• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年12月26日主日礼拝   

説教題: 悲しみは希望に通じる 聖書箇所:マタイによる福音書2節13-23節

◆エジプトに避難する2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。◆ヘロデ、子供を皆殺しにする2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。2:17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」◆エジプトから帰国する2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

ハレルヤ!12月の第四主日を迎えています。2021年の最後の礼拝となります。先週はマタイによる福音書2節1-12節から「暗闇を照らす真の王の誕生」と題し三つのことを中心にお話をしました。①暗闇を照らす光として生まれた、②真の王として生まれた、③御心にかなった計画が成就するでした。今日は続く2章13-23節から「悲しみは希望に通じる」と題しお話をします。ご一緒に学んで参りましょう。今日の箇所は三つに分けることが出来ます。それぞれの箇所が旧約聖書の預言書や口伝から引用されているのが特徴です。13-15節はホセア書、16-18節がエレミヤ書、19-23節では口伝からの引用です。

①新約聖書は救い主の預言の成就

では、13節から順番に見てまいりましょう。2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。」とあります。先週の箇所には、神は夢を用いて「占星術の学者たち」にヘロデから身を守ることを伝え、それで、彼らはヘロデの元には戻らず別のルートで自国に戻った事が記されていました。今日の箇所では、ヨセフに夢を通して母親と幼子をヘロデの残忍な計画から守るためエジプトに連れて行き、エジプトに留まるよう告げられたのです。何故、エジプトなのでしょうか。エジプトは、かつて、族長時代、イスラエル民族が飢饉から逃れるため行った場所です。開きませんが、創世記41,42章に記されています。また、主イエスのご降誕前、数世紀に渡り多くのユダヤ人が移民をしていましたので、言葉や習慣の差の心配がなかったからです。そして、なによりも、当時、エジプトはローマ帝国の支配下にあったのでヘロデ王の力が及ばなかったからです。14節を見てみましょう。2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、「夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、」とあります。インターネットで調べてみますと、ベツレヘムからエジプトのカイロまで720Km 歩行時間は146時間です。千葉県にある私たちの教会を起点とすると西に進むと岡山県の岡山市位の距離です。一日8時間歩いたとしても20日弱です。産後の婦人と幼子を連れての長旅は想像を絶するものがあるでしょう。しかし、ヨセフはためらうことなく直ぐに出発をしたのです。15節を見てみましょう。2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためでヨセフは告げられた通りに「ヘロデが死ぬまでそこにいた。」のです。幼子、主イエスにお会いするという占星術の学者たちの希望は適えられましたが、幼子、主イエスを惨殺するというヘロデ王の邪悪な思いは適えられないのです。先週、学んだ通り御心にかなった計画だけが成就するのです。「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」とありますが、これはホセアの預言が成就したことを示しています。ホセア11:1を見てみましょう。11:1 まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。聖書を二分すると、旧約聖書は救い主の到来の預言で、新約聖書はその成就です。今日先ず覚えて頂きたいことは新約聖書は救い主が到来する預言の成就ということです。16見てみましょう。2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。「ヘロデは占星術の学者たちにだまされた」ことに気が付いて怒り狂ったことでしょう。ユダヤの王として生まれた幼子についてあれほど知らせて欲しいと「占星術の学者たちに」頼んでいのにもかかわらず、彼らは自分のところに寄らずに自国に帰ってしまったからです。そして持ち前の性格から残虐な行動を起こすのです。配下の人間を「占星術の学者たち」に送り、聞き出していた時期に合わせて「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」のです。多くの幼児を虐殺したという残虐非道な出来事でした。17.18見てみましょう。2:17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」この箇所にはエレミヤの預言が成就したことが記されています。エレミヤ書31:15を見てみましょう。31:15 主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。引用元のエレミヤ書に「ラマで声が聞こえる」とありますが、ラマはエルサレムの北方約8㎞にある国境の町です。そして、ラケルが息子たちのゆえに泣いている。」とありますが、ラケルとはヨセフとベンヤミンの母、ヨセフ族の母です。そのラケルの墓がラマにありました。エレミヤは捕囚としてバビロンに連れていかれる子孫たちのために、ラケルが墓の下で嘆き悲しみ泣いていたと告げたのです。17節にラケルは子供たちのことで泣き、とあります。今、またエレミヤの時代と同じようにその墓の近くでヘロデ王により殺されてしまった子供たちのための泣き声が聞こえるのです。ヘロデの部下の兵士たちはベツレヘムの一軒一軒に乱入し、母親の泣き叫ぶ声にも耳を貸すことなく、命令通りに子供たちを皆殺しにしたのです。ベツレヘムは阿鼻叫喚に包まれたのです。その泣き声が聞こえたと福音書の記者のマタイは語るのです。神は600年も前にこの事件が起こることを預言者エレミヤを通して語られたのです。神学者の中澤啓介先生は著書「マタイの福音書註解」の中でこの箇所を次のように解説をしています。そのまま引用します。「ところで、エレミヤ書を見て頂きたい。引用箇所のすぐ後(31章16-22節)には捕囚民となった人々の故国帰還が予告されている。ということは、ラマの悲しみは悲しみで終わるのではなく、希望に通じている。さらにその後の31章31-34節には「新しい契約」が登場する。その新しい契約とは、言うまでもなく、キリストの恵みによる契約である。」聖書箇所は後ほど、是非読まれてください。今日の説教題の「悲しみは希望に通じる」はこの中澤先生の解説の部分から使わせて頂いています。私たちには理解できないかもしれませんが、ラマでの叫び全人類への福音となる新しい契約への過程だったのです。全ては神の導きによるものなのです。

