• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2024年3月24日主日礼拝

説教題:十字架の受難―エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ 

聖書箇所:マルコによる福音書15章33-41節 

文責:伏見敏


◆イエスの死 15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。15:35 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。15:36 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。15:40 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。15:41 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。

今週は受難集です。主イエス様の一週間の歩みをたどります。

日曜日  ロバの子に乗ってエルサレム入場 

月曜日  宮清め

火曜日  呪われたイチジクの木 問答 説教 貧しいやもめを称賛 

水曜日  ユダの裏切り ナルドの香油

木曜日  過ぎ越しの子羊を屠る 夕食後オリブ山へ ゲッセマネの祈り 議会の不当な尋問 

ピラトの官邸へ連行される

金曜日  朝9時十字架につけられる 昼12時空が暗くなる 午後3時息を引き取られる

     アリマタヤのヨヘフがご遺体を墓に収める

土曜日  安息日

日曜日  女たちが香料をもって墓に行くとカラであった 復活された

イエス・キリストが十字架上で語られた言葉は7つあるが、マルコは1つだけ記している。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。12時から午後3時、キリストが息を引き取るまで、空は真っ暗になりました。天地宇宙の創造者が息を引き取るとき、真昼が暗黒になった。あたかも全地がキリストの苦しみを共に苦しんだように暗黒になった。午後3時、神殿で過ぎ越しの子羊が捧げられるとき、キリストは息を引き取ったのです。なぜキリストは死の土壇場でこのような言葉を発したのか。神に捨てられ余りの苦しみに心が乱れ、弱音を吐いたのか。いいえ違います。これは詩編22編1節のみ言葉です。この詩編は初めは嘆きの言葉ですが徐々に変わっていきます。そして最後の28-31節では「22:28 地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。 22:29 王権は主にあり、主は国々を治められます。 22:30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得 22:31 -32子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。」とあるように、最後は神の恵み、勝利、栄光をうたっています。キリストはこの詩編を思い浮かべていのです。人間の最も悲痛な叫びは、罪に対する神の裁きの厳しさに対するものです。父なる神は罪を徹底的にさばき、打ち砕かれます。罪とはそれほどのものです。十字架上の哀れなキリストの姿は、また自分の姿です。神の怒りを受けるべき絶望的な私が赦される。それはキリストが私の代わりに打たれ、裁かれてくださったからです。これが福音、キリスト教の中心です。私たち人間の罪は底なし。自分を掘り下げて、自分の罪深さ愚かさを深く知った者がクリスチャン。決して世人より聖いとか、優れているわけではない。そしてどんなに自分の罪深さがわかっても、キリストの十字架によって赦されていることを信じ受け取ることだ。キリストの十字架は神の恵みと真実を約束している。キリストの血は、罪の赦しのための契約の血である。血は苦難の解答を与えてくださっている。今の世の中を見るとあまりにも無茶苦茶な世の中だ。ある人はそれは人間の罪の結果だという。弱者が虐げられ苦しんでいる。人間の解決できない苦難、矛盾、不条理、がまかり通っている。しかし人間のあらゆる苦しみを経験し、十字架の苦しみも味わったキリストは、苦しみの中にある人々と共に苦しみ救うお方です。キリストは地上の矛盾、裁きを背負ってくださった。そして最後にすべてを正しく裁く最後の審判の時があるのです。この世が終わり、神は新しく病も苦しみもない永遠の世界を作ってくださるのです。神は万物を与えてくださっています。そして御子を十字架につけるほど私たちを愛してくださっています。私たちは神の身分を受け、永遠の命の恵みを受けています。信仰とはこれを信じることです。神の豊かな愛を受け、ほとばしる命の恵みに生きることです。