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2023年9月20日聖書の学び

ナホム書の学び(新共同訳聖書 スタディ版 各書の概説 原文転載)

特徴

預言者ナホムという人物について知り得ることはほとんどない。故郷エルコシュについてもユダ領内ということ以外に確かなことは言えない(1.1)。ナホムという名は「慰め」の意味だが、預言者ナホムはアッシリア帝国に向かって慰めとは到底言えない厳しい裁きを告げた。アッシリアの首都エネベに向けられたナホムの厳しい裁きの言葉は、ニネベは悪行から離れ、神に赦されるとしたヨナ書の言葉としばしば比較される。

なぜ、書かれたのか?

ナホム書はアッシリア帝国とその首都ニネベに襲おうとしている滅びを宣言する。強力なアッシリア帝国は周辺の多くの国々に多大な苦しみを与えた。アッシリアはB.C.722年、イスラエルにも侵攻して征服し、多くの人を捕囚として連れ去った。その後100年の間、アッシリアはユダ王国にとっても脅威であり続けた。しかし、ナホムは神が間もなくアッシリアの鎖からユダの人々を解放し、ユダは再び平和を味わい、祭りを祝うことができると告げる(1.13、2.1)。神は「身を寄せる者を御心に留められる」のである(1.7)。ナホムによるアッシリアヘの滅びの言葉は、アッシリアによって脅かされ痛めつけられてきた諸国にとつても慰めであった。神は正義の神であり、力を乱用して他人を虐げる者には国であれ個人であれ罰を与える。この神の正義は他の預言書にも繰り返されている主題である。

どんな背景があるのか?

B.C.853年、北シリアのカルカルでの戦いでアッシリアは北イスラエル王国などの連合国と戦い、勝利を収めた。その後200年、アッシリアは古代中近東で最強の国であった。アッシリアは多くの国を征服し、イスラエルやユダなどの国には重税を課した(王下15.19,20,29、16.5-18、17.1-6、18.7-21)。預言者ナホムが活躍した時代について確かなことはわからないが、アッシリアがエジフトをテーベで破ったB.C.663年から首都ニネベがバビロニア・メディア連合軍によって滅ぼされるB.C.612年の間であろう(3.8-10)。ナホムの言葉はユダのヨシヤ王の時代(B.C.640-609年)に語られたとすれば、ナホムは預言者ゼファニヤと若きエレミヤと同時代に生き、預言したことになる。

構成は?

ナホム書の前半はアッシリアの鎖からユダを解放する神の力をたたえる詩であり、後半はアッシリアの首都ニネベ滅亡の預言である。

ユダの希望(1.1-14)

ニネベに対する裁き(2.1-3.19)