②全ての主権者は神

19-21節を見てみましょう。2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。ヘロデ王が死ぬと再び「主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れ」、「主の天使」は幼子とその母親を連れて「イスラエルの地」に行くように命じたのです。幼子を殺そうとしていたヘロデ王が死んだからです。「主の天使」のお告げを聞いたヨセフは直ぐにその通りに実行します。21節です。ここにもヨセフのあつい信仰が描かれています。後半に「この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」とあります。ヘロデ王のことですが、今日の聖書箇所にはこの20節も含めヘロデ王の死が三箇所(15,19節))記されています。当時の人々はヘロデ王を恐れていました。実際、ヘロデ王は非常に残忍な王でした。先週、お話しした通り、猜疑心が強いヘロデは元々は仇の娘だった妻だけでなく授かった二人の実の子を殺しました。また、ヨセフスが記した「ユダヤ古代史」にはヘロデ王が2,000名もの村人を殺したことが記されています。人々はヘロデ王を恐れヘロデ王が歴史を動かしていると思っていたことでしょう。しかし主役はヘロデではありません。歴史の主権者は神で、ヘロデは消えゆく小さな存在にすぎないのです。今日二番目の覚えて頂きたいことは歴史を含め全ての主権者は神ということです。

③主から示されたことは直ぐ実行する

22,23節を見てみましょう。2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」「しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、」とあります。ヘロデ王の死後、領土は殺されなかった3人の息子に分割をされました。ユダとサマリアはアルケラオが継いだのですが、アルケラオは過酷な政治を行い、また、父ヘロデに似て残虐の限りを行いました。即位後まもなく神殿の中で3,000人以上ものユダヤ人を殺し、結局は紀元6年にローマ皇帝によって流刑されることになります。ですからヨセフは残忍なアルケラオによって命を狙われることを恐れていたのです。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、2:23 ナザレという町に行って住んだ。のです。今日の箇所で三度目のお告げがヨセフに語られたのです。ここに私たちが学ぶべきヨセフの信仰があります。三度のお告げの後、いずれも、直ぐにヨセフは信仰に立ち行動したのです。ヨセフは妻マリアの懐妊の時、悩みの最中にありましたが、天からの啓示があり、直ぐにそれに従ったのです。今日、最後に覚えて頂きたいことは主から示されたことは直ぐ実行するということです。後半に「彼はナザレの人と呼ばれると、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」とありますが、ナザレという地名は旧約聖書には記されていませんので、口伝による預言の成就です。ナザレという地名は旧約聖書にはありませんが、ガリラヤのことはイザヤ書9章1節後半には「異邦人のガリラヤ」と記されています。 9:1bヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。(口語訳)従って、主イエスがナザレの人と呼ばれることは名誉ではなく、むしろ侮蔑されることを意味すると解釈が出来ます。ヨハネによる福音書1章46節前半にはナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」といった事が記されています。実際、主の公生涯はユダヤの民から軽蔑され拒絶され続け、最後は十字架刑に処さられてしまったのです。先週と今週に学んだマタイによる福音書の2章の根底には主イエスとヘロデの対立、その背後にある神の救いの計画とそれを妨害しようとするサタンとの対立があるのですが、サタンの計画はことごとく失敗していることを決して忘れてはいけないのです。神のご計画は時に適って必ず実現します。今年も世界中でコロナや事故、災害による悲しみや辛さがありましたが、悲しみは悲しみで終わらずに希望に通じるのです。イエス・キリストがおられるからです。このことを信じ、間もなく迎える新しい年も主に信頼し歩んで参りましょう。

Today’s Point①新約聖書は救い主が到来する預言の成就、②全ての主権者は神、③主から示されたことは直ぐ実行する 

Thinking Time 主から示されたことで実行が出来ていないことはありませんか。