊充満を求め祈るということです。

Today’s take-away ➀良い説教は行動変容が伴う、②受洗は主の願い、③御言葉には力がある、④聖霊充満を求め祈る 

ThinkingTime福音を伝えても無駄だと思ってしまっている方はいませんか。

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