• 千葉県八街市にある家族的な教会です

2021年6月9日聖書の学び

本日は、出エジプト記17章8-13節から「祈りの手を支え合う」と題して短くお話をします。

17:8 アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、 17:9 モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」 17:10 ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。 17:11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。 17:12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。 17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。

出エジプト記は時系列の内容で次のように三つに分けられます。エジプトの脱出(1章1節-15章21節)、シナイ山への荒野の旅(15章22節-18章27節)、シナイ山での契約(16章1節-40章37節)。今日の個所は、アマレク人がイスラエルに戦いを仕掛けて来たときのことです。イスラエルの民が神に対してしきりにつぶやいていたので、神はその罰としてアマレク人との戦いを許可されたと思われます。モーセはヨシュアに軍を指揮させて、自分自身は丘に登って手を上げて戦いに勝てるようとりなしの祈りに専念していました。そして、モーセが疲れてしまい、祈りの手が下がると、戦いの形勢が不利になり、手を上げれば形勢が有利となったのです。モーセの兄のアロンとフルは左右からモーセの手を支えたのです。一日中、手を下げなかったためイスラエルは勝利を収めることができたのです。手を上げて祈るということは、心を上に向けていることの象徴です。全てを神のみ信頼し、自分を神に明け渡す行為です。日本語の「お手上げ」は「どうしようも無いこと、行き詰まっていること、または降参すること(Wikipedia)」の意味ですが、神仏に頼るのという意味はありません。聖書が教える「手を上げる」とは心を神に向け祈るという意味ですので、必ずしも祈るときに手を上げる必要はありません。(参照聖句:詩編134編2節、詩編141編2節、一テモテ2章8節)聖書にはアロンに記述は多いのですが、フルについての記述は少なく、フルがどのような人物だったのかはわかりません。しかし、このアマレク人との戦いでアロンとともししたフルの行為はとても重要です。この二人の支えにより、強敵に打ち勝つことが出来たのです。私たちはアロンではなくフルのようなものかもしれません。しかし、神はそのような私たちをも用いてくださるのです。教会や家庭でお互いの祈りの手が下がらないよう支え合いましょう。